多田祐子展第49回・フタバ画廊 近づく  

 一月が早くも終わった。フタバ画廊の展覧会のDM発送も終わって後は額装前に写真保存を。この件はHPのお世話になっているMr.FUJIWARAのデジカメ撮影に頼ることに。彼は2月下旬からまたまた中東に行くというので自分のことで慌ただしい。それでも寸暇を盗んでお願いしよう。何しろ今回は2年間という。今日日曜日は雨が上がっているからおよそ27枚の撮影をお願いしたい。内1枚は倉庫にあって面倒なので、ギャラリーで飾り付けの時にでも。
 今回はギャラリーの会長・村?和平さんが昔のものも3枚くらいはまたみせてほしいと、おっしゃるので、サブタイトルに “これまでとこれからと” とした。
フタバ画廊時代のものを2枚。和平さんが知らないものを3枚含めて“これまで”。あとは、これまで に近い作品と これから のもの。

 和平会長さんの胸をうつご案内状です。文字が小さすぎましたね。以下に再掲しました。

  創業以来41年優秀な作家の方々に展示して頂いたお蔭で少しは名の知られる存在になったことは誠に画廊冥利に尽きるものがありますが私も高齢になり残念ながら6月を以て廃業することに致しました。 フタバ画廊の幕を閉じるにあたり連想したのは良い演劇やミュージカルを見終えたとき幕の上下に合わせて会場から湧き起こる拍手と歓声でした。私も画廊の幕を降ろすにあたり今までフタバの舞台で素晴らしい演技を見せて下さった名優にもう一度最後の演技を見せて頂きカーテンコールの感激を味わいたく思いました。6月までこの企画をシリーズとして随時行う予定でおります。 
 今回はロシア国立エルミタージュ美術館に作品が収蔵されているアーティストとして、また国際文化交流の活動家としても高名な多田祐子先生に登場をして頂きました。 皆さまもご一緒にカーテンコールをお願い出来れば嬉しく思います。
 どうぞおいでください。お待ちしています。
                                             フタバ画廊
                                              村瀬和平
                       

(高名とか先生は畏れながら原文のままに)

フタバ画廊 カーテンコール展

歌会始     「お題  生 」

今年も落選 

挑戦歌です
砂もて 遊びゐし児がおきわすれ
ペ ットボトルに 千草生ひたり
  
ついでに 夫がいただいた表彰状を  昨年の11月のこと

四半世紀無事故無違反伴侶には重ねて届く官からの彰

只今準備中です

 17日の土曜日に山の向こう側にお住まいの小坂夫妻がフト見えられた。水仙の花束をお土産に。小坂夫妻には2007年5月にお家を開放していただいて、いわゆる“展望展”を開催していただいた。相模湾が一望できる大窓のある魅力的なハウスで、すっきりとしたお家。ちょうど昼ご飯のときだったが、食べかけのうどんは私たちの二人分しか無くて
ご馳走出来ず仕舞い。生憎なことでしたが、遅い朝餉を食べてきたばかりとおっしゃる千香さんを信用して、りんごとお茶のみの一時を。ご主人さまは御神輿を担がれに季節が来ると深川まで出掛けられる。深川のお生まれ。夫金城も御神輿を担ぐので、御輿の話しから始まり、急に決まった銀座での個展の話しやら、海風の来ない山のこちら側の風が穏やかな事などを語り合った。千香さんとは13年ほど前にニューヨークで出会った。常設画廊のJMGで。あれからもあまり変わっていない。ご結婚をされてご近所に越されてきてお付き合いが続くのは有り難くも嬉しいことだ。
 昨日18日はグループ展の搬入と飾り付けがあって、銀座に。その前に北青山の画廊コンセプト21で開催中の中島由夫展を訪ねる。10年ほど前にドローイングしていただいたシャツとネクタイを身につけて。丁度中島由夫さんが画廊におられ、ネクタイとシャツを大切にしていることをお話しできた。来年の2月にはこのコンセプト21で私も個展をすることも居合わせておられた数人の中島フアンにお話しした。いわゆる宣伝出来まして中島さんには申し訳ないのですが、私ごときにはびくともしない大家ですから安心。
 さて、今日はグループ展の初日でパーティがあるのでやがて出掛けます。会場に行く前に、岡山県からいらして銀座で個展中の奥山民枝さんの作品を鑑賞に行きます。

 一方わたしの至急展 49回目の展覧会の件ですが、もうすぐDMが出来てきます。フタバ画廊の会長;村瀬和平さんのご挨拶文がかたじけない案内状です。作品はいま集中して作っておりますが、黒が一本もないことに気付き、今朝注文しました。1ダース。会長さんが以前見せていただいた物の中から3点程又見せてください。懐かしいことと思いますから。とのお話しに、倉庫の中に眠る作品をあれこれ思い起こしております。あと3週間。何点が仕上がるかは判りませんが、部屋中に散らばせて、目の端にとらえては、色指しを続けております。ではどうぞ銀座1丁目のフタバ画廊にてお待ち申し上げております。

第49回 多田祐子展のお知らせ

 新年11日にフタバ画廊の会長 村瀬和平氏からファクスや電話があって急に個展開催の計画が決まった。1月はグループ展が2つあり、またタイランドからソムサワリ王女殿下のご来日に伴っての行事参加があって、何かと心せわしい年明けに、有り難くそして嬉しい個展のお話し。描きかけのキャンバスを数えて、サインが入っている新しい小品を数えて、お受けした。以前フタバ画廊で見た懐かしい作品も2〜3点再び見せていただきたい。とおっしゃる村瀬会長のお言葉に2つの作品がすぐ頭に浮かんだ。
 最近は作風が変わってしまい、以前のものとうまく融合しあえるか、といった問題点がある。これから12〜3点の仕上げと新たな作品を作りたい。
どうか寒さ厳しい季節ではありますが、ご高覧いただきたく思います。

あらたま

初詣 かがり火ふたつ 火の粉とぶ
空に間近く オリオン新た

あけましておめでとうございます

 2009年です。昨年は岩手宮城内陸地震や中国の四川地震、世界金融危機、日本では雇用解雇といった有り難くない事の多い一年で、あまり良い年ではありませんでした。私個人としては、4つの展覧会を開催できましたので、売れはしませんでしたがいい年でした。ありがたいことでした。洞爺湖サミットがあったG8の記念にモスクワグランプリという賞をメドベージェフ大統領の一声でいただきました。お目に掛かったことはありませんが、多田祐子の名前を知っていてくださいました。サンクトペテルブルク建都300年祭(2003)の招聘出品以来から始まるロシアとのおつきあいが思わぬところで賞に結びつきました。もちろんエルミタージュ美術館収蔵の一件は大きかったです。
 さて、さっそく氏神様の神明社にお参りをしてきました。2009年の始まる瞬間に最前列におりましたから、ラッキーでした。甘酒をいただいて、丑年の記念品をいただいて
きました。星の輝く元旦です。
 今年の一年間を健康で穏やかに過ごせますように祈念して参りました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

ニューヨーク・JMG でのグループ展

 11月25日からはじまっているA. Jain Marunouchi Gallery での オープニングレセプションが12月2日午後5:30からなので、12月3日の朝8:30、向う時間で18:30に電話を入れた。最近はもっぱらパソコンでのE−メール通信だから、せめて会場にいない私としては声での参加。電話に出た日本人のアシスタント・勿論アーティストのひとり・サイさんが“お会いできると思ったのに”と。成田まで行く事も叶わないの、とわたし。Mr. JAINにかわってエイヴリシングオーケー、で電話を切った。
 少し景気がよくならないかねー。国際文化交流もわたしにとっては最早「夢」に近い。ニューヨークでメイド・イン・ジャパンの我が絵画が売れんことを祈っている。
12月20日までである。24W.57STNew York, NY 10019 。6階にJain Marunouchi ギャラリーはある。 ザ・ ニューヨーク ギャラリー ビルディング のなかです。
 これからニューヨーク、マンハッタンにお出掛けの方は、カーネギーホールの100m位5番街に近いところですので是非お立ち寄り下さい。

今川了俊(貞世)

室町時代の九州探題のひとり


了俊は探題今に生きてあり 
今川通り県道ならんか
懐良親王が征西将軍として戦い
ついに勝つことが出来なかった相手
を讃えて

昨日のつづきです

 さて、長い間あこがれの皇子であった懐良親王さまに墓陵参りというかたちでお会いでき私の思い出が出来た“遙拝”であったのです。
 で、いよいよ長期間の展覧会も明日で終了、という日に観に来られた女性は、翌最終日も来てくださった。しかも母上様を伴って。雨の一日。氷雨の中を嶋井さんもご来場。 この展覧会を計画し実現をしてくださった中住きよみさん、再びお家を提供していただきまして、重ね重ねありがとう。現代美術ギャラリーのオーナーの内科医・神崎真一先生も、スタッフの丸山桃子さんもその他、皆さまのお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 毎夜食事では美味しい海鮮料理を食べさせてくださった海鮮茶屋の女将さん家族、また田川に行くことがあったら顔を出します。
 桃子さんの叔父さんのステーキを食べに桃子さんの運転で飯塚市までドライブ。柔らかくて胡椒の具合も良く旨かったです。翌日梱包作業を始めようか、という時、そのステーキ「豊」の叔父さん、叔母さんがケーキを持って来てくださって、ケーキを頂戴し、別れがたいところを時間切れで帰ってきました。
 カーナビが相変わらずデタラメで、道を間違えてしまいさんざん。黒崎というところのガソリンスタンドで教えていただき、都市高速にのり、なんとか30分違いのJR"のぞみ"に乗車出来、無事に帰宅。レンタカーを返却する場所もちょっと違っていました。従業員さんが連絡してくださってなんとかオーケーだったのです。
そんなこんなの福岡行でした。あ り が と う ご ざ い ま し た。

山あいにひっそりひとつの星となり 月を眺めてこの先ざきも

星野村行

懐良親王を讃え忍んで
山あいにひっそりひとつの星となり
月を眺めて このさき先も



さにづらふ紅葉かりつつ小石原
車止めたり 陶の里とて
又、いつの日にかまいります。屹度。
次回は大勢で。と願っています。