2007 /12 中旬以降
- 宮城県栗原市有賀小学校
- 16日
- 子供たち小6年生に5年生一人と4歳のゆなちゃんが加わっての絵画教室。お父さんたちは校庭に篝火。お母さん達はお昼のすいとん (方言ではっとう汁)づくり。14人の6年生。まさに“オパール”か“真珠”。はたまた上等な“漆=JAPAN”めいた子供達。知らない
うちに合間をぬって寄せ書きをしていてくれる。隣区の先生(こどもたちが1年生の時の担任)も、おばあちゃんも担任の先生もありがとうございました。勿論校長先生も親御さんにお昼を準備に一度帰られたりと、ありがとうございました。 - 17日
- 帰宅。 弟の運転で駅まで。小雪が舞う。
- 18日
- 多田祐子日曜絵画教室修了証追加分と訂正分作制(名前を一人間違える)お手紙添えて発送。
- 19日
- かっぱ村公報の校正
- 20日
- かっぱ村公報の校正 OK出し
- 21日
- かっぱ村封筒の準備を小林和美さんと。夫は仕事の報告書を。パソコンの前に日がな一日ならずこれから26日まで続いた。
- 22日
- 表彰式&懇親パーティがあり銀座へ。氷雨の夜。 マレーシア大使もお目見え。250人以上のパーティ。私も社会教育芸術家の認定をいただく。楯で。タイランドの子供たちとの共同制作の1回目は夢中になりすぎて独り占めを。失敗。2回目は外から観察。これらの2回の経験が母校で活かされた。
- 23日
- 通夜 追浜へ
- 24日
- 葬儀 追浜へ この夜半から腹痛と嘔吐はじまる。
- 25日
- ノロウィルスと。3日分の薬をいただく。
- 26日
- 腹痛 2日間ベッド
- 27日
- 腹痛残っている。年賀状作制。シュミレーション通りにはなかなか手におえずMr、FUJIWARAにSOS。
- 28日
- かっぱ村公報出来てくる。夕刻より道(我が家の当たりのみ)の掃除。有賀小学校からお手紙あり。親御さん代表や子供達から感想文集。先生からのメッセージ。いつ撮ったのか沢山の写真。新聞の記事。新聞の記事には安心を覚える。説明している暇がないと言ってしまっていた私。絵を描くことが好きになったという子が多くいて嬉しい。また、写真は卒業アルバムに載ることも嬉しい。
- 29日
- 朝の雨上がる。松の枝を剪る。門松と生け花やお墓に。午後お墓参り。その後中川久世さんと かっぱ村公報発送準備を。夜は夫と中川さんの3人で、“ゆうちゃんごはん”でささやか忘年会。 夜中年賀状をポストしに行く。
- 30日
- 午前中換気扇とガスレンジの掃除。力が出ない。夕刻から夫が私の書類の整理を手伝う。わたしも渋々従う。整理整頓は苦手。
- 31日
- 午前中かっぱ村公報発送。2008年1月1日号。銀行が昼12時までだったかもう閉じていて、なけなしのお金でかっぱ村に立て替えるはめに。いつも午前中でおしまいだったかしら? しまったもう少し早くするんだった。その時12時5分。残念。かっぱ村は カードなし。買い出し。いろいろと頂き物があるのに塩とか砂糖、野菜がない。黒豆を煮るときあやまって塩をどっさりこんといれて、夫には内緒でなんとか洗い流してかえって旨い黒豆ができた。更に一度あることは2度ある。豆を(黒豆ではない)又煮ようと一昼夜水に浸して、又塩をどっさりこんといれてしまった。思わず”またー”って言ってしまった。夫、またーって?。聴かなくていいことは聴いている。で前に覚えた技で、旨い豆の出来上がり。(29日のこと)
午後3時半。一色に蕎麦を食べに行く。Mr.FUJIWARA とその友達仲里君、にCA帰りの佐藤昌平君が加わる。混んでいて、30分以上待つ。てんぷらそばと思ったのに、Mr.FUJIWARAがあまりお腹が空いていないとのこと。田舎蕎麦の大盛りに山菜そばや、ざるそばにかわり、夫は旨い酒と酒の肴。今年も良い一年でした。ありがとうございました。夫は夜10時半から神明社に。甘酒を参拝者に振る舞う役員さんの一人らしく、いつもはさぼるのに、お墓参りの時に、31日は大変ですねー、という声が掛かったのだ。
もうすぐ22時。お酒で寝ている夫をそろそろ起こしましょうか。皆さまも良い新年をお迎えください。また来年も宜しく。
かっぱ村
国際こどもふれあい展
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大つごもり