あけましておめでとうございます

1月1日
神明社へ。31日23時45分。夫は既に出掛けている。一人暗い夜道を地元の天照大神さまに元朝参り。すでに多くの参詣者とお世話役の方達が、0時の時報を待っている。ここまでは除夜の鐘の音は届いてこない。太鼓の音を合図に新年が明ける。4番目にお参り。1年間の恙なき生活を願う。神酒と甘酒それにねずみのお守りを頂戴する。夫は午前3時半に帰宅。午後3時過ぎ鎌倉へ出発。同級生のあの有名な漫画家の二階堂正宏氏が展覧会を開催中なので鎌倉駅前の会場に顔を出す。その後、八幡宮に参る。200万人以上の人出の中、夕刻といえども縄規制のため凡そ45分後に漸く本殿前にたどり着く。住所と姓名を告げ今年の安寧をお願いする。夜空が美しい。7時半過ぎ、葉山元町の森戸神社にお参り。こちらでは、世界に貢献出来ますようにとお願いする。元旦3カ所の神様を巡るのは久しぶりのこと。途中でお腹は拵えていたので、バスに再び乗って帰宅。5時間の元旦の散歩が終わる。星がたくさん瞬いて美しい夜空。
1月2日
遅い目覚め。お雑煮で朝の食事。Mr.FUJIWARAと一緒にと思うがTEL繫がらず。二人で兎に角元旦と同じような物を。12時、MR.FUJIWARAが空いた器を手に、新年の挨拶に玄関に立つ。良いところに来た、と言う夫はパソコンで聴きたいところ有り。お雑煮を温めたり、餅が焼き上がるまでの間
パソコンの指導を。田舎から送ってきたお餅は美味しいのでご馳走しがいがある。私も勿論パソコンのHP最終仕上げをしていただく。
さて、次なる絵解きは、三日月を取ってとかっぱにお願い中の“ねずみ”です。まあるい月は既に手中。本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。

2007 /12 中旬以降 

宮城県栗原市有賀小学校
16日
子供たち小6年生に5年生一人と4歳のゆなちゃんが加わっての絵画教室。お父さんたちは校庭に篝火。お母さん達はお昼のすいとん (方言ではっとう汁)づくり。14人の6年生。まさに“オパール”か“真珠”。はたまた上等な“漆=JAPAN”めいた子供達。知らない
うちに合間をぬって寄せ書きをしていてくれる。隣区の先生(こどもたちが1年生の時の担任)も、おばあちゃんも担任の先生もありがとうございました。勿論校長先生も親御さんにお昼を準備に一度帰られたりと、ありがとうございました。
17日
 帰宅。 弟の運転で駅まで。小雪が舞う。
18日
多田祐子日曜絵画教室修了証追加分と訂正分作制(名前を一人間違える)お手紙添えて発送。

かっぱ村
19日
かっぱ村公報の校正
20日
かっぱ村公報の校正  OK出し
21日
かっぱ村封筒の準備を小林和美さんと。夫は仕事の報告書を。パソコンの前に日がな一日ならずこれから26日まで続いた。

国際こどもふれあい展
22日
表彰式&懇親パーティがあり銀座へ。氷雨の夜。 マレーシア大使もお目見え。250人以上のパーティ。私も社会教育芸術家の認定をいただく。楯で。タイランドの子供たちとの共同制作の1回目は夢中になりすぎて独り占めを。失敗。2回目は外から観察。これらの2回の経験が母校で活かされた。

ご近所の訃報
23日
通夜  追浜へ
24日
葬儀  追浜へ       この夜半から腹痛と嘔吐はじまる。

医者へ
25日
ノロウィルスと。3日分の薬をいただく。
26日
腹痛 2日間ベッド
27日
腹痛残っている。年賀状作制。シュミレーション通りにはなかなか手におえずMr、FUJIWARAにSOS。
28日
かっぱ村公報出来てくる。夕刻より道(我が家の当たりのみ)の掃除。有賀小学校からお手紙あり。親御さん代表や子供達から感想文集。先生からのメッセージ。いつ撮ったのか沢山の写真。新聞の記事。新聞の記事には安心を覚える。説明している暇がないと言ってしまっていた私。絵を描くことが好きになったという子が多くいて嬉しい。また、写真は卒業アルバムに載ることも嬉しい。
29日
朝の雨上がる。松の枝を剪る。門松と生け花やお墓に。午後お墓参り。その後中川久世さんと かっぱ村公報発送準備を。夜は夫と中川さんの3人で、“ゆうちゃんごはん”でささやか忘年会。 夜中年賀状をポストしに行く。
30日
午前中換気扇とガスレンジの掃除。力が出ない。夕刻から夫が私の書類の整理を手伝う。わたしも渋々従う。整理整頓は苦手。

大つごもり
31日
午前中かっぱ村公報発送。2008年1月1日号。銀行が昼12時までだったかもう閉じていて、なけなしのお金でかっぱ村に立て替えるはめに。いつも午前中でおしまいだったかしら? しまったもう少し早くするんだった。その時12時5分。残念。かっぱ村は カードなし。買い出し。いろいろと頂き物があるのに塩とか砂糖、野菜がない。黒豆を煮るときあやまって塩をどっさりこんといれて、夫には内緒でなんとか洗い流してかえって旨い黒豆ができた。更に一度あることは2度ある。豆を(黒豆ではない)又煮ようと一昼夜水に浸して、又塩をどっさりこんといれてしまった。思わず”またー”って言ってしまった。夫、またーって?。聴かなくていいことは聴いている。で前に覚えた技で、旨い豆の出来上がり。(29日のこと)
午後3時半。一色に蕎麦を食べに行く。Mr.FUJIWARA とその友達仲里君、にCA帰りの佐藤昌平君が加わる。混んでいて、30分以上待つ。てんぷらそばと思ったのに、Mr.FUJIWARAがあまりお腹が空いていないとのこと。田舎蕎麦の大盛りに山菜そばや、ざるそばにかわり、夫は旨い酒と酒の肴。今年も良い一年でした。ありがとうございました。夫は夜10時半から神明社に。甘酒を参拝者に振る舞う役員さんの一人らしく、いつもはさぼるのに、お墓参りの時に、31日は大変ですねー、という声が掛かったのだ。
もうすぐ22時。お酒で寝ている夫をそろそろ起こしましょうか。皆さまも良い新年をお迎えください。また来年も宜しく。

奥羽鎮護 一ノ宮 勅宣日宮駒形根神社拝殿に参詣

ちょくせんひるみやこまがたね と読むとのこと。太古より日宮と呼称。「日本武尊ご東征の折、大日めの尊外五柱の主神に祈願創建」(めの文字が難しい)とある。駒形嶽=栗駒山の古名を奥宮、沼倉の地に里宮を祀ったと由緒書きに誌され、夥しいご宝物・古文書が秘蔵されている。大和朝廷の蝦夷平定に伴って社勢隆盛。延暦20年(801)坂上田村麿が奥羽鎭定を祈願とある。その他由緒書きによると、仁寿元年(841)年に神階正五位贈、清和天皇貞観元年(849)勅使下向正一位贈称号賜勅宣日宮が史料にあり、延喜弐年(901)神名帳登載。下って?保三年(1743)桜町天皇より御宣命と御宸筆の扁額を賜る。諸々の御神徳があり、分けても車社会の今日、交通安全の神としても効験著しいと脚光を浴びている。
 ということを知らずに、12月15日土曜日の昼前に従弟の鎌田清の運転で里宮の駒形根神社にお参り。有賀小学校の先生のお一人がこの神社の禰冝さん、と前回訪問の折りに弟から聞き、次は是非お参りをすることを決めてあり、従弟と岩ヶ崎の里宮に。宮司のお父上さまはおみ脚が少しご不自由。禰冝の先生は大国の主神のお札を氏子の各家庭にお届け中。もうすぐお正月ですから。お母さまが折良く焚き火をしておいでで階段がおよそ200段あることや禰冝の先生のこと、宮司さんのおみ足のこと等伺う。200段の階段を上って、さア、ここ栗駒山の麓で18年間育んでいただいたお礼やら京都の一ノ宮上賀茂神社さまとのご縁を戴いていますこと、こんなに近くに一ノ宮さまがおわしましたか、知らなかったとはいえご無礼をいたしました。絵を描いておりますが、ロシアのエルミタージュ美術館に収蔵という栄誉をいただいたことなどということをご報告し今後もどうぞよしなにとお願いいたしました。
従弟の清さんは枯れ杉が落ちて階段を埋め尽くしているので、大きな枯れ杉の枝を手にご奉仕の清掃に早移って降って行く。私が声に出してご報告しているのを聴いてはいけないと思っているらしい。下りていくと、お母さまが、パンフレットを手に待っておられ、禰冝の先生の奥様もお帰りになられて、ご挨拶できました。
尚ここ栗駒小学校で、その昔清さんの父上が教頭先生であったことを、おかあさまが話してくださり、やはり悪いことは出来ないという結論でした。

有賀小学校での日曜絵画教室

12月16日日曜日。寒風吹き荒ぶ中でのスケッチ。親御さんたちが迫桜高等学校からイーゼルを借りてきたという具合に気合いが入っていた。子供たちには道具の使い方を教えて上げる絶好の機会かもということもあり教室を出た。風対策を施してくださるお父さんも現れ、篝火を燃やし続けてくださるお父さん方。朝、雪が降り、空気はピーンと張って「禊」以上のきれいさ。しかし1時間半が限界。体育館に入る前に、お母さん方が暖かい飲み物を運んでくださる。ありがたい。体育館に移動して、日曜絵画教室は少し残念ながら、戸外での制作をあきらめる。水彩を施す前に暖房で暖まる。さて、思い思いに、6年間通った校舎に思い出を重ねてそれぞれが描いたスケッチに地塗りをさせる。
子供たちは固まりたいらしいが、自分の心と対話してほしいので、一人になることを強いる。顔が皆違うようにイメージも違って当たり前。それぞれのイメージで出来上がった物を尊敬するのが人間ということを今回は教えたかった。12時。まだまだ終わらないが、お母さん達が昼食のすいとんを大鍋で運んで来てくださる。手作りの熱いすいとん。日曜日返上で校長先生も勿論担任の先生も付き添ってくださっていて、全員のご家族、おとうさん、おかあさん、おばあさんの付き添いもある。(このおばあさんが私の詩集“ペンネーム・河名千絵”の第一と第2の詩集を持って来られた。)5年生の子と4歳の女の子が参加してくれていたから、総勢40人は優に超える数。数えるべきだったと今思っているのです。この子供達が一年生の時に担任だったという隣区の小学校に通う先生も子供の成長が見たくてお土産持参でご参加。熱いすいとんをお代わりして、美味しい漬け物は箸休め。デザートはりんご。一時間の昼休みの後は、温まったことと、元気を付けたことで、1時間程で出来上がる。ちょっとアドバイスを上げてサインをしてもらう。日付も加える。6年生14名に5年生の一人と4歳の子の
16枚の作品を横一列に並べてみんなで改めて鑑賞。同じようなものは一つも無い。
一つの校舎を見て描いた絵にそれぞれの思いを加えたことによって、個性溢れる作品が並んだ。みな優しいことがわかる絵で色調がおだやか。絵が好きという感想文を書いていた子はそれなりのことはあって、頼もしかった。が、ちょっと少しアドバイスを。心に少しのすき間が感じられたから。手作りの修了書を一人一人に渡す。
子供達は絵を描く間に寄せ書きをしていたらしく、温かい寄せ書き色紙を花束と一緒に戴く。午後3時。終了。お父さんの一人に送っていただく。参加した子が3人の親御さんでした。さて、初めの方で新聞社の取材の方がお見えになり、質問があったのでしたが、もう始まっていましたし、寒い中を子供達を待たせられずに、“ 何か応えている暇がないわ”等といったことで申し訳ありませんでした。

上賀茂神社と願成寺と

上賀茂の階(きざはし)のぼる 許されて こなたのみちをこもごもつげぬ・・・・・

吾が夫(せ)なが神馬と写る一葉はひとつの宝参りし証し
(以上平成19年11月3日)・・・・・・・・・

たまさかの約を果たしぬ夢の如 桜の庭に降りたちてみよ
(平成17年4月8日)奉納の日に・・・・・・・・・

培ひし貴き人のみ傍にてひとの虹の輪花なす願成寺
(平成18年11月3日)

心配から生まれるものは何もないと分かりつつーJapan money は何処にゆく

 15年程前の湾岸戦争の時は日本は口出しはせずお金をだした。そのすぐ後エジプトを旅した私は尊敬の念で迎えられた。日本人ということでお金は出すが、口は出さない。エライということだった。三度目の滞米中に湾岸戦争は起こり、その日は私の誕生日だったけれど街を歩いている人はおらず皆テレビの放送に夢中だった。旅行者としての私は、日本はお金なんて出さなければいいのにと思いアメリカに住んで長い日本人は、せめてお金を出してくれないと肩身が狭いと思っていることが分かった。さて、そのお金は出すが口は出さないエライ日本人が世界的に、おそらく世界的にマネーの面で攻撃を受けることになった気がする。“世界に回せ”ということだったに違いない。今、ヌーボージャポニズムが叫ばれていて、北斎に西欧が学んだとき以来の日本ブームだ。
 絵画や書のみならず映画やアニメ、ファッション、茶道、生花の華道、タイコや踊りの果てまでもジャパンウイーク、ジャパンフェスティバル、何々における日本年といった具合で、世界各地で日本の文化が花開いている。今、更に料理の分野が加わった。俳句は既に加わっている。先に国力には文明に文化が伴わなければならないと書いたけれど、兎に角政治と経済、そして芸術は三位一体というわけであろうか、怖ろしい程の日本ブーム。そして世界中の美術品が日本に押し寄せて日本中を駆けめぐっている。
 アルゼンチンに行った時「企業戦士は何処までも行く」ことを知った。日本の企業の大看板が大都会の中にそびえていて、心強かったし誇らしかった。一方文化面では知られておらず、展覧会が開催されたことを嬉しく思ったものだ。
 日本の文化を知ってもらうためにはヌーボージャポニズムはありがたい。なにしろ最後の戦争から60年そこそこで「平和な日本」が現出したのだから。江戸300年や、安土桃山時代も平和・・・茶人の古田織部や千利休にとっては不幸が名を不滅にした・・・な御代であったことが考えられる。
 将来は功罪のどちらに傾いているのだろうか。今のところは分かろうはずがない。
「One world 」が叫ばれている現在を生きている私は、世界が求めているのならば私の絵画を展覧しよう。岡倉天心や大観の時代ではないインターネットの世界に私はいる。岡倉天心は明治時代にボストン美術館顧問として国際的にも活躍した。快挙だ。
 地球温暖化防止、AIDS撲滅、地雷撤去、貧困からの脱却などに対する地球規模での取り組みに、絵画出品を通して世界に貢献しているのなら、お誉めの言葉が出品料に対してのものかも知れない一方で、“多田祐子の絵が何故無い”、“多田祐子の絵がみたい”という主催者側の言葉を頼りや励にして私は私の絵を描こう。
 自分の役割を務めるためには、芝居の全体を知っておかねばならないー老子の言葉からーONE WORLDーの中で。

有賀小学校に再度行きます

11月18日校長 鈴木安子先生からご連絡をいただき、12月16日に6年生14名と共に絵を描くことになりました。謂わば卒業制作です。なにやら子供の数の激減で近い将来には統合がありそうな気配。すると私たちには小学校、中学校、高等学校そして、若柳町まで、その名前が消える。まあオブラートに包まれたといった感じがいいのかもしれない。
それはさておき、それならずとも、校舎 学舎 その周辺を描かせたいという思いがある。もはや寒いけれど、戸外での絵画教室は可能だろうか。翌日から風邪引きの子供が
出てしまっては可哀想。お天気具合、風具合、ぽかぽか陽気を念じている。今日は雪なそうな。昨夜は初雪だったとのこと。いずれ体育館での実行でも寒いには違いない。
男の子8めい、女の子6名のクラスに思い出深い印象の一日にしたいものだ。
 出来ればこの機会に、展覧会を計画したいと思うのは私の贅沢かもしれない。
学校の廊下あるいは図書室のようなところでいいから、私の油絵を10点乃至12点、短い期間で、かまわない。子供達に見て欲しい。わかんなくていい。見るだけで良い。
授業時間を邪魔しようというのではない。やすみ時間にちょっとみればいい。
と思うのですが、運送について考えが及ぶと勢いが消える。
 今日はこの辺で。

上賀茂神社と願成寺と

 京都の東福寺塔頭:願成禅寺の苦労消除祭/阿保親王堂ご開帳は11月3日。紅葉には少し早かったが、夫金城と友人の篠原孝子さん、野崎波津子さん(神戸から)の4人で参詣。2日の午後2時には到着した。篠原さんは、花を生ける小川貴子さん(願成寺の理事)の手元としてお手伝い。金城は何やら諸々。わたしは苔の上に落ちている笹だけの葉を拾い、兎に角庭師のたまごらしいおにいさんの手伝いを。これが大変。踏みたくはない苔。チョツト踏まないと届かない落ち葉。2時間少々の奉仕作業。5時野崎さんの待つホテルへ。夜は小川さんのご案内で庭園の素晴らしいト コ ロへ。
3日朝、はじめに上賀茂神社に。明治節の行事でにぎわう境内。先ず社務所に寄り、お神籤のことやエルミタージュ美術館収蔵の件をお話申し上げる。“うるはしき神のみさとしあるからは万の願ひかなふとぞしれ”のおみくじを引いた翌年にエルミタージュのお話が有った。今回歌をご奉納しつつ、ご報告を、と申し上げる。すると思いがけずも、昇殿のお許しがあって、今しも明治節の式の最中である沢山の神主さんがたがお祈りを捧げておられる近くから、私たちも2礼2拍手の参拝がかなう。その後宝物殿にご案内をいただき真にもったいない朝の出来事。最高のステージを予想しませんでしたから、皆でいいのかしら?いいのかしら?。和歌を準備したこと等金城にも言っていなかったので、社務所に突然消えた私をどうした?と思って呆れていたら神官様の行列のあとから付いて来るように指示があってびっくりの4人でした。
 さて、急ぎ願成寺へ。お寺さんですが阿保親王の親王堂があり“阿保大明神”として祀られ、墳墓もあるのです。もう震えはきませんが、初めて境内に足を入れ、荒れ放題の様子や墳墓まであることで、鳥肌が立ち呼吸が苦しくなり目眩がしました。御可哀想。大明神の祠も実に小さい物で崩れ落ちんばかり。今思っても涙が出そうです。
在原業平、行平、大江音人のお父君。第51代平城(へいぜい)天皇の第一皇子。
桓武天皇のお孫君。今回ホテルの隣が護王神社。桓武天皇をお護りしたという和気清麻呂とその姉君が祭神。なんともいえず京都は難しい。行きたいところが多く、急ぎ行きたいものを、そうはさせてくれないのです。
 とにもかくにも、お隣に桓武天皇ゆかりの神社さん。みんなでお参り致しました。
来年は源氏物語の楽水苑と鳥羽離宮跡にも参ります。そこまで行くと平等院が近い。2泊3日では無理でしょうねー。

モスクワ国際芸術博覧会での賞

Heart art in MOSCOW: モスクワ国際芸術博覧会の賞状が届いた。 文化親善名誉作家認定証とモスクワ文化遺産至宝賞というものであった。 文化親善名誉作家認定証はロシア国立芸術アカデミー総裁のズラブ ・ツェレテリ氏のサイン入り。文化遺産至宝賞はどうも主催者であるHeart art Communication からのもの。日本現代芸術の発展および日本文化の普及に大きく貢献し独創性の高い素晴らしいものとして評価されました。とあった。博覧会全体からの賞状だから文句を言ってはいけない。しかしズラブ氏のサインがこちらにもあったらもっと嬉しかった。 絵は青い月の “嬉野の月” The moon of Japan であった。 ありがとうございました。

掲載の絵が違っていて、「若草」が載っています。本来の絵が載せられず、どうすればいいのか判りません。(修正しました)

佐賀県嬉野別館でのスケッチから
The moon of Japan
佐賀県嬉野別館でのスケッチから

作品を追加しました。

10月31日、MR.Fujiwara の更なるご協力をいただき、作品を旧作に新作を加えて追加しました。あまり多すぎるので、いずれは前ページといった具合にしたいと思います。
 さて、本日は絵画教室を実行してくださった母校の校長先生と全校児童のお手紙が届きました。1年生から6年生までの全員が私にお手紙をくださったのです。教頭先生が
先頭に為られて、何か子供達と共に感想文などを書いていると聞いていたので楽しみにしておりましたら、6冊の文集になって届きました。それぞれの表紙が花束で飾られて。ハートが上下にいつぱいならんでいる。中身の用紙にも工夫があって、柿の実をついばむ小鳥だったり、毛糸かごに毛糸と入っている子猫、靴の中にどんぐりとリス、かごの中の果物、たぬきが両手を広げていたり、栗の実だったり。なんというステキさ。それに思い思いの色がぬられている。あれあれ絵画教室は必要なかったか、と言うほどの出来栄え。参りました。こういう工夫をする時間を持てる児童たちは幸せ。良い母校を誇りたいです。みんな一様に大きな紙にみんなで絵がかけて楽しかったとあって、私もとても嬉しく、文集は宝物になりました。全員のお手紙を読ませていただきました。
 あっ、子供達に運動のことについてはなにも言わずに終わってしまいましたが、運動もとても大切。勝ったり、負けたり、精神性を考えるとき鍛えてくれるのは、勝負事。みんな身体を鍛えて大きくなろう!
今日はありがとうございました。fujiwaraさんも先生がたも子供達も、父兄のみなさんも。