1994年3月のエジプトの旅
旅行記をまた聞かせてください。というコンタクトメールがあって、ご希望に添わせていただきます。今度はもっと古い'94年のエジプト一人旅です。1月28日に成田を発って、ニューヨークでの第26回目になる個展を終え、アムステルダム経由でエジプトヘ。冬期オリンピックがリレハンメルで開催中の期間で、アムステルダムで乗り換えに優に10時間程あった。で、ギルダーに両替。電車に乗って街へ。電車の中で「昨日日本が金メダルをとった」と、ノルウェーから来たという金髪青年が教えてくれた。団体競技でノルディックスキーだったかと記憶(違ったら教えてください)。アムステルダムでは美術館を2っ廻って、お昼をゆっくり食べて、路面電車に乗ったり降りたり。帰りがけの乗り継ぎの時にも美術館を1つ見たからアムステルダムは泊まらずとも行ったことに。さて、エジプト着は深夜。エジプトポンドに飛行場で両替。と、近づいてくる青年。ガイドだ。翌日からのガイドを予約。ルクソールやアスワンにも行く予定を告げる。ナイル・ヒルトンに着いたのは午前2時すぎ。夫金城からファクスがあってホテルの部屋に紙が落ちている。電話をしようと試みるけれど、一向に繫がらず。ニューヨークからエジプトに行くことをとても心配していたから、無事を知らせたい。丁度少し前にルクソールで列車襲撃事件があったばかりの頃。“列車では行かないから”とニューヨークと日本でのやりとり。翌朝といっても数時間後だが、時間どおりに、昨日のガイドの青年がホテルのロビーに既に来ていて、まずはお隣にあるエジプト考古学博物館へ。案内者が突然小父さんに変わる。小父さんの分もチケットを買わされる。先に支払ったガイド料金とは別料金かい?この小父さんが面白い。カイロ大学の元助教授とのご挨拶。多分?。まあいいか。この小父さんによると“大古にエジプト人は東洋から、わけても日本からきた”という。“顔をごらんなさいよ、どの王さまの顔を見ても日本人でしょう”。私を喜ばそうとしてもマァ欧州人や黒人の顔でないことは確か。パリーのルーブル美術館にある「書記座像」を思った。あれは何人?日本人に近い?立像は決まって左足からステップを踏み出している。茶道の左足からの作法を考え合わせて、なにやら不思議。サッカーラのピラミッド等の説明では「壁画等が日本の博物館が持って行ってここにはない」という。私は反論。「その昔、アラブ人が夜、盗掘をして売ったから、日本は買ったまでよ」と。小父さんは首をすくめた。そんな言い合いもあって小父さんへのチップは払わずにさよなら。多いに不満そうな顔が印象にある。丁度ラマダーンの時期で若い方のガイドはお昼時なにも食べなかったが、小父さんは私に払わせてなにがしか食べていた。一人で食べるよりはまあ良かったけれど。宗教の違はルクソールに行ってからもあって、ルクソールのガイドは左指に指輪があって、クリスチャンとのこと。イスラム教の人ばかりとは限らない。このクリスチャンさんは生粋のエジプト人ではなくてまぁいわば、スマート。財布を覗いてまではチップをせがまない。ルクソールに向かうとき飛行場で渡されたものがあって、?、?。なに?薬? 私のこれからの予定表を雇うはずのガイドに渡せっていう。会えなかったらどうするの?砂漠で。なんだか世話がやける旅。ルクソールではあんまり歩かなかった。トロッコに乗って移動。王家の谷の修復中の女性にMrs. と声を掛けても反応がなかったから至極残念。自分のこととは思わなかったことに今は思う。観光客は少なかった。ナイル川の西岸と東岸を結ぶフェリーに乗ってカルナック神殿へ。一人で来たことに少々残念な思いが。またチャンスがあったら大勢で来たい。と思うことしきり。
翌日はアスワンヘ。やはり私の日程表を持たされて。まず連れて行ってくれたところはアスワン・ハイ・ダム。広い広い。次は切りかけのオベリスク。ははーん。フランスもアメリカもオベリスクはここから運んだか。あまりにもおおきくて言葉がない。このアスワンではファルーカという帆船に乗って向こう岸に行き最も古いホテルを眺めてスケッチを。アガサ・クリスティが「ナイル川殺人事件」を書いたというホテル。泊まらなかった。お昼を食べに入ったホテルでとても長ーい時間待たされ、なーんで。どうしたの。テーブルのバラの花はもう画き飽きましたわ。と、1時間も待ったところに日本のツアー客の到着。関西方面の方々。もちろんテーブルはズーット離れているのだが、どうもこの到着を待っての私の昼ご飯。一緒に作ろうというわけだ。ガイドに帰りの飛行機に間に合うの?急げ急げ。しかし狭い飛行場で、到着と同時に搭乗。訳なし。
少し前におしんを演じた綾子さんが来たらしく、日本語をしきりに学ぼうとして質問ばかりのガイドたちに、ホテルのボーイさんに随分と日本語のレッスンをした。
ルクソールのヒルトンホテルでは日本人は私の他に2名いらして、他は白人ばかり。なのに“日本食の朝食”という看板まで掲げられて、味噌汁があり、ネギがきざまれてあった。
カイロに帰ってから出会ったレヒナさんのことやイワネスキーご夫妻の話もあるのでまたこの次に。今日はここまで。