ゆふづつ(夕星)) が見られず残念だった次の日に詠む
かはづの鳴き音
あきらめてしまいました
南から西にかけて小高い山があり木
々で見えませんでした
先日夫が出張中で比較的のんびりした一日、庭の花壇に少しだけ作っているお茶の新芽を摘んだ。てんぷらにして自分だけ食べるのは罰当たり。お茶にした。ほんの40グラムほどの量。普段は京都のかりがねをいただいている。まろやかで夜に飲んでも眠られる。で、今朝は葉山茶を淹れてみた。6月5日に7〜8人集まるので、美味しい淹れかたを研究しよう、というわけ。茶の量と湯の温度の加減がまだ判らない。狭山茶の茶葉。25年程前に埼玉県のある庭先の垣根から実を失敬してきて育てたもの。すっかり葉山茶に育っているはず。かりがねとは随分かけ離れた味。土の匂いが混じっているかな? っていう具合。甘みはある。実験ばかりしていると無くなってしまう量。
さて、今年は紋白蝶、紋黄蝶、蜆蝶があまり飛んでいない。先日黒揚羽が飛んでいて夫に報告したが、なんと毛虫も少なくて、カラーの花が虫に喰われなくて、立派に咲いている。毛虫は沢山いるとおもわず地面に落として踏みつけたりするが、今年は見つけてもそのまま、やり過ごす。紫陽花の葉はレース状になっていて、虫がいるらしいが、今年はやはりそのまま食べさせている。虫の姿が見えないから。いやな寒さが続くので昆虫たちも困っているらしい。そういえば今朝花壇の満天星躑躅(ドウダンツツジ)の徒長枝を
剪定。4本しかないので直ぐに終わる。朝露が蜘蛛の巣にあって、露が顔にかかる。椿と柘植の木は気分が向かずにそのまま。広くない庭。気分が向かず夏草がぼうぼう。
ここまで打つうちに2本の電話。何を書くんだったか判らなくなっている。
明日は望月。晴れるといいのだが。3日月の日にはビーナス(金星)との天体ショウが見られなかった。とても残念。
ところで多田祐子の十八番「ブルーベリー五目ご飯」。よく作り方を教えてって言われる。とても簡単。ブルーベリージャムを砂糖変わりに使用。酢と併せる。ご飯を炊くときに、干し桜エビを少し入れて一緒に炊く。ほのかにご飯が桜色。ブルーベリージャムだけでは色が美しくならない。そこがポイント。五目は別に炊き合わせておく。ニンジンだけは砂糖で堅めに湯がいてザルに入れ粗熱を取っておく。これも色が肝心だから。あとは全部あわせるだけです。
お試し下さい。写真は3月30日に作ったもの、です。
ボッティチェリ没後500年ということでそれを記念した賞「フィレンツェ美の珠玉褒賞」というものが届きました。アレッシオ・ガルヴァーニさんが評を寄せてくださっています。鮮やかな色遣いが巧みと見える作品。この一見無造作ぶりは実は全く無造作ではなく計算され尽くしているはずだ。とあります。「a key」という題名です。「Mitsuko」
を題材にしました。クーデンホーフ・ミツコのことです。明治の御代にオーストリア・ハンガリー帝国の貴族に嫁入った日本初の伯爵夫人の方を鍵仕立てにそして香水の壜もどきにしました。30号です。
4月10日土曜日快晴。坂道の両サイド桜満開の石段を上りきりました。かなりの参拝者が声を掛け合って、下り来る人、上っていく人それぞれが満足顔。私にとっては今回3度目の参拝。夫金城も3度目だそうで、内2回が一緒。この後翌日になったが、片参りではいけませんということで倉敷市の藤原ご夫妻の案内をいただき瑜伽山蓮台寺にお参り。
金刀比羅大権現さまだけでは片参りといことを知りました。ありがとうございました。吉備の児島の霊峰瑜伽山に蓮台寺はありました。奈良時代に行基菩薩が開いたとあります。
一生に一度は参詣して諸願成就を祈る「両まいり」の大権現として信仰されているそうです。先の2度はふたりとも片まいりでしたが今回はお陰さまで「両まいり」ができました。
金刀比羅宮でお参りを終え讃岐富士を背に記念撮影。と、そこで出会ったのがKITA KYUSYU CHAPTER の方々。旗を持たせていただいて記念写真を撮りました。片一方の旗の端を持っているのは同行してくださった方々のおひとり、小川さま。その後ろが児島からの藤原さま。左前列金城。その後ろが香川県の祐子さん。愉しい思い出をありがとうございました。
先日Mr.FUJIWARAがパキスタンから一時帰国。2週間の休暇中には日本列島を西から北へと大移動。丁度われわれも大阪を初めとして四国から京都、さらに福島県や山形県に用事があり、最終目的地二本松市に人を訪ねたが、それが同一人物。二本松市にMr.FUJIWARAは3泊。私たちは2泊。17日の朝は大雪。驚かされたこと夥しい。スタッドレスタイヤをはいていない。タイヤチェーンも積んでいない。25年以上の無事故無違反を誇っている金城としては、運転者の恥として、スタッドレスタイヤにはきかえてこなかったことを頻りと後悔。なんとかなるでしょう、と思っているわたしとは大違い。しかし翌日のお天道様が見事に照ってみるみる大雪は解けたのでした。
Mr.FUJIWARAは休暇の2日間をタイランドに残して関空から帰って行きました。
で、われわれの処にも2泊しつつパソコンのバージョンアップをしてくださったのです。さて、そこでアップに追いつかないことが生じました。プリンターが使えず、コピー機にも命令が行きません。このブログに写真を添えたいのですが、これまでどうりの操作では出来ないのです。
香川県の金刀比羅さまでの出会いをご紹介できないのが残念です。北九州のハーレー・ダビッドソングループとの写真でした。この次に。
香川県の多田祐子さんいろいろとお世話になりました。また今度は東京で。
香川県まんのう町 中津山 西念寺に「母と子」の油彩画をご奉納してまいりました。さくらが満開の時期にあたり上々の晴天。資料としての写真をご紹介します。
4月7日の今日は法然上人の誕生会。法然上人が滞在なさったまんのう町の西念寺さんに「母と子」の多田祐子の油絵20号を奉納させていただく。4月9日に奉納の儀を香川県の多田祐子さんの司会もと執り行う。「母と子」の絵は10年程まえにワーナーブラザーズのオーナーが葉山にいらしたときに、丁度母の日にあたってホテルからアメリカのお母さまに超のつく長電話をしたのです。ホテルをあつらえた友人はたかーい電話代に呆れていたのでした。ご近所のその友人に招かれてご一緒に食事を愉しんだのです。そのときに金城はグレーのネクタイをワーナーブラザーズのオーナーからいただき今も大切にしているのです。で、50才は過ぎて居られる大人が母親には超の付くくらいの長電話をなさったことに妙に感銘したのです。で出来上がったのが「母と子」。法然上人さまの分骨寺。そこにお納めできる縁。有り難うございます。明日から5日間ほど行ってきます。
おぼつかな たれかにいひけむ 小松とは 雲をささふる 高松の枝 法然上人詠 (歌碑があります) 当時から小松の里といわれている
奉納に際して
えにし得て 納むるこの絵 処かな 法然上人 片身のますみ 祐子詠
3月26日、タイランドの芸術大使ソムラップ・キティヤコーン殿下のご来駕があった。タイ赤十字の名誉役員アヌワット・ブーニティ氏を伴われ、タイ赤十字からのナイチンゲール芸術賞を直接お持ちくださり、簡易の受賞式を行った。ナイチンゲール没後100年記念の賞であったが、面映ゆいこともあってご辞退したが、日時が既に決まっていて、
夫と二人で20間は大掃除、清掃に追われた。夫金城も既に3度お二人には面識があって、極めてスムーズにお出迎えが出来、駅頭ではにこやかに挨拶が交わされたとのこと。
この記事が掲載される文化芸術雑誌の発行が6月のために詳細は省かせていただきます。写真を以下にご紹介します。
節分、立春と過ぎ、旧暦の元旦が間もなくバレンタインディと同じ日にやってくる。ギャラリーコンセプト21での展覧会が9日後に始まるが、旧暦の1月5日で翌19日は雨水といっていよいよ春到来。で、ほぼ小品から30号までのミデアムサイズは出来ていて額装中。題名も考えて手持ちの額にネジ釘をというときになって、夢が教えてくれたりするから、色差しをしないと後悔する。色差しを怠ると何時までも夢が消えない。教えて欲しい出来ていない絵の夢がやって来ない。ほぼという理由は2枚出来上がらないから。内一枚は夢で教えられた色彩を乗せているのだが、ちょっと工夫していてこの先を先導願いたいのに、未だやってきてくれない。逆に額装をしようというものにまだまだらしくて夢に見る。といった昨今。
20日4時〜パーティをします。現代尺八の大由鬼山さんに演奏をお願いしました。忙しい鬼山さんが折良く日本に居て演奏を請け合ってくださったので有り難い。
私の絵が屹度引き立ちます。彼のパワフルな演奏に負けないように、やっぱりもう少し色差しが必要といったところ。コラボレーションです。
どうぞご高覧頂きたくご案内いたします。24日は3時までです。どうかお早めにお越しください。毎日会場にてお待ち致しております。