「夕顔忌」
作家中河与一の「夕顔忌」を小田原市のでんじょうじ・傳肇寺で執り行った.祥月命日は12月12日。
その辺りの土曜日という設定にしてある。現役世代はもう極少ないのだが、みみづく幼稚園を経営しておられるので、園児さんたちのお邪魔をしないように、と。お互いにね。
良く晴れ上がった空に向かって大木の一位科、榧の木が迎える。榧の実で作った「おみくじ」が、本堂の祭壇の前の
三方に乗ってあるのを見ながら、御住職の読経を聴く。
再来年が33回忌ということを確認した。
今回は参席者が4名と少ない。年末に近く、諸々とご用のある方が多く、それに皆後期高齢者か高齢者。
中河与一が好きだったレモンイエローの花は買わず仕舞い。
墓前で撮影して、卒塔婆もよく見えるように、和尚さんが真ん中に建ててくださったのも写す。
直会は、街に出て、忘年会を兼ねようと計画したが、4人なので、予約せずに結局はいつものお店に入って
かき揚げ茶そばとか、焼肉定食を注文。
猿渡さんが現役なので、来年のかっぱ村50周年祭(本祭)の計画案を提示。
なんとなくいつものように、お稲荷さまを買い求めて、帰路に着く。
東海道線では、まだ4時前ということで、鎌倉を歩こうということになる。田中さんと私。
彼女はもちろん久しぶりとのこと。私も最近はあまり来ていない。
八幡様へお参り。願い事はせずに、通りますればよしなに。
夫金城とは毎年元日におまいりしていたが、この6年参詣していない。
夕刻というのに、小町通の人出は多くて歩きにくい。
復路は段葛にとって、およそ一時間の散歩。千葉県の中央あたりまで帰るともだちがあまり遅くなっては可哀想。
5時。美味しい料理店に入って、日本食を。田中さんがお支払いしてくださる。彼女は明日がお誕生日。(これを書いているのは12月7日のことなので)
12月8日。覚えていられるのは、姉の結婚記念日で、この日父親が運転していた車が細い川に落ちた。
伯母と叔母のそれぞれの夫を乗せて。おばさんたちは笑いながら、もどって来た。
冬の小川には水が少なくて、ずぶ濡れではなかったが、車の少ない時代で、ちょうど、同じ多田の運転する車が
通って、引き上げてくれたとのこと。分家の人だったのです。
姉は知らずにすみました。開戦の日でもあり、忘れられない12月8日。もう55年ほど前のことでした。
両おばもその連れ合いも、父親も分家の人ももはやもちろんおりません。
6時頃、鎌倉駅を右左の別れ。
歌ができました。
夕月に光り増しくる刻限を
段葛復(かえ)る古き朋輩と
写真は中河与一のお墓です。ゴッホのお墓が気に入り真似をしました。