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モスクワ国際芸術博覧会での賞

Heart art in MOSCOW: モスクワ国際芸術博覧会の賞状が届いた。 文化親善名誉作家認定証とモスクワ文化遺産至宝賞というものであった。 文化親善名誉作家認定証はロシア国立芸術アカデミー総裁のズラブ ・ツェレテリ氏のサイン入り。文化遺産至宝賞はどうも主催者であるHeart art Communication からのもの。日本現代芸術の発展および日本文化の普及に大きく貢献し独創性の高い素晴らしいものとして評価されました。とあった。博覧会全体からの賞状だから文句を言ってはいけない。しかしズラブ氏のサインがこちらにもあったらもっと嬉しかった。 絵は青い月の “嬉野の月” The moon of Japan であった。 ありがとうございました。

掲載の絵が違っていて、「若草」が載っています。本来の絵が載せられず、どうすればいいのか判りません。(修正しました)

佐賀県嬉野別館でのスケッチから
The moon of Japan
佐賀県嬉野別館でのスケッチから

作品を追加しました。

10月31日、MR.Fujiwara の更なるご協力をいただき、作品を旧作に新作を加えて追加しました。あまり多すぎるので、いずれは前ページといった具合にしたいと思います。
 さて、本日は絵画教室を実行してくださった母校の校長先生と全校児童のお手紙が届きました。1年生から6年生までの全員が私にお手紙をくださったのです。教頭先生が
先頭に為られて、何か子供達と共に感想文などを書いていると聞いていたので楽しみにしておりましたら、6冊の文集になって届きました。それぞれの表紙が花束で飾られて。ハートが上下にいつぱいならんでいる。中身の用紙にも工夫があって、柿の実をついばむ小鳥だったり、毛糸かごに毛糸と入っている子猫、靴の中にどんぐりとリス、かごの中の果物、たぬきが両手を広げていたり、栗の実だったり。なんというステキさ。それに思い思いの色がぬられている。あれあれ絵画教室は必要なかったか、と言うほどの出来栄え。参りました。こういう工夫をする時間を持てる児童たちは幸せ。良い母校を誇りたいです。みんな一様に大きな紙にみんなで絵がかけて楽しかったとあって、私もとても嬉しく、文集は宝物になりました。全員のお手紙を読ませていただきました。
 あっ、子供達に運動のことについてはなにも言わずに終わってしまいましたが、運動もとても大切。勝ったり、負けたり、精神性を考えるとき鍛えてくれるのは、勝負事。みんな身体を鍛えて大きくなろう!
今日はありがとうございました。fujiwaraさんも先生がたも子供達も、父兄のみなさんも。

母校小学校のPTA会長さんからのお手紙と掲載新聞到着

先日の母校での絵画教室、子供達の反応はまだ分からない。絵を描くことが好きな子供は風邪ぎみでも楽しみにして学校を休まなかったという情報を得ることができた。
私もPTAも初めての体験。児童の代表が「全校で絵を描くのは初めてでたのしかったです。また遊びに来てください」とお礼を述べてくださった。PTA会長の三浦健さんもこの体験が「芽吹き」となってもらいたいと、私の寄贈した120号のタイトルにかけておられる。また、私の活動の成果の程を故郷全体で念じておりますとあり、プレッシャーもあるが、ありがたい励ましのお言葉。
河北新聞が同封されていて大きなカラー写真を含めB5サイズの記事にまとめられていた。
さて、近々website HPホームページの作品を新しいものにしようかと思いつつおります。今度は25点程しかないのです。初めは52点でした。少なすぎでしょうか。
注文が来ませんので、寂しい気持ちです。注文はtakefreeのマガジンに掲載の話のみ。
掲載料をこちらから取るという悲しいもの。文化活動は地味で哀しいものです。
今日はこの辺で。また。

故郷の有賀小学校で

 10月12日に招かれて母校の有賀小学校に行きました。全校児童84名に幼稚園児の数名と参加してくださったお母さん方を加えて8チームに分かれ、体育館で絵画教室を体験しました。
幼稚園児の子供達は畳2枚分の大きさの紙。後のチームは畳3枚分の大きさ。小さな手に大きな刷毛を持ってもらって先ず地塗りから始め、花を描くチーム、葉っぱを描くチーム、魚のチーム、木の実のチーム、動物チーム、野菜チームと縦割りのチームがありましたから自由に描いてもらいました。ママさんチームには少し難しく乗り物をテーマにしました。空を飛ぶものと、文房具チームは残念ながら割愛。地塗りから何処まで完成に近づけるか時間との関係で心配もないわけではなかったのですが、進むうちにみんなはかどってきて、空きスペースには好きなものを描いてもらい、更に縞模様やよろけ縞を加えたり、☆模様を加えて画面をしめてみました。幼稚園児の子供達は虹を描きましたが、手首の力がまだ備わっていないので、刷毛を使ったりといったことや、紙が大きかったので大変そうでしたが、どうにかきれいに仕上がりました。ママさんチームも地塗りが美しく全体にまとまってできました。児童の6チームも1年生から6年生までの混成でしたからおもしろいものが出来ました。体育館の中央に8枚を縦に並べて見ました。1時間30分位の絵画教室でした。
体育館の2階に並べて展示してくださるそうな。写真が届くことでしょう。とても楽しみです。みなさんお疲れさまでした。楽しかったです。

44回目の展覧会を終えて

長いような短いような人生の中で先月30日に44回を数えた個展が終わった。数多の国際文化交流に関わってその出品料の支払いに苦しんでいる私に神様はあまり微笑んではくださらなかった。で、もう国際交流は止めなければと思うのに今年はインドとの間の
日印文化協定締結50周年にあたるそうな。まあとにかく色々と計画企画実行される。今、ヌーボウジャポニズムの時らしく、葛飾北斎に学んだ時以来の日本美術、
“日本芸術”に大きな期待が寄せられているそうだ。一方ではやはり励みにはなっている。
 個展で今回お買い上げくださった小学校以来の友達(同級生)は老人施設に勤めているが、その施設にしばらくは飾っておこうと言われた。以前は看護婦長という難しい
仕事をこなしておられた。そんなお話であったから、友達を偉いと思うと共に、ありがたかった。お年寄りに元気をあげたい!と言って買ってくださったんだから。
 さて、11日から小学校に講演に行くために出掛けます。講演依頼でしたが、みんなで絵を描こうとおもいます。講堂で。

日マレ友好50周年大賞

前のブログで賞をいただくとやはり嬉しい、と書きましたが、書いた後すぐに連絡が入り日本マレーシア友好50年の交流を記念しての展覧会で大賞をくださったそうです。
「日マレ友好50周年大賞」です。なにやら子供たちが大勢私の絵の前に集まって見ていたそうで、改めて検討、討論があったそうです。「カマル」という題名で猫を描きましたが、とても気高い猫なのです。まだしばらく手元には帰ってきませんが、10月には
戻るでしょう。NYの画商Mr.Jainと来年2月末と3月初めにドイツのArt Show に出点するのですが、さて此の「カマル」を持って行くかどうかは考えてみたいと思います。モナコに出展しようとしていたのですが、モナコには間に合いませんでした。
モナコではセルジュ・リファール賞(フランスの有名ダンサーで舞台監督の名前)を
モナコ政府から頂きました。『振り向けば』という作品でした。フランスのル・サロン現会長クリスチャン・ビエ氏が軽くタッチしておられます。
 さて、もうすぐ44回目の個展が始まります。後1〜2点仕上げたいと思いますが、
うまく仕上がるかどうかと、いったところです。
 ああそういえば今モスクワの芸術アカデミー美術館での展覧会が始まっているのです。見に行きたかったですが、かち合いましたし、今金欠の病に冒されていますので
ジイッと我慢です。では、どうぞ銀座1丁目5−6フタバ画廊でお待ち致しております。

「カマル」

芸術親善大使として

 7月28日~30日にかけて、マレーシア独立50年記念・および日本マレーシア国交樹立50年ということで“東方友好交流展”があった。これもどうにか出品したが、ツアーへの参加は出来なかった。WAC世界芸術文化交流会正会員としてはWACのメンバーにマレーシアが入っている以上、出品要請が(担当者を介してだが)再三に為る前に出品した。9月に入り、イタリアからの楯が届いた翌日、マレーシアからも楯が届いた。
芸術親善大使 と英語で書かれてあった。マレーシアはイスラム圏でアラビア語を話す人が多いと聴いているので絵のタイトルはアラビア語で“カマル”として出品した。月という意味。しかしムーンと表記されていてがっかり。
 さて、「国力」には文明に文化が伴わなければなりませんから、及ばずながら、国際文化交流に貢献してきた。もはや、金銭的に底をつきましたので、これからは、
「家計力」を養いわねばなりません。たった今もTELがあった出品要請をも断らざるを得ませんでした。海外に文化を輸出するのには多額の費用がかかるので、我々芸術家はそうとう大変。大家と呼ばれる方々の作品は保険が高額なのか、取り扱わなさそうですし、(大家の方もお出ししておられる方もいらしゃいますが)何かもう
少し企業や政府の後援があってもよさそうなもの。
 私のそもそもの海外への出品は、外国の美術館に日本人の絵画が無い(北斎はのぞいて)のでつまらないから、少しでも収蔵していただこうという思いからはじまった。それが、なかなか難しい。収蔵したいという話がない限り、輸出入の点数をあわせなければならない。国際交流展なのだから。
 たった今断った出品要請のことを考えながらーーーーー。

日伊芸術使徒賞 をいただきました

イタリアのヴェローナに於ける「 第4回 日伊芸術驚異と美の饗宴 」(7月20日から22日)がグラン・ガルディア宮で開催されたのにともない,“ウイーンの森の恋”
を出品していたが、タイトルのような賞をいただきました。8月29日に賞の楯と共に
訳文がとどきました。PREMIO DEDIZIONE ARTISTICA NIPPO-ITALIANO と楯に
ありました。ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台とか。行ってみたいのがやまやまでした。請われての出品で、出品料の支払いがやっと。そういう状態ですからとても残念でしたが、ツアーには参加できませんでした。
 さて、酷暑が続きました。庭の木々に水やりを怠り、枯れそうな気配がしていたのです。昨日の雨で助かりました。ここの山の上に畑をもっている小父さんが時々肩に水の
入ったポリタンクを担いで坂道を登っていかれるのを見つつ、ホースでの水まきなど
出来ませんでした。水不足の地方もありますし、野菜がどんどん値上がりしていて、雨雨降れ降れと天に祈っておりました。そういえば19日の日曜日の氏神様のお祭りの日に作ったゴーヤーチャンプルーとタコ飯が御神輿を担ぐ担ぎ手の方達によって
お褒めの言葉をいただきました。来年も作ります。来年は水不足がなく、ゴーヤーの
値段がそこそこだといいのですが。

蝉の少ない夏かしら?

 いよいよ梅雨も明けようかという昨日今日。夏休みに入った近所の子供たちが網を手に、朝から虫を探している様子が窓越しに見られる。ここはよく紋白蝶や紋黄蝶がひらひらと飛んでいる。塩辛蜻蛉を4日ほど前に見たときには嬉しかった。夫はオニヤンマ
を見たらしいが私は生憎と今年はまだ。去年と今年枝を伐採せずじまいのモチノキに
大量の花が咲いて、そのとても小さな花に揚羽蝶が沢山集まっていて、さながら日本画の世界。幻想的で。午後5時くらいはお食事タイムらしく、蝶に混じっていろいろな虫たちが飛んでいる。いままで23年間気付かずにいた風景。只今は2時。暑いのでいない。夕方が楽しみなのだが、でももう花が随分と落ちてしまった。来年のために伐採をどうしたものか。お隣の屋根より高く伸びているから切らないとならない。当然夫が登って行って伐るのだけれど、来年も花が沢山咲くようにするためには、何時伐るのがいいのか?
 去年伐らずじまいだから良かったということだと考えものか。黒揚羽、青い模様の
ある揚羽。小虫たち。あっちにこっちにと忙しい。直ぐ下に金柑の木があるから、多分卵を産み付けたと思う。そのうちに大きな青虫が葉を食べる。夏ミカンの木は反対側にあるが見たところ葉はまだ食べられていない。花が咲いていた頃はよく黒揚羽が来ていたから当然そのうちには葉はちょっとは食べられる。
 ところで、蝉の鳴き声が少ない。遠くでしか鳴いていないように小さい。たいわんリスの鳴き声にさえ消される。可愛らしくない鳴き声のたいわんリスが増えた。たいわんリスに夏ミカンが半分は食べられて、去年は誰にも送ることが出来なかった。
 今年は兎に角たいわんリスから夏ミカンを守ろうと思う。北国の人達に送れるように。

6月30日は友引でした。

 弟の一人娘の結婚式が6月30日に仙台市内であった。弟には4人の子があり、後は男。娘は3番目に生まれた。その姪のお祝いの日は当然、前後して実家に泊まった。
弟は家の玄関に紅白の祝い幕を張った。6m位だったかもしれない。私はもっともっと
長い紅白の幕が弟の心には張り巡らされていただろうと想像した。まことにめでたい
日日であった。あと3人息子がいるから、弟夫婦には合計で8人の子供がいることになる。来年、再来年そしてその次の年というふうに屹度“華燭の典”が続くことを祈って
いる。
 この友引の日に、大?タイムス社(宮城県大崎市)が私の21世紀世界美術館賞と
レフォルマ賞受賞のことを記事にして発表してくださった。2面に大きく。
大?タイムス社の新聞は7月5日に我が家に届き、2つとも写真掲載であったから、そこはかとなく嬉しさが湧いてくる。記事は、私の報告から、きちんと賞を与えたアートジャーナル社に取材をしていて、私が知らないことが加筆されていて、重みのある
賞であることが判った。そして、この日の新聞は大?タイムス社創刊60周年の記念式典や懇親会、ジェームス三木氏の記念講演が24日にあったことを載せている。
 ここで 大?タイムス社さんの60周年を、せめて言葉でお祝いを申し上げたい。
“「グローカル」な視点でさらに躍進を目指す” との代表のご挨拶に感銘しつつ
還暦をお祝い申し上げます。おめでとうございます。