二つの賞が届きました。

 日本とハンガリー間の文化交流〜芸術交流祭が10月にブダペスト歴史博物館で行われ、それに伴っての賞が届きました。ハンガリー芸術文化遺産特別賞というものと、それに添えられた特別感謝状です。特別感謝状はブダペスト歴史博物館館長・ボド・サンダーさんからでした。ブダペスト歴史博物館には以前「らくだ」という題名の油彩画を寄贈したのです。10年程前でしょうか。ハンガリーに最初に訪問したのは、ダイアナ皇太子妃が事故死した年でした。友人と二人旅。ウイーンに宿泊しての一日の訪問。エスカレーターの早いのにビックリ。お土産を買おうにも品数が少なくて、きれいな紙を、ナプキンですが買いました。二人で10000円両替したのですが、5000円ずつ消費するのに、何を買えばいいのか困ったのです。ガーネットのタイピンとか、高価なお土産屋さんに行くことが出来たのは、後に2度行ったのですが、旅行社のガイド付きツアーでした。2度共国際交流展があって訪問したのでしたが、初めの訪問の年から見ると随分街が美しく整備されていました。今年は作品のみの参加でした。担当者さんは「多田祐子」さんはよく知られていて名前が挙がっていたと言ってくれるのですが、全くの嘘をおっしゃっているともおもえませんから、ありがとうございました。
 さて、もう一つは、中国杭州市の博覧会から届きました。「三潭印月賞」という難しい賞でした。これは昨日12月18日に届きました。20000人の中から10人のみ戴いた賞のうちの一つだそうです。こちらも作品のみの参加でした。ここ20年来国際交流展に出展依頼があって、出来るだけ出品してきたが、賞が格別欲しいというわけではない。
大分戴いたので与えて下さるほうでも、賞のネーミングに苦心の様子がみられる。どうかこれからは多田祐子のノミネートは外して戴くようにお願いしたい。制作は卒業はしないが、賛助出品は卒業したい。名誉は盗まれないとはいうものの、器から溢れている。もったいない。でしょ。
 今年もあと12日。春の北青山での展覧会、夏の富士宮市での大掛かりな商店街でのグループ展、秋の宮城県での3つの展覧会と、四国・香川県まんのう町中津山西念寺への奉納、宮城県栗原市沢辺の隋洞山全慶寺への奉納、3月のタイランド王族ソムラップ殿下のご来駕。何時にも増して充実の一年でした。その分だけご迷惑をお掛けしたことが多かったと思います。誠にありがとうございました。

奥飛騨温泉郷

奥飛騨温泉郷
星見むとしずかに起こしくるるひとと
立てばオリオン 西に傾く



払暁のみ空に北斗みとどけし
佇む庭に新雪を踏む



星の空見むとて 起こしくるる女と 
佇む冬の一重が根の夜

奥飛騨温泉郷に遊ぶ

 12月3日出発で飛騨の温泉郷に行く。富士山麓を経由。朝は雨。ずーっと運転は夫任せ。松本駅で一人ピックアップ。ほぼ定刻なのはいいとして、昼にお蕎麦を食べようという私の希望は叶わず。大雨のせいでか前を走る車がノロノロ。40キロ制限を30キロで付いていくしかない長い道。松本駅に約束の時刻に到着するのがやっと。というか10分遅れになったが、新幹線のほうも5分遅れで、寒い中に長い間お待たせという最悪は避けられた。風邪気味の人を。
 さて、奥飛騨温泉郷は4日は雪。初雪を見る。高山まで出掛けた若者達は帰ってくると、高山には雪が降っていなかったという。スリップやらをちょっと心配し過ぎて損をする。夫は雪かき。車の上に積もった雪を下ろしている。
 午後二本松市まで帰る若者をバス停まで送り届けた二人が帰ったところで、ホテルの温泉に案内される。露天風呂は男女混浴。???でしょ。ちゃんと身体を包み込む専用の布あり。ご心配無用。雪山の中で露天風呂。寒かったり熱かったり。上がるとちょっとフラフラ。
地球のひだから飛騨に。奥飛騨温泉郷の焼岳からの温泉で温まってきました。雪が降ったのはあの当たりだけだったみたいで、帰り道も雪は無し。また夫に任せっきりの運転でした。富士山が綺麗に見えつづける高速道路やくねくね道をほとんど眠って帰りました。

信貴山にて

信貴山にて

紅葉狩る 山は信貴山太子吹く
火雲の笛のひびくがに清む
11月15日に詠む

信貴山成福院

本殿に奉納されて寅年の寅の日をお祝いしていました。
私の「青い月・My Birthday」 は前列右です。

平城遷都1300年祭記念御神酒奉納収蔵展
信貴山成福院本殿
平城遷都1300年祭記念御神酒奉納収蔵展

今年の京都嵐山もみじ祭り

 先日届いた写真を掲載します。式典での様子。玉串奉奠を代理人として務める。撮影は岡山県の藤原裕子さん。

玉串奉奠
玉串奉奠
桂川上流での水難事故者供養
散華 
桂川上流での水難事故者供養

我が家の紅葉

 先日奈良県の信貴山に紅葉狩をした。運良く平城遷都1300年記念御神酒奉納の特別展示かと思われる展示に行き合い、「青い雪・my birthday」と題した私のラベル付き御神酒に遭遇。嬉しかった。収蔵展には参加出来なかったから。良く晴れ上がった一日で、紅葉が美しく輝いていた。 
 11月5日〜16日まで、 日・ハンガリー芸術交流祭がブダペスト歴史博物館であったが、担当者からの連絡で、私が「ハンガリー芸術文化遺産特別賞」を戴いたとのこと。
2000年にあった、ハンガリー建国1000年祭の時に請われて一点を寄贈している。4号の小品。「らくだ」という絵。担当者さんの言うことには ただゆうこ はいろんな人たちが知っていたとのこと。誇張としてもうれしい。
 さて、我が家の庭の紅葉も日に照らされて美しい。上手に写せなかったがお見せしましょう。

ポール・アンビーユ氏の批評文

フランス語、英語、そして日本語です。訳してくださった馬郡俊文氏の語彙の豊富さで、アンビーユ氏の詩のような私への餞(はなむけ)でした。
感謝しております。ご冥福をお祈り致します。

追悼ポール・アンビーュ氏

 フランスの美術界の大御所、ポール・アンビーユ氏が亡くなられたとのこと。7月3日がご命日。享年80歳。3日前に知った。沢山の思い出がある。優しい人だった。
1989年にポール氏のクレルモンにある庭園で10号サイズを5枚、4号を1枚仕上げたことがある。雨のときには馬小屋ににげた。2週間のエコール参加。ここから私の絵画が始まったといっていい。なんとか5枚を仕上げようと必死になって、寒さと闘い、筆ふきのペーパーを身体に巻き付けていたが、その紙が脇からはみ出し、恥ずかしいので思わずキャンバスに貼り付けた。コラージュの始まりだった。一枚の5号サイズの絵を提供してくださったポール氏のご褒美の絵をわたしはとうとうじゃんけんで勝ち取った。じゃんけんには全く弱いのに、あの時だけはどうしたことだろう。10人以上はエコールに参加したから、はじめから私に下されるとは思わなかった。今も我が家の他のポール氏の絵画と共にコレクションしてある。最後の日の午後は批評の日であり、じゃんけんの日だった。
 エコールを企画してくださった欧州美術クラブ代表の馬郡俊文氏の名訳と共に次にポール・アンビーユの批評文を披露したいが長いので後で、といことで本日はおわりにします。ポール・アンビーユ氏に感謝の念を表して。

ポール・アンビーユ氏から絵をいただく
後方はポレットさん中央馬郡さん
ポール・アンビーユ氏から絵をいただく