夫金城が広島行きをとても愉しみにしていたようで、行かれないということになった日〜3日間、彼はハンガーストライキをはじめた。
随分頑張ったらしく、眼鏡をかけて新聞も目をとおすようになり、起きていることが多くなっていた。
しかし、しかし、新幹線で4時間近く、車椅子では無理です。広島に着いたら即病院!? とい事になるでしょう!
と2人のケアーマネージャーに、無茶を指摘されました。その後優しくお医者さんも、そうだねー無理だねー。とのこと。
まだ一年も経っていません!とケアーマネージャーさんに怒られ、直ぐには金城に言えずに、5月初めに言われたことを下旬になってようやく、その事を
口に出して伝えると、食事時間になっているのに、手摺りをつかんで車椅子を動かないように、踏ん張っているのです。
部屋に戻り、15分かかって“無理だということをいわれた“ことを説明しました。二人で行きたかったから計画したことから。
私の短歌作品が「宮島彫りお盆』になっての展示会が宮島の大聖院で開催されるのに合わせて、行く計画なのでした。
6月15日〜17日なのです。バリアフリーのホテルも予約してあったのです。新幹線の予約が迫っていた5月中旬、予約を諦め、ホテルも解約。
で、行かれないことが判ったのですが、夫は口がきけないので、その心情をハンガーストライキで表現。おやつを食べなかったり、お昼ご飯を食べませんでした、
という、介護師さんからの報告を聞いたのです。
で、昨日、私自身もほとんど行かれないと思っていた宮島行きを、行こう! 私だけでも。と突然思いつき、金城に私、行こうかな、と。
そうしましたら、何やら声にならないながらも、唸っている様子。やがて、握手で、行って良いよ、と云う意思表示。そこに看護師さんが入ってきて
件のことをもう一度金城にも聴かせるつもりで、初めから看護師さんに説明。そうしたら、看護師さんが、「行ってこい!だよね。俺のことは皆が面倒みるから」
「私と一緒に此処にいよう」と云い、金城は今までよりももっとハッキリ大笑いしたのです。看護師さん、判っているのね、の言葉を残して部屋を出て行きました。
実に良いタイミングで入ってきてくれたのです。
無事に新幹線の予約とホテルの予約が出来ました。今日はまたその事を、言わねばなりません。
ヒゲそらせ枇杷の果実を食べさす日記録の日なり六月九日 (ヒゲを剃らせてみました。右サイドは一寸私が手助け。ペースト状では無い枇杷の実、食べました)