富士宮市を訪問
春近しの日差しの中、富士山麓の富士宮市に行ってきました。富士山が近く、圧倒される山容。1998年に表参道の画廊で出会った増田恭子さんとのご縁が続き、1999年、5月に第31回多田祐子の展覧会を、2000年8月に富士山展というグループ展を「芸術空間あおき」で開催したのでした。2008年に福岡県田川市での展覧会があった時には、田川市まで行く前後をスペッシャル富士宮展としてRihei蔵・その他の会場をお借りして展覧会を開催しました。田川市までは、増田屋さんの大きな車をお借りして、田川市迄運びました。とても懐かしい思い出です。
富士宮市のまちなかアートギャラリー第8回、第9回と参加。カトウギャラリーに展示。その後2012年2月アウターネットにて18日間ほど第56回展を開催いたしました。
アウターネットの代表が始められて何年かはお聞きしませんでしたが、FWA・富士山ワイルドアドベンチャーに厄介いただき、スタッフさん一同が鍋をしてくださいまして、とても美味しい豚入り野菜鍋。最後が豆乳のうどん入り。お腹いっぱい頂戴したのです。大きな湯船に増田さんと浸かり、ベッドでホカホカ、眠りました。
快晴の東側には大きな富士山が朝から元気をくれます。
さて午後訪問したのは、芸術空間あおきで、只今開催中のカメラマン,ビル・ライオンズ(Bill Lyons)元ニューヨーク報道カメラマンさんの
ところへ。ご自宅の方へ先にお邪魔を。増田恭子さんは既に、冗談演技を広げる仲に。なかなか美しく整えられたお部屋の数々を見せていただき、私は雑然としすぎの我が家の状態を反省。壁には写真が飾られているのは当然ながら、飾り棚のコレクションも気の利いたものばかり。アメリカから日本にお引越しの時点で、98%ほどを涙のうちに処分してこられたそうな。奥さまのマミさんはご自分のものよりもカメラ
マンのビルさんの趣味のレコード、各賞状、コレクション、大事な家具類を持ってこられたそうで、間取りの良いお家の中は春の日差しの中でさらに輝いていました。お庭はとても広くて、管理が大変そう。今は冬枯れていて、ビルさん曰くワイルド・ガーデンと。
我が家の庭も年中ワイルド・ガーデン。ワイルド・ガーデンの東サイドに暗室の建屋があって、ご案内いただいた。
大型の機材が3台あって、洗い場も広く、頭上のロープには無数の洗濯?バサミ。
お庭の草花を我がiPad で撮りましたら、展覧会場のテーブルの上に、大げさじゃなく飾られていました。
ガテマラのコーヒーと出来立てレーズンパン、増田さんお持ち込みのゴマ入り健康サブレ・ぴんころ もご馳走になり、画廊からのお客様お待ちですの連絡に、急いで、芸術空間あおき へ。
とても懐かしい場所。経営者さんが元のままお使いで枕木の階段を上り、ビルさんの日本初の展示、白黒の大作や葉書大の作品を鑑賞。
ビルさんは影がお好きらしい。霧の中の淡い影も写しておられた。とても優しい眼差し。そのビルさんをこよなく愛されるマミ奥さま。
快活で、美しいマミさんは、通訳してくださって、一時間の訪問タイムを終えた。
話が前後する。芸術空間あおき。経営者の屋久さんに、手作り豆冊子と、3月の展覧会DMを差し上げる。第67回展の。1999年5月の話も
出て、一時間ほどの滞在で、来年4月の展覧会の話になった。ありがたい。しかし持ち帰って、暦を見なければ。
サァ、画して、第68回展の多田祐子展は富士宮市の「芸術空間あおき」と決まった。がんばろー!
写真を掲示します。