見ました、金環日食

今朝は起きた時には雨があがった様子。金城は夜露と言い張る。6:30分ころのはなし。金環日食は7:32分頃。空を見上げつつ、朝食の準備。雲が厚い。でも流れていく。ラジオに耳を傾けては、時計に目をやり、空を見てと、忙しい。金城が作った穴あきの紙と金環日食観察用の眼鏡を玄関に。外に出てみると、雲が切れそう。夫を呼ぶ。始まっていました日食を太陽の位置を確かめていよいよ金環日食。リングが見えました。見ました。みました。歴史的金環日食は劇的にも雲が切れ、二人で交替使用の眼鏡で見ました。
短い時間でしたが、この先300年後にしか見られないという金環日食に満足。ご近所のあちらこちらから、太陽が雲に隠れると、ああぁという声も聞こえてきて、この山の朝の風景。珍しい風景。鳥の声も一段と高く大きい騒がしいものでした。穴あきの紙の方は残念にも光不足で、影は期待通りにはいきませんでした。

あじさい展の出品作の一つをご披露します。

華の音
あじさい展出品作より
華の音

今年のあじさい展

 北鎌倉古民家ミュージアムでのあじさい展。今年もまもなく始まる。6月1日が初日。7月1日までのロングラン。今年も大作はない。小品ばかりだが、いよいよ毎日例によって数えてばかりいる。11枚が完成?。 ? というのは毎日観ていると(数えていると)思いつきが、いわゆる発見があって、また筆が加わる。8号に40号が加わると13枚になるのだが、8号の方はマット状態から進まない。40号は得意の部分があってそれが邪魔をしているとは判りながら、いじれずに時間ばかりが過ぎた。昨夜思い切ってその部分を消した。で、描き続ければいいところなのに、本日はなぜか衣替えに気分が向かってしまった。あと10日。40号が簡単に完成をみるわけがないのは判っているのに。
それにしても今年はありがたい。昨年は3月11日の大災害があって喪失感ばかりの日々。色も使えなかった。今年は描き直そうという気が起こるのだから。
古民家ミュージアムの小部屋を今年もいただいた。昨年のあじさい展はやさしい色合いばかりだった。紫陽花、イメージはやはりそんな色合いになる。ピンクの仕上がりが多い。ピンクといっても桜とは違う。古民家ミュージアムの周りにある山紫陽花の数々を昨年見ているのに、紫陽花を抽象化するとピンクになってしまう。桜の迫力はなくおだやかなピンク。まあ穏やかなピンクの絵をどうぞ覗きにいらしてください。残された時間で8号と40号が出来ると良いのですが。

明日の朝は金環日食が見られるように願っているところです。夫金城は日食眼鏡を準備して、小さな穴を開けた紙を用意して準備万端。お天気次第です。

田中朗&小貫和子ジョイント・ライブ

昨日の夜(10日)、小貫和子プロデュースのシャンソンライブに出掛けた。上野の池之端。小貫さんからご案内があって、「ご存知の田中朗さんとのジョイント・ライブ」です。これには真っ先に予約の電話をした。田中朗。彼はイベット・ジローさんのゼネラルマネージャーを長い間務められ、イベット・ジローさんが引退なさってからは10年程前に一回お会いしただけで、ご無沙汰の仲。その昔、私、多田祐子は頼まれイベントとして、3回イベット・ジローさんのコンサートを開催した。夫金城の音楽全般大好きが手伝って、金城の助けがあり、実現出来たのだが、最後の引退公演は16年前だそうな。田中朗さんが昨夜数えておられた。そのジローさんのコンサート開催を依頼してきたのが田中朗さん。
故立川談志曰く そんじょそこらの芸人たァ訳が違う、田中朗。絶妙な弾き語り、の田中朗。勿論田中朗のコンサートも一度開催したことがある。展覧会のオープニングで弾き語りをして戴いたが、出会ったのはもっと前。ある故人の遺作展があって、その会場に現れた田中朗。会場にはピアノがあって、思わず弾いた彼。居合わせたのは遺作展の主催者と私のみ。すごい!ピアノのイキな芸。私は拍手を贈った。名前はその時はまだお互いに知らない。“サクランボの実る頃”を一曲弾いた。故人が好きだった曲なそう。私もそれ以来“サクランボの実る頃”が大好きになった。ただし田中朗の歌う“さくらんぼの実る頃”だが。

 昨夜は、懐かしい思いがあったのか、一回目のステージ、二回目のステージ共に5曲というところを田中朗さんは一回目6曲、二回目は7曲弾き語ってくれる。勿論“さくらんぼの実る頃”も。「花の荷車」「もしも君に会えずにいたら」「鐘よなれ」「かもめ」「ミラボー橋」「詩人の魂」「風のささやき」「私の心はバイオリン」「ラ・メール」など。
終了時間を17分延長。ひげを生やして再会した夫金城のことをすかさず“王様”って云ってくれてヨイショしてくださった。
小貫和子さん、新曲に挑戦の曲目の中で生憎馴染みがなかったことも手伝って、知っている曲「思い出のサン・トロペ」「百万本のバラ」がよかったです。ありがとうございました。これからも新曲に挑戦することが元気の源と仰っておられました。次のステージVol.4はどなたとのジョイントでしょうね。
今回はとても懐かしい人に会わせてくださってありがとうございました。ジローさんは今年96歳ということも判りました。

江戸の上野池之端。不忍池の夕暮れ時。しきりにコウモリが餌を求めて池の上を飛んでいました。夫にはおよそ40年ぶりの不忍池だったのです。

カラーが咲きました。

雨の多かったゴールデンウィークが終わりました。ニューヨークの画廊の主が久々に来日。5月5日銀座で落ち合って、何処に行こうかって聞くと鎌倉の大仏を見にいこう!ということに。葉山から銀座まで来ることはなかったね。ということだが、コミニュケーションがスムーズにいくほど言葉が使いこなせないから、とにかく迎えに、言われたところに行くしかない。混雑は予想以上。江ノ電に乗せてあげようと、縄規制を経験。レストランはどこも行列。ようやく3時過ぎに昼ご飯を。昨日は浅草でラーメンを食べたらしく、
メンはもう嫌だとのこと。蕎麦もメンのうち?蕎麦やさんはどうせ混雑。大仏さまの高徳院に夫にも来てもらおうとしたが、夫は途中まで来て、車が多すぎて、進まないし、駐車場もいっぱいで何処にも駐められそうにないから、引き返す、という電話。sorry. 縄規制の鎌倉はお正月の初詣であじわうが、5月は初めて。高徳院からの帰り道は歩き。
帰りの電車も混雑するので、早々にグリーン車で帰っていただいた。彼(画廊の主)は以前鎌倉に来たときのことを思い出して、行きたいところをリクエストした。歩いては行かれないので、夫金城に車で来てもらおうとしたが時期が良くない。大仏さまだけで今回はお仕舞い。昨日は上野らしかった。8日は上海に出発。3年ぶりに会ったが、ダイエットした模様でスマートになっていた。相変わらず親切。お友達を含め4人でした。

5月5日の銀座
日本
5月5日の銀座
咲きました
カラー
咲きました
葵
4月9日の倍くらいになりました

カエルの登場

先日の雨の夜、雨蛙の声をきいて夫に報告すると、彼も聞いたとの事。夫が更に言うには、これであの蛇の餌がまだあって、今年も大丈夫と思った。とのこと。あの蛇というのは、ほぼ毎年現れては姿をみせる一匹の青大将。昨年は見かけなかった。何年か前に夫は、たらの木から椿の枝へ、そして山茶花の木に移った蛇を見たことがあって、写真に収めたことが有る。その蛇のこと。この家に住み始めてすぐの時には、雨蛙と蛇のにらみ合いを窓の内側から、見ていたことがあった。長い間、どちらも動かずに睨み合い。見ていた我々の方が諦めて、決着を見なかったが、カエルも必死。蛇のほうも必至。此処には自然が有ることで、どちらが勝っても良しということで、自分等の時間に戻った。そんなことが思い出される。また以前に反対側の庭で、白い蛇を見たことがあった。大分前になる。夫が置いてあるエンビの長い筒、直径が35センチ位もある筒の中に今もいそうな気がする。その辺りにはミョウガが育つのだが、いつも夏には夫にそのミョウガを取ってもらう。蛇がいたらビックリして、動けなくなるのは私。今は芹が育っていて、セリ摘みはわたしがする。まだ寒いからでてこないので大丈夫。五月に入ったらもうやめにしないといけない。この辺りにはマムシもいるから。
カエルの鳴き声から今日は蛇の話になりました。カエルの歌を作らないとね。今夜の雨にも軽やかに鳴いている。

西行

再び西行庵
いくつほど枝折要るらむ夢に
まで踏みまどふなりみ吉野の山
﹁ 西行 』 にあくがるる我幸ひか
欲なき夫はかたはらにをり

絵は大丈夫、描いています

桜の季節

桜の花はいつも西行を
思い起こさせる
ひともとの桜遅咲き 残り花
つけて在りしよ西行庵は


この季節心は飛ぬ吉野山
深く入りこむ 西行庵に


奥吉野西行庵に在りしやと
描きつつ想ふ 山あじさいを


六月の北鎌倉古民家ミ ュ |ジアム
でのあじさい展に出品の作品を
手掛けているとつい西行庵の辺りに
山紫陽花はなかったかしら、と。

そめいよしの
そめいよしの

お花見

満開のさくら
夕まぐれひとかげはみず
さまざまの桜の花の下辺にしばし



石段の長き上りよ草苺
白花あれば止まるきつさに


フユアジサイという桜もありました

二葉葵

花咲く葵


房赤く釣り鐘状に咲く葵
桜の時節 下向きの花
華ではないが充分に愛おしい