瀬間千恵さんのこと

今朝の新聞紙上で大フアンの瀬間千恵さんのお名前に触れた。ご主人、泉 眞也(環境プロデューサー)氏の死去を知らせる記事でした。
結婚前のよく「銀巴里」に通っていた頃、彼女の歌を聞きにいった。聞きつつテーブルでわたしは自分の詩を綴っていたりした。
ペンネーム河名千絵の頃のこと。最終ペンネームになっているが、3冊自費出版した。
第2回展だったと思うが、直ぐ近い処の「はまのや美術サロン」まで瀬間千恵さんにお運びいただいたことだった。
彼女の歌の中で一番記憶に残っている歌詞は「あなたのくれた絹のスカーフ わたしは巻いたわ 寒いんじゃない」 というものだった。
長い間パリに居られた模様で、2014年の9月だったか10月だったか、新橋の「ルタン」で、歌われ、わたしは勇気を出して,楽屋に押しかけた。チョコレートを差し入れ、彼女が何か言う前に消えて、同時に出演中の安奈淳さん、そして東丘いずひさんにも同じくチョコレートを差し入れした。瀬間千恵さんはビックリなさっておられたが、アポイント無しだったこと、昔昔展覧会を覧ていただいたことのお礼が言えたので、目的は果たした、のでした。

そのときに 作った歌があるけど安奈淳さんのもので、
椅子に歌ふ 安奈淳髪明るく染め貴婦人の歌 しみじみ聴くよ  =をんなの時間さまざまⅩⅤ=より

一曲は椅子に座って歌われた。
東丘いずひさんは多田祐子、私の振り袖を着けてそれにあった歌だった。
今東丘いずひはこの世にいない。令和元年5月1日に一期を終えた。いつも元気いっぱいの女性だった。

瀬間千恵さん、お会い出来る日がきっとあるとおもいつつご主人様へのお悔やみを申し上げます。

国立新美術館の壁

今年の限り月も、明日で終了する。
庭の松の枝を剪定を兼ねて、あちこち徒長枝をバッサリ。朱い実にはならないまま、緑色の百両(それでも千両らしい)
を2本、そして水仙の花を3本づつ、松に添えて、今年最後のお墓参りに行ってきました。
夫金城には目を閉じていても聞いているはずなので、30分くらいで帰るからと、お墓に行くことを耳元に。
ご住職がいらして、豆冊子、短歌の手作り歌集を25冊、お好きな人にもらって頂いているので、お手渡し出来て帰ってきました。

さて、昨日届いた封書の中に11月26日〜12月5日に開催された展覧会、「第12回世界平和芸術家協会展」の
写真が入っていた。「西行・さまよう心」を出展。写真と共に、「特選最優秀賞」が授与された事が知らせてあった。
国立新美術館に飾った過去の作品も2作品であるが、何やら特別な賞をいただいている。
20号で大作ではないが、西行さん、佐藤義清さんのフアンとしては特選最優秀賞をいただいたと、吉野の山奥の
山荘に向かって、報告しましょう。

いただいた写真と共にできた歌を

やはらかにとらへてくれてカメラマン「西行」の前の私 まんぞく

西行  と私
やはらかにとらえてくれてカメラマン「西行」の前の私まんぞく
西行  と私

博多の展覧会に

「和楽」という展覧会に出品している博多の街に来ています。
夫金城が4歳から小学校卒業間近まで暮らした福岡県、博多。実際は筥崎神宮近辺だったというが、
今回は筥崎神宮近辺までは訪問できない。
もう来ること叶わずの夫に代わって、お礼廻りのような気持ちを携えてやってきました。

田川市で4ヶ月間の展覧会を開催させていただいた時に観てくださって、その後北鎌倉の古民家ミュージアムでの展覧会にもお越しくださった直方市の京子さんが、ご都合良くて、会場で再会。私の絵を一点お持ちの京子さん。
夕刻の博多の街を20分ほど歩いて、イルミネーション、夕月を写真におさめ、夕食を。
ビールで乾杯。私には3年2ヶ月ぶりのビール。美味しかったこと。
京子さんと懐に優しい回転寿司を見つけて、ビールに枝豆、唐揚げにかまの塩焼き、寿司3貫付きプラスで。
懐かしい話や最近の話題で、夜を楽しんだ。
バスで直方まで帰るという京子さんを見送ろうとすると、ホテルまでの道に迷うからと、きつく断られたの。
展覧会の会場を出てホテルに向かう時、反対に歩き始めていたから、心配おさせしちゃった。

途中の道すがら通りゃんせの神社があって、二人で初めての最後ですと、お詣りしたのです。

マイリトルフレンド 
マイリトルフレンド 
お茶目な京子さんと
お茶目な京子さんと
博多のイルミネーション
博多のイルミネーション
夕月
夕月

豆冊子No.44を制作中

手作り豆冊子の44冊目を作りはじめた。歌が81首になったところで作っておかないと、分厚くなりすぎる。
ホチキス作業で難儀することおびただしい。
年末でもあり、1年間の御礼も兼ねてお届けいたしますが、明後日から九州と京都と小田原に行きます。
九州は展覧会を覗きに行きますが、10年ほど前に4ヶ月間もの長い期間を展覧会の開催をしてくださった
福岡県にお礼に行きます。
夫金城が4歳から小学校卒業間近まで暮らしたところでもあり、金城はもはや、福岡県には行かれそうもないので、
私がそのお礼も、博多のお空に、地に、言って来たいと思います。
京都は89歳になろうという師にお会いしてお食事をご一緒したいのです。
小田原はかっぱ村の初代村長中河与一の祥月命日、12月12日「夕顔忌」です。
かっぱ村の有志が12名集まります。しめやかに法事を致します。

先日の国立新美術館の展覧会では、「平和功労賞」をいただいていました。

豆冊子を掲示します。

をんなの時間さまざま44、表紙と裏表紙
をんなの時間さまざま44、表紙と裏表紙
今回は近藤秋夫氏収蔵作品を使いました。
今回は近藤秋夫氏収蔵作品を使いました。

  六本木界隈

         
いくつかの記憶のなかの六本木
思ふも淡し若き日の径



N子さん玄米選ぶミッドタウン
和食の窓辺公園望み


久にして新美術館訪ひし自作を
覗かむ国立の壁
12月4日土曜日の昼、N子さんと
お昼を食べ、国立新美術館に
世界平和芸術家協会展を
覗きに行ってきました。

限り月

一年が速い。
今日の午前中に届いた郵便物の中に、『国際平和文化交流名誉作家大賞』と謳った
表彰状があって、ご報告します。
美術評論家代表 Paul Groot とあって、オランダの評論家のおひとり。
そして日本の評論家の方々数名の構成である。

明後日、国立新美術館に「第12回平和芸術家協会展」を覗きに行こうと思っている。
「西行」20号を出展している。 その後、10日から博多座近くの会場に出展しているものを
覗きに博多へ行く予定だ。こちらには「 マイリトルフレンド」20号を担当者さん推薦で出展。
絵葉書にして販売するチャリティーである。
夫金城を明日から施設に預かっていただいての、行動だが、いずれもう腕が痛い!
少し休まないと、悲鳴もの。特に右腕が、首筋が痛い。
7月から11月中旬までの長い間を面倒見て頂いた時には、こんなに早く腕が痛くなるとは思っておらず
コロナで面会ができないことでは、寂しい思いもしたが、今回は10泊11日。
先日ペグという胃ろうの器具が不具合を起こし、介護タクシーを走らせ、救急外来で処置していただいて
今は安定している。心配は尽きないが、施設でお世話を頂いて、東京、博多、京都、小田原での予定を
遂行してこようと思う、今年の限り月、12月、師走、極月です。

12月2日いただいた章状
12月2日いただいた章状
博多での展覧会。
「マイリトルフレンド」を出展
博多での展覧会。
国立新美術館のご案内
「西行」 を出展
国立新美術館のご案内

2015年9月のマレーシア

2015年9月のマレーシアについて。此の年は6月にパリでのアートショッピング・カルーゼル・ドュ・ルーブルで個展形式の展示をし、
9月はイタリアに行った。ローマ法王さまへの献上という事があって、ミラノの食やクールビズを題材にした万博にも出展していて、ツアーに加わった。帰国して成田からマレーシアに飛んだ。葉山の家に帰る時間が無く、あったとしても、夜遅く着いて、朝早く出発しなければならない。そんな状態で、思い出せないが夫は如何していただろうか?もう仕事は注文も無くなってきていた時期。

作品はディレクターさんに2日ほど前に運んで貰い、その頃には飾り付けをしてくれていた。当日、飛行場までお迎えに来てくれ、
無事に会場に到着。ロイヤルファミリーの内覧は終了していた。
パリーで一点買ったという方が、マレーシアのアートフェアー・プラスの会場を取ったという連絡で、まさに会場のど真ん中。
油彩の小品と、オイルパステル画をその大きな広い会場のど真ん中に飾った。
輸送にはとても間に合わないことで、ディレクターさんの持てる範囲の数と大きさ。
実はディレクターさんは展示については素人で、キャプッションの大きさにはビックリ。
A4サイズのキャプッション。どうにか終了日までには私の好きな名刺サイズにだんだん替えていったが、絵画よりも大きなキャプション。
会場にパソコンは無いし、手書きでは汚いし、どうにかフェアーの事務所の方にお願いして小さい物を作って戴いた。
お忙しいところで、なかなか出来ず、言葉も通じないから、ごく短いアートフェアー・プラスで、気に入らないキャプションのまま
時間だけが過ぎていった。
9月10日には、マレーシアの作家代表のような Mr.Peter Liew さんご夫妻とお目に掛かり、日本大好き夫妻のドライブで、クアラルンプール
の街をご自宅とレストランまでご招待いただいた。
Mr.Peter Liewさんは大きな作品を何点か展示してあり、全てお買い上げがある、という凄い方。
日本人の小松孝英氏にお目に掛かったのも同じ10日。今名刺を見つけました。キチンと整理してあったのでしたが、その名刺帖を見つけ出せずの先のブログ。
Fair Director Mr. SIM POJINN & Mountain Man とおっしゃるMr.RICHARD WONG その他の方々との記念写真をブログします。
お名前が判らない方はご免なさい。

Fair Director  Mr. SIM POJINN & Tada yuko
Fair Director Mr. SIM POJINN & Tada yuko
 Mr.Peter Liew & Tada yuko 
Mr.Peter Liew & Tada yuko 
真ん中がMr.RICHARD WONG  右側ディレクターの板垣氏
9月13日・クアラルンプールでのアートフェアー・プラス(首都特別市)
真ん中がMr.RICHARD WONG  右側ディレクターの板垣氏
オイルパステル画小品をくださった方。書と交換する
オイルパステル画小品をくださった方。書と交換する
マレーシアの美大生
マレーシアの美大生
オランダからの画家さん師匠をお連れになって
オランダからの画家さん師匠をお連れになって

友だち・コレクターから

今しがた、コレクターの一人で小学校、中学校の同級生からラインが入った。
日光東照宮に行かれて、日光東照宮の幟旗の写真を送ってきた。
平和祈願幟旗「神事好契機」掲揚で、「境内社殿八棟が国宝に指定されてから70周年」にあたり、これを記念して開催されている。
9月19日〜11月20日までの前期分50基の中に私の絵「差配する角倉了以」がある。

10月7日に行って下さった方からのご報告の写真も掲示します。

同級生でコレクターの一人近藤秋夫氏/近藤愛子夫人撮影
同級生でコレクターの一人近藤秋夫氏/近藤愛子夫人撮影
10月7日に送られて来た写真。髙橋敏昭氏撮影
10月7日に送られて来た写真。髙橋敏昭氏撮影

雨降りお月さん

家居の続くこの秋、そして冬の初め。コロナが落ち着いてきた気配に包まれ、なんとなく穏やかに暮らせそうな日々の到来。
寒さが早くやって来て、ちょっと心細いことではある。
月を仰ぐことの好きなわたしは、この秋の十五夜、つい先週の後の月、十三夜を戸外に出たり、窓の内から眺めたりした。
口から出る歌があって、音痴ながら、いつか「雨降りお月さん」を歌っている。
特に “一人で唐傘さして行く” のところが、眞子さまのこのご結婚をいたはしく思い、涙が萌す。
畏れ多いことではあるが、唐傘無いときゃ“お馬に揺られて濡れて行く” という歌が、このご結婚と重なってしまう
私の日々なのです。

眞子さまを思えば声に出し歌ふ雨降りお月さん ひとりで行くと

九月二十一日 十五夜・仲秋の名月
九月二十一日 十五夜・仲秋の名月
10月五日の夕焼け・葉山
10月五日の夕焼け・葉山
十月十八日 後の月・栗名月・十三夜
十月十八日 後の月・栗名月・十三夜

クラゲさんたち

友だちからクラゲ館の映像が
ラインで送られて来て
映像にゆうらりクラゲ眺めゐる
夜長ぞ佳配哀しみ居らむ






とこしへに偕に生くべく思いつつ
見合はせぬ日の続くこの年月
コロナは下火になって、ヤレヤレの昨今。
しかしまだ施設では面会ができません。
変異株を心配しているのです。
そしてさらに、この山坂の工事は続きます。