大自然のひとこま

先日庭に水を飲みにきました。夏毛に生え替わろうという時期でみすぼらしいたぬき。このたぬきが通る道筋(けものみち)の途中に咲く水仙。今年は手前にも3輪咲いて、合計12の花が咲きました。毎年増えていきとても愛おしいのです。写真を撮ろうと片膝を地面に着けましたら、たぬきの匂いが膝に残りました。いわゆるおしっこの匂いです。
甚大な被害にあった友人知人、人々には一日も早く平和な日が訪れますようにお祈りいたします。

夏毛に替わろうというたぬき
水を飲みに来ました
夏毛に替わろうというたぬき
この水仙の直ぐ左をいつも通っていくのです
9輪の花
この水仙の直ぐ左をいつも通っていくのです

大自然は変わりない様子

 3.11の巨大災害の後、救援活動が続く中、今年もはなももの木にはいっぱいの花が咲き、椿の木にも沢山の花が咲いている。給餌台にはいろいろな鳥が来て、鶯はすっかり本番の鳴き声。練習中のおぼつかない声を今年は聞いていない。家の中に閉じこっもっていたことがそれらのことから判る。
 3月16日は「多田祐子の会」があるはずだった。香川県の多田祐子さんが交通機関の乱れによって、来られず(仕事の講演の延期)、東京浅草の多田祐子さんも計画停電や余震の影響があって来られず、藤沢の多田祐子ファミリーも同じく強い余震があり、キャンセルということに。次回の計画が立てられそうにもなく、23日昼ランチを食べに行き、キャンセルのお詫びを。8名分をキャンセルした、ということは私の人生上未だかつて無い。勿論お店の方も責めてはいない。未曾有の地震被害。計画停電があって、テーブルはキャンドルでも済むが、オーブンやら使えず、包丁先も暗いのでは危険と。レストラン街は3時間の計画停電で閑古鳥。愉しかったはずの「多田祐子の会」は、希望の高校に合格した藤沢の多田家の息子さんのお祝いも兼ねていた。春から静岡県の高校の寮生活がはじまる。合格を誉め、寮生活を励ましたかった夫金城はちょっぴりがっかり。次回は秋?
と言うが見通しが立たない。4月の初めには寮に入るでしょうよ。と私。
 パキスタンに行っているMr.Fujiwaraも一時帰国を延期。5月か6月になった。パキスタンの人々からお見舞いの言葉を沢山いただくらしい。高山市からのお客も延期。
寂しい春には一日も早く終わりを告げたい。大いに酷い大自然。恩恵だけを求めています。それでも辛いこと哀しいこと、苦しいことが数多ありますのに。

はなももの花
今年も咲く
はなももの花

再び被災 届かぬ救援 朝日新聞3月18日より

 2008年6月に岩手・宮城内陸地震に襲われた宮城県栗原市。今回の大地震の震度7をまともに受けた栗原市。幸いにも津波、放射能の被害は免れているが、為に置き去り状態が続くありさまが伝えられてくる。甚大な被害の陰に隠れて、1週間が過ぎたが、いまだに、1000人以上の方達の避難所生活が続きしかもライフラインの途絶、生活物資の不足が
伝わってくる。いまだに停電が続き、固定電話はさることながら、携帯電話も通じない。わずかにメールで様子が判る。ショートメールはメーカーが違えば通信不能。
アドレスを知っている人間は限られ、消防隊員の甥っ子は大忙しらしく、ガソリンがないから、いよいよ大ごとらしい様子。
 2度もたてつづけの被災地、栗原市。どうか早く救援が行きますように遠い葉山から祈っています。私の故郷。私も一緒に寒さと戦っています。

東日本大地震

 3月11日午後2:46、三陸沖を震源とする大地震があった。葉山の自宅にいた私もおもわずストーブを消し、テーブルの下に。物置にいる夫には声を掛ける暇もない。長い揺れ。天井の灯りがゆらゆら。幸い落ちては来ず。揺れが収まって夫が大丈夫?と言って家に入ってきたが、テーブルのしたから直ぐには出られず。震源地が宮城県栗原市とラジオが告げている。甥の一人にメールで「大丈夫?」と。返事は来ず。数日前にあった地震では震度4。弟は、長かったからねぇ。被害は無いよ。と。その2日後。震度7が襲った。2008年6月に岩手・宮城内陸地震があったときにも、大被害にみまわれた栗原市。なんということだろうと思う間もなく、津波情報。東北方面には知人・友人が多い。従弟も多く、お世話になっている人が沢山住んでいる。仙台市・盛岡市・登米市・二本松市・郡山市、どこも震度6。電話を控えていたが、フッとかけてみた電話が従弟に通じた。今家に帰ってきた。めちゃくちゃ散乱しているという。夜8時半。停電中という。学校長の彼は、子どもが泣くし、窓ガラスは割れるし、避難民は来るし、ようやく家に帰ったところで、電話が通じた、と。とにかく無事とのこと。たった一本通じた電話でちょっとは安堵。みんな携帯電話のメーカーが違っていて、ショートメールさえ受け付けない。東京にいる姪にメール。女親から地震後直ぐに大丈夫とメールがあったという。夜遅くにもう一人の姪の夫からメール。大丈夫ですか?と。自分はこれから徒歩で帰るという。2時間位はかかろうか。彼の母親と祖母が移動途中で電車が動かず避難所にいるということも知り、地震の災害の大きさに非日常を見聞きする。
 翌日の新聞とラジオによって大災害の模様を見、読んで聞いてただ呆然。原子力の災害が加わって、さらに呆然。しかし仙台市の知人の安否、栗原市の多くの知人の消息が気にかかる。伝言サービスしか方法がない。ほぼ一日伝言サービスにかかりっきり。熊本市からの問い合わせもあって、あせる。埼玉県の同級生も誰にも通じないと言ってくる。
14日やはりフッとかけてみた電話が通じた。仙台市の神永久雄さん。ご一家従業員一同ご無事とのこと多いに安堵。青葉区は電話が開通か?と思いきや、やはり通じない。
盛岡市にも通じて2名無事。栗原市は未だに通じないが、ショートメールでぼつぼつ返事があって、いまだに停電中、携帯の電池切れ、家の中には入れず、車の中にいる等知る。
余震がつづく中、家に入れず、愛犬と出張中の夫の帰りを待っている友人もいて、聞くほどに私も身が細る。二本松市と郡山市の知人には15日に連絡が叶い無事と知って胸をなで下ろす。
 以前原子力の水位点検作業に携わったことのある夫はそばで怒りに怒り、情けないの声を挙げている。
 今、計画停電が防災葉山からメールで知らされた。ご飯の支度に取りかかります。暖房はペットボトルにお湯を入れて懐に抱いています。せめてもの節約、節電です。
被災者のみなさんお見舞い申し上げます。

節分でした。

京都から届きました富久豆

福は内 鬼も内なる恒例にのりて
我が家の富久豆を撒く
お菓子で出来ている食べるに
惜しい 福娘です

お正月の終わり

正月が終わる 

2月は木目月・雪消月・春半 という言い方が好き

最近の生活から様ざまです
じ ょうびたき割れずに庭の薄氷を
夫は小枝に急ぎわりたり


散策の跡たどるらし地図ひらき
車中にひとり女の午後2時


古希ちかき夫に貧乏背負わせし
われは絵の道 発展途中

お正月の終わり(2)

あるまでの命とぞ思ふ貧しさや
肩身もせまき寒鴉吾


軸物にいどめば難題多くして
対峙す墨とわが大経師


シ ャ|ンといふ音もすがしやお鈴
我が家ぬちに今 幸ひ運び来

日程の変更

 10月の京都左京区ギャラリー左司馬での展覧会の期間が変更になりました。22日からで一週間短くなってしまいました。ギャラリーのオーナーさん舌夫妻が
韓国に用事が出来てしまったそうで、やむを得ず変更です。土、日曜日が3回と11月3日の文化の日の休日があります。この時期に京都行こう−! と計画してください。