沖縄復帰50年なので、50年前の写真を探していました。
日本武道館で行われた復帰式典に参列したのでした。
末次一郎さんの元で働いていた時代です。復帰に奔走した末次一郎さん、知る人ぞ知るの人でした。
武道館に向けて行列が進行しているもので、ミニスカートの時代。私もミニスカートの時代があって
履いている写真なのです。
先年、何かの拍子に見たのですが、探すとなると見つかりません。
今日は、同好の村「かっぱ村」の2代目村長の告別式でした。かっぱ村から何人か駆けつけてくださったのですが、
夫金城が寝たきりなので、お別れの式には二人で参列できないという有り様。
2代目とはいえ「かっぱ村」を起こした、ノンフィクション作家。
一代目の中河与一の弟子で、中河与一を村長に担ぎ出した、という人。
彼の遺言で、金城は終身助役。急逝を耳にして、2日間程泣いていたのです。
先日も架かって来る電話に応じている私の声に胸を詰まらせたらしく、水がお腹に入りませんでした。
彼に聞かせつつ彼の気分で弔辞を書きまして、お届けしました。
僕よりはやく逝くなんてひどいじゃないか。
そんなに遠くに行かずに、僕が逝くときには出迎えてくれよ、な。
おなくなりになる24日前のお手紙に、『僕もとうとうダウンです。少し休みます。』とあって、
最後の力を振り絞って書いてくれてありがとう。といったいった内容でした。
お葬儀に参列してくださっている人たちを思いながら、そして何より突然、逝ってしまった村長の思い出
を、脳裏に描きながら、何も進まないので写真を探していたのです。見つかりませんでした。
びっくりして連絡して来る村民に説明して、「号外」をだしたのですが、開始時間を入れ忘れているので時間を告げたり死因を書いていないので、電話が長くなるのです。
金城のお夕飯、胃ろうで、半固形剤のラコールという栄養剤ですが、遅くなったりしました。
今日は薄曇り。花壇のサツキの花が咲き始めるようです。
黄花あやめは今年もちゃんと咲きました。
今日の一首
墨の香に誘われしか蜘蛛硯の辺行き来するかもみどりもゆる日
明日は開きます
ふ入のサツキです