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夏みかんとキンカンと

 昨日から氷雨。春雨というべきか。それにしては冷たい。庭の夏みかんを収穫して数人の友人や姉弟に送ったのが先週。この雨を待っていた方が少しは甘くなったかもしれない。とにかくたいわんリスとの戦い。うっかりすると中身のない夏ミカンばかりで、マーマレードが作れなくなる。いつもの半分くらいの成り。裏作の年。又来年沢山収穫しましたら送りたいのですが、今年届かなかった人はそういうことです。ごめんなさい。キンカンの方もあまり多くは実っていない。ヒヨドリが来て啄んでいます。
 さて、私が作ったマーマレードは砂糖を少なめにしたために、苦い。きっと水にさらす時間が短かったのでしょう。パキスタンに行かれたMr.FUJIWARAにも持って行っていただいた。砂糖を入れた紅茶にでも使ってくださいな。
 今日は25日。そろそろ確定申告に神経を向けないと、と思っています。

 今24日から始まったタヒチでの ネオ・ジャポニズム イン タヒチ がタヒチのパペーテ市庁舎で開催されている。行くことは出来なかった。招聘出品で、「海辺の調べ」を送り出した。27日までの短期間。
 タヒチに行かれる方に。あと2日間あります。よろしく。

フタバ画廊 カーテンコール展終了

 フタバ画廊カーテンコール展が終了した。社長 村?和平氏によるいわば“肝煎り展”であったから、有り難くも大勢のかたがたにご来場いただいた。寒い中。後半は幸にも温かい日があって、このことも幸運したか300名近い記帳を芳名帳にいただいた。改めてお礼申し上げます。フタバ画廊のスッタフのメンバーみなさんにも多いにお世話になりました。お客さまとして来られたのに、最後は搬出まで手伝わされた吉田様親娘、有り難うございました。つい金城の親戚ということで頼ってしまいました。おかげで早く完了。
 さて、これからお買い上げいただきました絵画の発送を暦を頼りに進めます。今しばらくお待ち下さいませ。
 取り急ぎお礼をブログにて。

多田祐子展第49回・フタバ画廊 近づく  

 一月が早くも終わった。フタバ画廊の展覧会のDM発送も終わって後は額装前に写真保存を。この件はHPのお世話になっているMr.FUJIWARAのデジカメ撮影に頼ることに。彼は2月下旬からまたまた中東に行くというので自分のことで慌ただしい。それでも寸暇を盗んでお願いしよう。何しろ今回は2年間という。今日日曜日は雨が上がっているからおよそ27枚の撮影をお願いしたい。内1枚は倉庫にあって面倒なので、ギャラリーで飾り付けの時にでも。
 今回はギャラリーの会長・村?和平さんが昔のものも3枚くらいはまたみせてほしいと、おっしゃるので、サブタイトルに “これまでとこれからと” とした。
フタバ画廊時代のものを2枚。和平さんが知らないものを3枚含めて“これまで”。あとは、これまで に近い作品と これから のもの。

 和平会長さんの胸をうつご案内状です。文字が小さすぎましたね。以下に再掲しました。

  創業以来41年優秀な作家の方々に展示して頂いたお蔭で少しは名の知られる存在になったことは誠に画廊冥利に尽きるものがありますが私も高齢になり残念ながら6月を以て廃業することに致しました。 フタバ画廊の幕を閉じるにあたり連想したのは良い演劇やミュージカルを見終えたとき幕の上下に合わせて会場から湧き起こる拍手と歓声でした。私も画廊の幕を降ろすにあたり今までフタバの舞台で素晴らしい演技を見せて下さった名優にもう一度最後の演技を見せて頂きカーテンコールの感激を味わいたく思いました。6月までこの企画をシリーズとして随時行う予定でおります。 
 今回はロシア国立エルミタージュ美術館に作品が収蔵されているアーティストとして、また国際文化交流の活動家としても高名な多田祐子先生に登場をして頂きました。 皆さまもご一緒にカーテンコールをお願い出来れば嬉しく思います。
 どうぞおいでください。お待ちしています。
                                             フタバ画廊
                                              村瀬和平
                       

(高名とか先生は畏れながら原文のままに)

フタバ画廊 カーテンコール展

只今準備中です

 17日の土曜日に山の向こう側にお住まいの小坂夫妻がフト見えられた。水仙の花束をお土産に。小坂夫妻には2007年5月にお家を開放していただいて、いわゆる“展望展”を開催していただいた。相模湾が一望できる大窓のある魅力的なハウスで、すっきりとしたお家。ちょうど昼ご飯のときだったが、食べかけのうどんは私たちの二人分しか無くて
ご馳走出来ず仕舞い。生憎なことでしたが、遅い朝餉を食べてきたばかりとおっしゃる千香さんを信用して、りんごとお茶のみの一時を。ご主人さまは御神輿を担がれに季節が来ると深川まで出掛けられる。深川のお生まれ。夫金城も御神輿を担ぐので、御輿の話しから始まり、急に決まった銀座での個展の話しやら、海風の来ない山のこちら側の風が穏やかな事などを語り合った。千香さんとは13年ほど前にニューヨークで出会った。常設画廊のJMGで。あれからもあまり変わっていない。ご結婚をされてご近所に越されてきてお付き合いが続くのは有り難くも嬉しいことだ。
 昨日18日はグループ展の搬入と飾り付けがあって、銀座に。その前に北青山の画廊コンセプト21で開催中の中島由夫展を訪ねる。10年ほど前にドローイングしていただいたシャツとネクタイを身につけて。丁度中島由夫さんが画廊におられ、ネクタイとシャツを大切にしていることをお話しできた。来年の2月にはこのコンセプト21で私も個展をすることも居合わせておられた数人の中島フアンにお話しした。いわゆる宣伝出来まして中島さんには申し訳ないのですが、私ごときにはびくともしない大家ですから安心。
 さて、今日はグループ展の初日でパーティがあるのでやがて出掛けます。会場に行く前に、岡山県からいらして銀座で個展中の奥山民枝さんの作品を鑑賞に行きます。

 一方わたしの至急展 49回目の展覧会の件ですが、もうすぐDMが出来てきます。フタバ画廊の会長;村瀬和平さんのご挨拶文がかたじけない案内状です。作品はいま集中して作っておりますが、黒が一本もないことに気付き、今朝注文しました。1ダース。会長さんが以前見せていただいた物の中から3点程又見せてください。懐かしいことと思いますから。とのお話しに、倉庫の中に眠る作品をあれこれ思い起こしております。あと3週間。何点が仕上がるかは判りませんが、部屋中に散らばせて、目の端にとらえては、色指しを続けております。ではどうぞ銀座1丁目のフタバ画廊にてお待ち申し上げております。

第49回 多田祐子展のお知らせ

 新年11日にフタバ画廊の会長 村瀬和平氏からファクスや電話があって急に個展開催の計画が決まった。1月はグループ展が2つあり、またタイランドからソムサワリ王女殿下のご来日に伴っての行事参加があって、何かと心せわしい年明けに、有り難くそして嬉しい個展のお話し。描きかけのキャンバスを数えて、サインが入っている新しい小品を数えて、お受けした。以前フタバ画廊で見た懐かしい作品も2〜3点再び見せていただきたい。とおっしゃる村瀬会長のお言葉に2つの作品がすぐ頭に浮かんだ。
 最近は作風が変わってしまい、以前のものとうまく融合しあえるか、といった問題点がある。これから12〜3点の仕上げと新たな作品を作りたい。
どうか寒さ厳しい季節ではありますが、ご高覧いただきたく思います。

あけましておめでとうございます

 2009年です。昨年は岩手宮城内陸地震や中国の四川地震、世界金融危機、日本では雇用解雇といった有り難くない事の多い一年で、あまり良い年ではありませんでした。私個人としては、4つの展覧会を開催できましたので、売れはしませんでしたがいい年でした。ありがたいことでした。洞爺湖サミットがあったG8の記念にモスクワグランプリという賞をメドベージェフ大統領の一声でいただきました。お目に掛かったことはありませんが、多田祐子の名前を知っていてくださいました。サンクトペテルブルク建都300年祭(2003)の招聘出品以来から始まるロシアとのおつきあいが思わぬところで賞に結びつきました。もちろんエルミタージュ美術館収蔵の一件は大きかったです。
 さて、さっそく氏神様の神明社にお参りをしてきました。2009年の始まる瞬間に最前列におりましたから、ラッキーでした。甘酒をいただいて、丑年の記念品をいただいて
きました。星の輝く元旦です。
 今年の一年間を健康で穏やかに過ごせますように祈念して参りました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

ニューヨーク・JMG でのグループ展

 11月25日からはじまっているA. Jain Marunouchi Gallery での オープニングレセプションが12月2日午後5:30からなので、12月3日の朝8:30、向う時間で18:30に電話を入れた。最近はもっぱらパソコンでのE−メール通信だから、せめて会場にいない私としては声での参加。電話に出た日本人のアシスタント・勿論アーティストのひとり・サイさんが“お会いできると思ったのに”と。成田まで行く事も叶わないの、とわたし。Mr. JAINにかわってエイヴリシングオーケー、で電話を切った。
 少し景気がよくならないかねー。国際文化交流もわたしにとっては最早「夢」に近い。ニューヨークでメイド・イン・ジャパンの我が絵画が売れんことを祈っている。
12月20日までである。24W.57STNew York, NY 10019 。6階にJain Marunouchi ギャラリーはある。 ザ・ ニューヨーク ギャラリー ビルディング のなかです。
 これからニューヨーク、マンハッタンにお出掛けの方は、カーネギーホールの100m位5番街に近いところですので是非お立ち寄り下さい。

昨日のつづきです

 さて、長い間あこがれの皇子であった懐良親王さまに墓陵参りというかたちでお会いでき私の思い出が出来た“遙拝”であったのです。
 で、いよいよ長期間の展覧会も明日で終了、という日に観に来られた女性は、翌最終日も来てくださった。しかも母上様を伴って。雨の一日。氷雨の中を嶋井さんもご来場。 この展覧会を計画し実現をしてくださった中住きよみさん、再びお家を提供していただきまして、重ね重ねありがとう。現代美術ギャラリーのオーナーの内科医・神崎真一先生も、スタッフの丸山桃子さんもその他、皆さまのお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 毎夜食事では美味しい海鮮料理を食べさせてくださった海鮮茶屋の女将さん家族、また田川に行くことがあったら顔を出します。
 桃子さんの叔父さんのステーキを食べに桃子さんの運転で飯塚市までドライブ。柔らかくて胡椒の具合も良く旨かったです。翌日梱包作業を始めようか、という時、そのステーキ「豊」の叔父さん、叔母さんがケーキを持って来てくださって、ケーキを頂戴し、別れがたいところを時間切れで帰ってきました。
 カーナビが相変わらずデタラメで、道を間違えてしまいさんざん。黒崎というところのガソリンスタンドで教えていただき、都市高速にのり、なんとか30分違いのJR"のぞみ"に乗車出来、無事に帰宅。レンタカーを返却する場所もちょっと違っていました。従業員さんが連絡してくださってなんとかオーケーだったのです。
そんなこんなの福岡行でした。あ り が と う ご ざ い ま し た。

山あいにひっそりひとつの星となり 月を眺めてこの先ざきも

福岡県田川市での展覧会は終了しました

 8月21日から始まった現代美術ギャラリーtokopolaでの展覧会が11月24日終了した。斯くも長く開催していただいたことははじめてでした。21日からお礼かたがた福岡県に。駅レンタカーを借りてまず322号線を香春まで。神宮院で嶋井信恒氏と落ち合い、ご案内をいただいた先が河内王の墳墓。河内王は持統天皇3年に太宰の帥として下向、持統天皇8年(694)にこの地に葬られた。と、嶋井氏からいただいた郷土史誌に。さて、懐良親王が小富士と詠んだ小富士山が直ぐ目の前あって、なるほど富士山。「駿河なる富士の高根は名のみ聞く香春の里に富士を見んとは」と詠われたという。万葉の里として文学散歩で有名な鏡山を「磨かれて出づる鏡の山の辺の清き流にうつる月かも」と詠まれた。応安元年の秋のことであったそうな。嶋井氏にご案内をしていただきながらギャラリーの閉館時間も気になり、小1時間の歴史探訪を終え田川市へ。  嶋井氏はあらためてギャラリーに訪ねてくださった。その時には星野村に行ったことの話しが出来た。22日の土曜日は快晴。レンタカーのナビは古いらしくてとんでもなくデタラメ。田川市を出るのに20分もかかってしまう。同じ道を行ったり来たり。とうとう持参の地図を信号で止まる度に頭にたたき入れては2時間半のみちのりをひた走った。二つの峠を越える。ヘアピンカーブの連続。「遠ければ急ぎ行くなりつづら折りカーブ重ねて星野の村に」と車の中で口走ったりして。美しい見事な棚田が見える。あっもう星野村だ! と思って走ると突然右手に石碑があり「懐良親王終焉の地」とある。いきなり右折。道が広いことと、車が通らないこともあって停車。交通違反?を思わないでもないが--。  宮内庁の菊紋がまぶしい遙拝所から山に向かってご挨拶。菩提寺の大円寺は左手直ぐ。境内にはいる前の駐車場に歌碑があり“山深かくわれからむすぶ草の庵に人もすむとや月のもるらん」。境内に“日にそへて遁れむとのみ思ふ身にいとど浮き世のことしげきかな”。この歌は知っていて悲しみも深くなる。奥のほうに菊池から政所として嫁いでこられた姫の五輪塔が。お参りをして写真に納める。人気のないことをいいことに私はその昔、菊池武光と共に九州に王国を作ろうとした親王のことを忍びつつ、九州の地で展覧会をしていますことを告げ、見ていただけたでしょうかと問いかけ、まだでしたら明日までです、と、ひとりごち。丁度良い具合でも、資料館には入ることが出来なかった。やがて、2人の子連れの夫婦が入ってきたので写真を一枚撮っていただいた。なんでも相談事が在ってきたらしい。畑の方からご老人がやって来、ご住職とは思いつつも帰路につく。  棚田が見事な休憩所にはやはりだぁれもいないので、車を止め、持参のお茶と小さいおにぎりをふたつ広げて懐良親王さんにお供え。約10分。車が3台、オートバイが2台止まり、独り占めならず再び峠を上り下りのマイ・マーチ。途中杷木の柿を買い、蕎麦を食べ、陶の里で小皿3枚を購い、田川に帰ってギャラリーへ。 (後はあした。にします。さっき一度全てを消してしまい再びで疲れました。さっきの方がズーと良い文章だったのですが思い出せません。おやすみなさい。)

香春の小富士
懐良親王の遙拝所
トコポラオーナーの神崎さんとなかずみさん(右)

京都嵐山紅葉祭り

 暦にもあるように、毎年11月第2日曜日は嵐山もみじ祭りが京都の嵐山、渡月橋あたりで開催される。縁あって1995年、1996年と2回参加した。近年は11月3日の願成寺のご開帳に行くため難しいものがあって参加できない。9日の日曜日に大阪などからの訪問者の方々に、このもみじ祭で「麿」の格好をしたという話しを我が伴侶がしていたので写真をお見せしようかと思ったが、すぐには出てこなかった為に話しが中途半端に終わった。今日はこの「麿」の“超盛装”を、websiteでご紹介。大阪方面の“見たかった”という女性の方々のためにいたします。ひとつ、歌を添えてみました。

 骨を病む伴侶を今日も働かす 弁当もたせ たつきのために

1995年11月もみじ祭
1995年11月もみじ祭
1996年11月もみじ祭
1996年11月もみじ祭