YVETTE GIRAUD. イベット ジローさん逝く
8月3日に老衰のために死去。97歳と新聞記事にイベット ジローさんの死亡記事を見た。 私たちはジローさんのゼネラルマネージャー田中朗さんに依頼されて、ジローさんのコンサートを3回主催した。 無類のミュージック好きな夫は、話があった時に、即座にオーケーした。 会場は出来たてのホテルが近所に。直ぐにホテルの支配人にお会いし、快諾を得、1987年の11月11日に第1回目のコンサートが、実現した。 ホテルのロールスロイスで、JR逗子駅までお迎えし,お送りをした。 スイートルームにお泊まりいただいたが、大きな花束はお断り、とおっしゃったジローさん、小さな花束であっても バスタブにお水を張って、花を水につけて帰られた。 コサージとブーケを準備したが、それはお持ち帰りくださって、私を喜ばせてくださった。 翌1988年のコンサートも、同じホテルで開催。 大勢のファンの人たちに囲まれて、サインをしたり、一緒に写真におさまったり、大舞台は無い会場でのコンサートは、肩のこらない、アット ホームな雰囲気漂うシャンソンタイム。 ご主人のマルク エラン MARC HERRAND のピアノは抜群。ご夫婦、とはいえ、私は2回目のコンサートのはじめに 「MARC HERRAND 」という絵を即興で描いて差し上げた。小さな作品だったが、勿論抽象画。写真に収めていなかったらしく 、見当たらないのが残念。 GIRAUD ジローさんが80歳のときに引退公演を日本中で開催なさった時にも、やはり、主催したのだが、1996年12月5日は大嵐の一日。 音合わせをするお二人は、大窓の外で荒れ狂う海の様子を愉しまれて、エランさん曰く「嵐が丘」ですね。このユーモアにはとても救われ たのです。 さて、 この大嵐の台風をものともしないお客様たちは、ずぶ濡れになりつつも、予約の全員が揃う盛況。京都市からのお客さまは、濡れた着物 を着替えられて、変身。ずぶ濡れがシャキッとおなりで、ホテルの人達を驚かせたのですが、運良く、主催の夫、金城が玄関先にいあわせ、 声を掛けて、こと無きをえたのでした。今も時にその思い出を語っている。笑い話になっているのです。 お住まいのフランスのカオールから、度々お手紙を頂きました。必ずお写真も同封されていたので、ジローさん、エランさんのツーショット は数枚あるのです。ジローさんの著書「幕が下りる前に」(1999年11月)の最後の方に「特に記しておきたい方々」、ということで我々も 挙げてくださっている。葉山の画家ご夫妻と。 ジローさんのファンのなかには、遠くで見ているだけで良い、とおっしゃって、せっかく近くでお話も出来る距離におられるというのに、 ご遠慮なさった方がおられました。飛行機で駆けつけられた遠路からのお客さまでした。 ジローさんのコンサートは、本当に愉しいシャンソンの夕べでした。エランさんはジローさんより10歳お若い。お元気でしょうか? 気になるところです。 ジローさんのご冥福をお祈りいたします。