2000年8月の北京

2000年8月の北京

日泰華百家芸術大展 という展覧会が北京の紫禁城であった。2000年の8月。
このiPadを持つ前のこと。先日9日10日と富士宮市に行った時、話題に上った。
一緒に行った増田家の次男坊、たぁさんのことを母親の恭子さんが、行ったよね!というので、忘れかけていた
北京の旅のことを思い出した。アルバムを探し、開くと、時間が戻る。
強烈に覚えているのは、たぁさんがホテルの寝巻きを着けたら、西郷さんみたいになって、念はず写真を撮ったこと。
金城はもちろん元気で、記念写真になっている。衛星から見えるという万里の長城を見に行こう!と、誘った。
若いたぁさんは大学一年生だったという。あれから24年。
タイランドからは、ソンサワリ王女(現在)殿下の母上様、パンサワリ殿下が、我々と共に、北京にお運びになられた。
パンサワリ殿下のお付きの方が扇がれる羽の扇子では風が弱いだろうと、金城が舞扇を差し上げた、あの旅。
その夕刻にパンサワリ殿下から、お土産を賜った。私までも。
翌年、タイランドに行く時に、新しく買い求めた舞扇を、持参した。前のは使い古しだったから。
差し上げた翌朝のバスの中でパンサワリ殿下は、舞扇を開いたり閉じたりされて、遊ばれておられ、恐縮した。
さて、私はこれも忘れていたのだが、2点出品していた。一点はアメリカの画家で、お医者さんの奥さんである
シンチィナさんが買ってくださっている。
日泰華百家芸術大賞を受賞していることも忘れていた。
中国はオリンピックを前にしていたのに、夜9時になったからということで、文化大臣などが帰ると言い始め、実際に帰られた。賞状の授与は、タイランドのパンサワリ殿下がなされた。
厨房の人たちも消えたが、パーティはまだまだ続く。
お開きのタイムには、料理長やらボーイさんが無事に出て来られ、我々を見送ってくれた。
そんなことが思い出される。
漢方薬屋さんや、お茶屋さんにツァーのわれわれはつれていかれた。
そんな中、たぁさんは弟(2歳下)に頼まれた魯迅の「阿Q正伝」を本屋に探しに行った。
それは一冊にはまとまっていなくて、何やら20冊もありそうな、棚に40センチ以上もありそうだった。
スーツケースにはいりきれない。5〜6冊なら我々も入れてあげる。しかしたぁさんは確か諦めた。
そんな記憶が甦える。
お茶屋さんの庭に旧い小型飛行機が展示されていた。金城と私が写る写真があって、たぁさんは写してくれただけで
自分は写っていない。多分魯迅の本のことを、考えていたに違いない。今思い出すのはそんなことだ。
たぁさんはもう間も無く、40歳とのこと。金城はもはや自力では立ち上げることが出来ない。
そんな時間が流れた四半世紀。行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、つくづく思うことです。

24年前の写真を載せておきます。

紫禁城前
紫禁城前
ホテルの椅子で出発を待つ
ホテルの椅子で出発を待つ
18歳になっていないたぁさん
18歳になっていないたぁさん
2点 出品していました。
2点 出品していました。
西郷どんみたいになって、たぁさん
西郷どんみたいになって、たぁさん
人民大会堂でこれからパーティと授賞式
人民大会堂でこれからパーティと授賞式
人民大会堂の柱
人民大会堂の柱
万里の長城
万里の長城
パトカー先導で行く我々のバス
パトカー先導で行く我々のバス
中国茶のお店の庭に展示されていた飛行機
たぁさんが写してくれた
中国茶のお店の庭に展示されていた飛行機