牧野圭一氏の訃報

漫画家で京都精華大名誉教授、京都国際マンガミュージアム国際マンガ研究センター長などを歴任された牧野圭一氏の訃報に、触れた。
「かっぱ」がご縁で、東京の水天宮や、かっぱ龍神祭の夏、古牧温泉で何度かお目にかかり、私が漫画家二階堂正宏氏(文藝春秋漫画賞を受賞)と同級生のこと、故郷が同じで、同じ高校だったことの話から、親近感を持っていただき、写真を撮っていただいた。
その中から、1991年7月下旬の古牧温泉祭魚洞公園での一枚をブログします。31年前。私も若い。牧野圭一氏は53歳。いつもバンダナを愛用されていたが、京都との往復の新幹線の中でもバンダナを巻いておられたかは、知らない。
胃がんのために死去とあった。
かっぱ村の我らが二代目村長 大野芳(ノンフィクッション作家)が、癌の末期を患って手の施しようもなく亡くなって3ヶ月と少し。この夏は、夫の誤嚥性肺炎での入院、下水道工事で日中車両通行止めのこの山の上での生活の難儀と、重なって、何やら自身の身の力が減っている。
もう秋が近い。夫金城もどうにか落ち着いている。
始めないと!  

牧野圭一氏から贈られてきた「マンガをもっと読みなさい」の、養老孟司氏との対談書の扉に、“エルミタージュ美術館収蔵おめでとう”とある。二階堂正宏氏についてのコメントもあって、このことを二階堂さんに伝えたかどうかは定かで無い。二階堂正宏氏は高校の美術部部長だった。彼曰く、私は副部長だったらしい。応援団で忙しくて部室に行ったのは数えられるくらいだ。卒業間近に大きめの絵を描いたことを覚えている。

古牧温泉での一枚です。 撮影者は夫金城。
 牧野圭一氏にはご冥福をお祈りいたします

1991年7月 当時の古牧温泉祭魚洞公園で
1991年7月 当時の古牧温泉祭魚洞公園で
2006年10月発行
2006年10月発行
漫画家らしい文字 
二階堂正宏氏に伝えねば。しかし彼も文藝春秋漫画賞を受賞している
漫画家らしい文字 

古い写真を見つけて

夫金城が誤嚥性肺炎で入院していた13日間、古い写真の整理をした。初めの4〜5日間は目眩がひどいので、静かに過ごし、夫の世話がないことに手持ち無沙汰を覚え、ウロオロ。そんな時、写真の束が落ちて来て、懐かしい❣️
と、手に取って眺め、近くのパッケージプラザで、写真帳3冊を購入。
その中から1991年のもの、1994年の物、2000年のものをブログします。

夫は無事退院して、4日目です。そろそろお昼の半固形剤ラコールをあげます。

第22回展  1991年3月〜4月 亥の冨
画廊のオーナー 富子さんと。ニューヨークで制作したコラージュもある
第22回展  1991年3月〜4月 亥の冨
亥の冨 ギャラリーで、左金城  真ん中オーナー  右 福島とみこさん
赤い絵 「マンハッタン」 は佐倉市のコレクター田中智子氏収蔵
亥の冨 ギャラリーで、左金城  真ん中オーナー  右 福島とみこさん
アレキサンドリアで。右 レヒナさん。左はガイド
レヒナさんは日本語を話す。レヒナさんがこのブログを見ますように。チリーに居られる
アレキサンドリアで。右 レヒナさん。左はガイド
2000年8月  日泰華百家芸術大賞受賞の時の北京で。
金城のTシャツは1998年11月キューバに行った際に買った、ヘミングウェイの顔が三点いんさつされたもの
2000年8月  日泰華百家芸術大賞受賞の時の北京で。
2000年北京近郊の万里の長城で  何か面白い事があったらしく
撮影してくださった方ありがとう。
2000年北京近郊の万里の長城で  何か面白い事があったらしく

カンナの花

今日は参院選。後で投票に行こう。
6月1日に一度仮払い機で刈られた東の庭の種々。ここは何も植えていない。以前、ラデッシュやトマト、茄子を植えた事がある。ラデッシュには黒い虫がつき、毎朝退治。トマトは枝をかかないとならないらしく、忍びなさにぼうぼうの
状態になってしまった。茄子といったら、一個の収穫も見ないのに、地面スレスレのところで虫に倒されてしまった。
夫が田んぼに仕立て、畳3枚程の大きさで米を作った時代もあった。ご近所の、かっぱ村仲間が稲刈りをして、かっぱにお供えした。この時から深山紅葉と、もう一本の名前を忘れたが、大きな木が枯れてしまった。水不足になったものか、水が多過ぎたものか、判断できずに、4年前には泰山木の大きな木も切り倒した。夫金城が、もう木に登って枝おろしが出来なくなると言っていた矢先に、脳出血で、入院した。その泰山木は、夫の知り合いがチェンソーで、いとも簡単に切り倒され、北東側にはもう一本の木もない。珊瑚樹や、モチの木も大きくなり過ぎで、ない。
東側にあった松は松食い虫の被害に遭って、処理。銘木にしたかった私はとても残念。その隣にあるモチの木に今
花が咲いていて、青い蝶が来る。午後4時頃には幻想的な場面に遭遇できる。謂わば、日本画の(故)工藤甲人の世界。
この木の下に町内会の防災倉庫があって(置かせてアゲテイル)、時々枝を下ろしてくださるんだけど、ここ2年程、下ろしていないので、多くの花をつけている。
春落ち葉の始末をせぬまま、日々やり過ごしている。

金城は熱が下がって、平熱になったそう。まだ点滴が続いてるようで、ラコールという半固形剤の栄養剤は始まっていない様子。面会が出来ないので午後2時頃に病院に電話で様子を聞く。
頑張れー❣️ という他ない。

オニヤンマ横切りゆきぬ軒下を再び来むを待ち続けたり
外気温温度計見んと窓開く刹那ヤンマの飛翔なるかな

カンナが低く咲いている
カンナが低く咲いている
塩辛トンボ  ずーっと鉄柱に止まっている。
飛んできたオニヤンマ はカメラに収まらない
塩辛トンボ  ずーっと鉄柱に止まっている。
祇園祭りの長刀鉾 新しく頂く  国旗は手作り
89歳の先生がご奉納なさるという長刀鉾のちまき(食べられる方のちまきも届くそうです)
祇園祭りの長刀鉾 新しく頂く  国旗は手作り

  はりつけ

ちょっと持ち合わせの
現金が無くて


支払えぬわが身を床に磔す 
月末前夜 アイデイア無くて
芸術関係の関わる各社に
支払いの出来ない今月の多田祐子

熱中症から誤嚥性肺炎

夫金城はとうとう寝たきりになってから2年近く経過した。近頃は車椅子を借りて、介護車輌に乗り換えたらドライブしようねと、励まし続けてきた。熱中症に注意していたが、背中が暑くなっていて、寝返りの打てない金城の熱がお風呂を貰えない37.5℃を超えてしまった。
ラコールという半固形剤の経腸用栄養剤は吐く事は無かったが、水分を吐いてしまうので、点滴をお願いした。
訪問診療の先生方が直ぐに点滴をして下さって、不足分は OS-1 という経口補水液でまかなった。
7月1日の夜遅くまで眠れずに時に水を吐き、血圧は平常ながら熱が37.1℃〜37.5℃。だんだん心細くなった私は往診をお願いし、夜中も心配で、救急車を呼びたい旨を先生に伝え、0時30頃に救急隊員が駆けつけてくださった。誤嚥性肺炎とのことで、何時誤嚥をさせてしまったものやら、判らない。
この細い坂道はバックで下ってくださって、医師のS氏も救急車が走り出すまで、付き合ってくださった様子がバックミラーでみえ、何時もの
横須賀市民病院の夜間救急診察室に入ることが出来た。
午前2時47分頃にCTへ。ストレッチャーで運ばれていき直ぐにもどってくる。再び治療室へ。
午前4時病室に落ち着いた金城は酸素吸入器がまだ外されていない。
面会が明日からは出来ないので、大丈夫よ、と声を掛けて、お休みなさい、と帰宅。
大分水分不足をおこしているとのこと。脱水症状! OS-1を上げているつもりでも、吐く方が勝っていた。

大勢のお世話戴く年頃の我々二人生き抜かねばと
目眩あるをしばし忘れし夫誤嚥入院させてまたフラフラす

残りのアジサイ
残りのアジサイ
凌霄花 今年もたくさん花をつけてくれた
凌霄花 今年もたくさん花をつけてくれた

同好会 かっぱ村二代目村長の49日

かっぱ村は昭和50年4月に発村した。当時は週刊誌記者だった大野芳が、文学の師である中河与一を村長に据え、自分は助役として遠野市にかっぱ探しに出掛けたりした。ノンフィクション作家として51冊(もっとあるかもしれないのだが)の著書があり、中河与一亡き後二代目村長として26〜7年かっぱ村を引っ張って来た。今年発村から47年目。
参与として走り始めた2年目。5月5日を命日に一期を終えた。肺がんでステージ4だったそうな。癌の著書を多数持つ本人。知人には10月頃までの命かなー、癌は準備ができるからいいよ、と語っていた。
何も知らないわたしは、電話をする時には、今はいいですか?と、聞き、“ 多田さんはいつでもいいよ” というお返事をもらっていたけれど、今思うに晩年であったのだ。“喉が乾いてね、”という時はもはや最晩年。今はもう話をすることが出来ない。かっぱ村50周年記念をどのように計画したものか、三代目村長や、相談役の皆さんとこれからの村運営を考えないとならない。

22日が49日にあたるので、浅草の曹源寺、かっぱ寺で、我々かっぱ村の有志が集まって追悼集会を行う。
宗派を超えて、ご住職がかっぱ村民ということがあってお引き受けいただいた。先代の義勇和尚さんも村民だったのです。
ここかっぱ寺には「安藤広重」と伝えられる紙本彩色軸装の「かっぱ図」があり、また「かっぱ堂」の格天井には
漫画家やらのかっぱの絵があり有名なのです。

大野芳をしのぶ会。明日の昼から始め、かっぱ巻きなどをつまみながら、それぞれの思い出話をしようと思います。
ご霊前に飾りましょうと、我が家の庭に咲いているアジサイを準備している。
今水揚げをしつつ、うどん粉病の虫と蟻を退治中なのです。

山紫陽花の3種
山紫陽花の3種
古いお札
合羽橋 かっぱ寺 曹源寺  とある
古いお札

寒いのです

月例の施設入りしている夫。その夫が居ないので、4日目ともなると家の中が寒いのです。体温36°c のひとりがいるのと居ないのとではかくも室温が下がるのかと、一枚余分に着ています。室温の温度計は24°c 。外は18°c 。今、夜ですが。
この10日間、ここの山に登る坂道が下水道工事で、昼夜24時間車両通行止めなのです。セメント養生に5日間があって、今のところ雨で工事延期ということは無くて、順調に工事は進んでいるのですが、後4日ほど要します。これからアスファルト復旧が終わるまで雨が降らないように祈っているのです。雨が降って、工事が終わらないまま24日が来ると
金城は車が使えないので、車椅子で山坂を登らないとなりません。施設には2日間多く預かっていただいて、これ以上はベッドがない状態なのですから、祈りは必死なのです。工事の人達は、小雨状態の初期のコンクリート舗装版取り壊しを、スケジュールどおり、こなしてくださっていてそれで順調なのですが。
宅配の車も郵便車も、来ません。住民は皆この山の下に設けられた駐車場に停めています。オートバイの人もです。
買い置きをしたつもりでも、3食食べていると無くなり、下まで下りるのが面倒になりつい、野菜不足になっています。
郵便物は郵便屋さんが電話でいるかどうかを確かめてから、運んできてくださる。今日も午後坂の途中まで行って、受け取ってあげたが、大きい箱だとわたしも音を上げる。そんな時は玄関まで運びますと言ってくださる郵便屋さん。
出そうと思っている箱詰めの荷物が2つ玄関に在る。駐車場まで10分。滑らないように明日は日曜日だから、午後3時までには行かないと、と思っている。それに施設に顔を出さないとね。
お天気はさいわいにも曇りマークの連続。降水確率40%の予報。
雨で車が通れない時には車椅子を押してね! とお願いしているヘルパーの力持ちお兄さん、が頼りだけれど、一人ではとてもとても無理な坂道。工事のスケジュール表と睨めっこのこの10日間。半分が終了している。

ここ2日この山坂を下りぬまま 蓮根うどん カルボナーラで    といった具合の怠け者です。

さつき
さつき

ひまわりのくみ飴

ウクライナ支援ということで「ひまわり」
のくみ飴がそのデザイナーから送られて来た。
くみ飴の「ひまわり」平和願い込め
届くを小分け 姪が手つだふ



くみ飴のデザイナー こは「ひまわり」で
贈りくれたり 人にも分けむ
郵便で小詰めでお送りするのですが
少々お待ちください。チョット疲労がたまっています。

わたしの空間

東側の庭が白詰草で覆われている。
奥の方は何やらいろんな草がはびこっている。春の草の丈は夏草に比べて高くない。刈らずにほっぽている。
刈る体力がない。それが本当のところ。
今朝18日のことだが、夫金城が施設にショートスティでいくので、車椅子に移乗するのをやってみようとしたのだが、
右腕にちっとも力が入らずに、残念ながら施設の専門の人にお願いした。そろそろ車椅子に乗せて数10分でも、ベッドから起こそうかと考えているのだが、また床に落としてしまうかもしれないね、と、力無さをガッカリしている。

黄花あやめは次々に咲いてくれる。まとまって咲いていないので、ようやく3本撮影した。

刈られても刈られても咲く
刈られても刈られても咲く
白詰草 
白詰草 
ご近所の人がご自分の育てた花を持って来てくださった
わたしの白詰草も混ぜて
ご近所の人がご自分の育てた花を持って来てくださった