豆冊子No.46. & No.47 を作りつつあります。

11月に入って、今日は文化の日。2階のベランダに秋の初めからいて、ほとんど移動しないで何処に玉子を産み付けようかと、ジーッとしている様子を見ている。近くにいたもう一匹は、何時の間にか姿がない。
午後3:30、洗濯物を取り込もうとすると、タオルに止まっている。ハンガー、針金ハンガーだが、止まらせて移動。
手摺に移して、チョット細い足に触る。小さな目で、キョロ っと見る。寒くなるよ、と言葉をかける。
下に降りて、金城にカマキリの話をする。歌にしたいところだが、まだ出来ない。
若い頃にカマキリの歌をそうとう作った感じがして、ダブりそうな気がするから、気の利いたものが出来るまで我慢。

さてさて、30日から始まる展覧会、第65回展 多田祐子 西山美術館特別企画展 に合わせて、豆冊子を作り始めました。ご来場の方々にプレゼントできたら嬉しいので、これからの数日をかけて手作りします。
2冊になりました。途中で作れず、歌数が増え、分厚くなるとホチキス作業でしくじります。
また、カットしないままでは、見栄えが悪すぎ。
そうじゃなくても、夫金城は、カットすれば! と何時もいうのです。
元気の時にはホチキス作業を手伝ってくれたものだから、私の船酔いは、どうにか軽くて済んでいたのです。
2冊! キットきっと船酔いするはず。どうしても頭が動くのです。

2冊の豆冊子の表紙と裏表紙を掲示します。

をんなの時間さまざま No.46 「墨の香」
をんなの時間さまざま No.46 「墨の香」
をんなの時間さまざま No.47 「送り火」
をんなの時間さまざま No.47 「送り火」

何処に?

昨日、次の展覧会、西山美術館での展示作品を、倉庫から出した。担当者さんが手伝ったくださったので、重たい物を出すのに助かったのです。さて、それで、展示作品の内3点が見当たらなくて、時間切れ。
「タイガー」 「うわさのカーペット」 「I am here」(モノプリント) の3点。
売った覚えは無い。 今日は夫金城が帰宅で、玄関や廊下を広げて、車椅子が通りやすくしないとならないので、
元から置いてある絵を確認しつつ、移動するのだが、あっても「タイガー」と思う。
「うわさのカーペット」は30号サイズ。チョット大きい。モノプリントはニューヨークのワークショップで制作したモノで、売れたのは確か3点。「I am here」はまだ持っているはずなのに無い。探さないと。
そんな10月後半。

今朝は松茸ご飯を炊いた。長野の佐久平で蕎麦屋を始めた友人夫妻が新蕎麦の打ちたてのものを、当日便で送ってくださったが、箱の中身はもう沢山の品々が詰め込んであって、私を驚かせ、嬉しい悲鳴がひとりでに出たほど。
蕎麦三昧の後の松茸ご飯。味付けで処理されていて、うまく炊けました。誰かにお裾分けしないと、、、
さて、作業に取り掛かります。

掲示します作品群は、一応私のシミュレーション。
学芸員数人居られる美術館での展覧会なので必要無い、と思いながらも、いつもの癖で、並べてみないと
気が済まない。この通りでないことは確かです。しかも今現在3点が見つからないのだから。
また探します。

私なりのシミュレーション
右上が入り口です。
私なりのシミュレーション

第65回 多田祐子展の ご案内

町田市の西山美術館での展覧会の案内状(DM) が届いた。
第65回展である。西山美術館特別企画展。期間が一週間増え、11月30日から始まる。
晩秋の武蔵野から初冬の武蔵野。寒い季節の方がどちらかというと好きなワタシ。
汗をかかずに済む。
ご案内にもあるように、エレベーター、エスカレーターが無い。手すり付きの螺旋階段を
上りつつ、オーギュスト・ロダン、銘石を鑑賞しつつ、モーリス・ユトリロの展示室へ。
その奥に多田祐子の展示作品がある。そのような感じの展覧会です。

近日中にご案内のハガキを発送いたしますが、いち早くホームページにてお知らせいたします。
3週間ありますが、月曜日 火曜日 がお休みになっております。
遠いところをもしもお休みの時にお出掛けくださいますとお気の毒。お気をつけください。

ご案内 ハガキ
ご案内 ハガキ
ご案内 ハガキの表面
ご案内 ハガキの表面

後の月

栗名月、十三夜。心配した空模様はどうにかこの山に月が昇ってくる頃には、晴れた。
少し雲がある感じが私は好きなのです。全くの青空の月、これは満月に似合う。
さて、6:00過ぎに外に出て眺めると、既に東の空にかかっていて、木星が寄り添っている。遠い十三夜の月をiPad
におさめ、夫にラコールの夕飯をあげつつ、私もささやかなお夕飯。最近はあの店この店、コンビニでの惣菜に飽き
自分の味で作り置きしている。
土曜日の夜はヘルパーさんのサービスがない。普段は8:20分頃からのおむつ替えだが、ヘルパーさんのサービスがない土曜日は9:00頃に。それらが終わらない時間に電話が鳴った。親戚からの電話で、沖縄から。久しぶりで、つい
長電話。8:00前にも友達からの電話で、これも久しぶりで長くなった。
さいわいに金城は落ち着いている昨今、斜めに見て気をつけながら、自分達も歳をとったという話題。
気を付けよう!ネ、で、最後はさよなら。
この後金城の始末を終え、外に。家に中から窓越しに一応確かめて、全く雲に隠れているなら出ない。
良い感じに雲がある。かなり東から東南に移動している。木星が寄り添っている。
望遠レンズのないiPadで、記録の撮影を。夫にも今夜は栗名月よ、と説明して、映像を見せる。

木星に付き添わせ月東南へバックしてゆくふう十三夜

そんな夜でした。

月の周りで雲が微笑んでいるのがわかります
22:00頃の十三夜
月の周りで雲が微笑んでいるのがわかります

切手

パブロ・ピカソ没後50周年記念 『ル・プルミエ芸術賞』という特集があって、たまさか私の「Stop the War」が
おまけで切手になった。今日23日お彼岸のお中日、お墓参りから帰ると、ポストに何か入っていた。
休日で郵便物は無いはず。クロネコDM便。
これで記念切手は9種類に。
ひとつは日光東照宮から。2016年台北国際切手展では3点の作品が52円と82円のそれぞれで、6種。
内一点は台湾切手にも採用された。台湾切手には図柄の左右に故宮博物院の宝物が切手を飾っていた。
今回は84円の切手である。

先の切手を仕舞い忘れて、見つけられずに、パソコンに入れてあったもので、ブログします。

切手博の82円と52円から
白昼夢 30号サイズ
切手博の82円と52円から
切手博のものから。82円と52円あり
Mr.J 10号サイズ
切手博のものから。82円と52円あり
切手博の切手から。この切手が台湾切手になっている。
桃山  30号サイズ
切手博の切手から。この切手が台湾切手になっている。
今回の切手。84円。
「Stop the War」  30号サイズ
今回の切手。84円。
いつかのお正月・元旦に完売
「差配する角倉了以」 10号サイズ
いつかのお正月・元旦に完売
これは上の「角倉了以」の切手が入って来た特性封筒
これは上の「角倉了以」の切手が入って来た特性封筒

故 梅原 猛氏からのお葉書

梅原猛氏がお亡くなりになってから3年と8ヶ月が過ぎた。亡くなられた時に、頂いていた葉書を探したが見つからなかった。昨日の夜9月17日だが、例によって、探し物の他にその葉書がヒョイっと、現れた。
短い文章の中に、「願成寺には行けません」けれど、とあるが、願成寺とは東福寺の塔頭で、阿保親王の親王堂があり
毎年11月の3日には親王祭が奉納される。平城天皇の第一皇子で、天皇にはなれなかったが、叔母上である桓武天皇の
皇女、伊都内親王との間に在原業平、をもうけた。この親王堂内に多田祐子の「明日会いましょ ここで」の50号
油彩画が収納・奉納されている。一度願成寺にお見えになったことがあって、私が使いをこのお寺さんの理事のお一人から頼まれ、ご自宅へ伺った事があり、のちに多田祐子の画集をお送りしたのだった。
それに対してのお葉書ということになる。
それから三番町あたりでのご自分の展覧会の時に、ご案内状が送られて来た。一年後の春の書店であった。「母心 仏心」。山ゆけば山となり 川ゆけば川となる、 と。

書展で拝見したようなお葉書をブログします。
ついでに、大原野、入野の阿保親王、伊都内親王、在原業平の眠る塔を。五輪の塔。

2008年11月7日の歌から
五輪塔並べたもふて今に至る 語りはなぁに 竹笹の里
                            (をんなに時間さまざまから見つけられませんまま)

梅原猛氏からの、精進を望みます  と。
梅原猛氏からの、精進を望みます  と。
真ん中が内親王、右が阿保さま  左が業平  という。
入野にて・2008年11月7日
真ん中が内親王、右が阿保さま  左が業平  という。
結界のあって、金城は立ち止まる。この後入れていただきました。
私は近くの畑で働くおかあはんに声かけて、お許しを戴く。2008年11月2日
結界のあって、金城は立ち止まる。この後入れていただきました。

受容と信仰  千葉茂氏

昨年9月出版の「受容と信仰」- 仙台藩士のハリストス正教と自由民権- ( 金港堂出版部)の千葉 茂氏から
メールがあって、この奥羽越戊辰戦争三部作完結が、朝日朝刊紙で自費出版特別賞を頂くことになったという
お知らせがあった。選考委員の鎌田慧氏の推薦があったとも。及ばずながら、表紙を使用してくれたのですが、
その私も嬉しい限り。既に次回作に取り掛かりあちこち取材中の、元校長。
授賞式は11月12日なそう。誠におめでとうございます㊗️

表紙は「カルカソンヌの青い月」でした。

千葉茂氏の著書
「朝日朝刊紙 自費出版特別賞」に輝いた「受容と信仰」
千葉茂氏の著書

『MINERVA. 2022』ロンドン

ロンドンのMall Galleries. で8月24日から開催される『MINERVA 2022』にはいかれずに、絵のみ行った。
コロナ・ウイルスの所為で、ツアーもあるものやら、主催者に問い合わせてはいない。いずれ、今家を開けることはできない。
ロンドン・イギリスへは老後の楽しみに取っておこう! と、夫金城もそのつもりで、スペインと共に未だ訪問していない。2018年の10月に脳梗塞で開頭手術をしなければならなくなり、以後歩行出来なくなろうとは思いもしない二人だった。
1994年9月「はる子さん」という絵で、ビジュアルエコロジー コベントガーデン特別賞をいただいた。この頃は、いろんな国に向けて出展したり、ニューヨーク、エジプト、オランダに出向いていて、イギリスへは出展のみになった。

今年、出展したのは「ガト・猫」。2003年4月にタイランドのシラパコーン大学の教材に起用され、教科書に掲載された作品のひとつ。もう一点は「マンハッタン」。この「マンハッタン」はニューヨークで制作した。ちなみに
「ガト」 は1990年8月新宿の文化服装学園で制作。フランスの巨匠ポール・アンビューユ エコールに参加した際に
制作。「ガト」は10月の第20回展 ギャラリー白百合で初展示。1991年1月のニューヨーク展には展示しているかどうか思い出せない。エコールで、与えられているモデルや、画題は無視して、その場にいる自分自身の心持ちをキャンバスにぶつけた。文化服装学園のトイレットペーパーを使ったりして、速く何枚も作り、ポール・アンビーユ氏からの
批評を頂こうと必死で制作。その一枚であって、コラージュの始まりであった。

「ガト」も「マンハッタン」と共に、タナカトモコ氏にコレクションされている。「ガト」は「マンハッタン」と切り離したくないという多田祐子の身勝手によって、今回の出展はお借りしてのイギリス行き。
何せ教科書に載っているふたつなのですから。

「ガト」と「はる子さん」 イギリスで展示される、された2つの作品をブログします。
「はる子さん」は横浜に住む大学の先輩の奥方さまがコレクションしてくださっている。奥方さまは先年お亡くなりに
なられ、私自身も多いに寂しいのです。

ガト  20号サイズ
ガト  20号サイズ
はる子さん 10号
はる子さん 10号
MINERVA2022 文献より
MINERVA2022 文献より

牧野圭一氏の訃報

漫画家で京都精華大名誉教授、京都国際マンガミュージアム国際マンガ研究センター長などを歴任された牧野圭一氏の訃報に、触れた。
「かっぱ」がご縁で、東京の水天宮や、かっぱ龍神祭の夏、古牧温泉で何度かお目にかかり、私が漫画家二階堂正宏氏(文藝春秋漫画賞を受賞)と同級生のこと、故郷が同じで、同じ高校だったことの話から、親近感を持っていただき、写真を撮っていただいた。
その中から、1991年7月下旬の古牧温泉祭魚洞公園での一枚をブログします。31年前。私も若い。牧野圭一氏は53歳。いつもバンダナを愛用されていたが、京都との往復の新幹線の中でもバンダナを巻いておられたかは、知らない。
胃がんのために死去とあった。
かっぱ村の我らが二代目村長 大野芳(ノンフィクッション作家)が、癌の末期を患って手の施しようもなく亡くなって3ヶ月と少し。この夏は、夫の誤嚥性肺炎での入院、下水道工事で日中車両通行止めのこの山の上での生活の難儀と、重なって、何やら自身の身の力が減っている。
もう秋が近い。夫金城もどうにか落ち着いている。
始めないと!  

牧野圭一氏から贈られてきた「マンガをもっと読みなさい」の、養老孟司氏との対談書の扉に、“エルミタージュ美術館収蔵おめでとう”とある。二階堂正宏氏についてのコメントもあって、このことを二階堂さんに伝えたかどうかは定かで無い。二階堂正宏氏は高校の美術部部長だった。彼曰く、私は副部長だったらしい。応援団で忙しくて部室に行ったのは数えられるくらいだ。卒業間近に大きめの絵を描いたことを覚えている。

古牧温泉での一枚です。 撮影者は夫金城。
 牧野圭一氏にはご冥福をお祈りいたします

1991年7月 当時の古牧温泉祭魚洞公園で
1991年7月 当時の古牧温泉祭魚洞公園で
2006年10月発行
2006年10月発行
漫画家らしい文字 
二階堂正宏氏に伝えねば。しかし彼も文藝春秋漫画賞を受賞している
漫画家らしい文字 

古い写真を見つけて

夫金城が誤嚥性肺炎で入院していた13日間、古い写真の整理をした。初めの4〜5日間は目眩がひどいので、静かに過ごし、夫の世話がないことに手持ち無沙汰を覚え、ウロオロ。そんな時、写真の束が落ちて来て、懐かしい❣️
と、手に取って眺め、近くのパッケージプラザで、写真帳3冊を購入。
その中から1991年のもの、1994年の物、2000年のものをブログします。

夫は無事退院して、4日目です。そろそろお昼の半固形剤ラコールをあげます。

第22回展  1991年3月〜4月 亥の冨
画廊のオーナー 富子さんと。ニューヨークで制作したコラージュもある
第22回展  1991年3月〜4月 亥の冨
亥の冨 ギャラリーで、左金城  真ん中オーナー  右 福島とみこさん
赤い絵 「マンハッタン」 は佐倉市のコレクター田中智子氏収蔵
亥の冨 ギャラリーで、左金城  真ん中オーナー  右 福島とみこさん
アレキサンドリアで。右 レヒナさん。左はガイド
レヒナさんは日本語を話す。レヒナさんがこのブログを見ますように。チリーに居られる
アレキサンドリアで。右 レヒナさん。左はガイド
2000年8月  日泰華百家芸術大賞受賞の時の北京で。
金城のTシャツは1998年11月キューバに行った際に買った、ヘミングウェイの顔が三点いんさつされたもの
2000年8月  日泰華百家芸術大賞受賞の時の北京で。
2000年北京近郊の万里の長城で  何か面白い事があったらしく
撮影してくださった方ありがとう。
2000年北京近郊の万里の長城で  何か面白い事があったらしく