1990年5月〜6月のイタリアの旅

1990年5月〜6月のイタリアの旅

 去る五月に友人の一人がイタリアに行ってきたという話しをしてくれた。急に思い出したのがミラノでの体験。夫と二人で旅をしたのは1990年の事。添乗員なしの全くの手作り旅。トーマスクックの時刻表と電子手帳・翻訳機をともにローマに4日、フィレンツェに4日、ベネチィアに2日、ミラノに3日間滞在した。ローマからは電車でナポリに行き、ポンペイやソレント、青の洞窟にも足を延ばした。ナポリからハイヤーを駆った訳で、いろいろと話しはあるが、青の洞窟に小舟を操って案内してくれた青年はチップをねだるとき、私の手元の財布をのぞき込んで、マダム、と言っては自分の思うとおりのところまで貰おうとした。けしからん!。それにつけてもあの洞窟の碧、蒼、あお。美しかったことったらない。オパールのあの透明な色が洞窟の中にあった。いまだに思い出すことが出来る。ハイヤーの運転手と別れ際に入った店で買った小箱を今も大切にしている。運転手がオルゴールのことを説明しようとしてミュージックボックスという。ミュージックボックス?そんな大きいものは要らない、と思った。とにかく店に入ってみると、オルゴールやさん。どれもけばけばしい。うち忘れられているらしいほこりまみれの一番地味な小さい音のない小箱を見付けて私は買った。
話しが長くなる。急に思い出した話しというのは、ミラノのスカラ座でのこと。講演はなくて生憎と思いきやなんと、小澤征爾さんの総稽古の様子を見ることが出来た。オペラの衣裳などの展示物を見ていてつい劇場を覗いてみたくなった。夫と重たいドアを押し開いて中にはいるとき、警備員さんはOK。ラッキーとばかり、その稽古ぶりを眺めていた。20〜30分過ぎたか。と、突然、なんと小澤征爾さんの登場。今日は総稽古だったらしい。小澤さんが現れて稽古に変化が著しい。奥の方にいた人が前に来たり、歌っている人が変わったり。私たちは時間を忘れて、ドンドンと変わっていく舞台に夢中になった。そしてその時に合点がいったことがある。絵を描いていてドンドン変わっていく事と同じ“さま”によく似ていたことだった。
私は熱くなった。夫にも同意を求めて、「変化は当たり前」を実感。嬉しくなってどれほどの時間が過ぎたものか。ミラノに感謝した。
ミラノは旅の最後。夫の花粉症が突然発作。薬局に私は行かされた。電子翻訳機を手にして“花粉症ですが、薬をください”と示す。その電子翻訳機が面白いらしくて、店中の
売り子さん、薬剤師さんが集まってきた。店の外では夫が何事かと心配している。19年前の話でした。イタリア。ありすぎる話しはまたその内に。