大多和峠に行ってみようと思います
大多和峠には中河与一の歌碑がある。まだ行ったことが無く、当然見ていない。
富山県の有峰県立自然公園の中にあるそうで、岐阜県飛騨市との境、薬師岳が眺められる
大多和峠に「天の夕顔」と題字があり『夜ふかきやまの庵に夢さめて空わたる月を消ゆるまでみし』と歌碑があるとのこと。
中河与一は昨年生誕120年で、夫人の幹子とともに眠る小田原の伝肇寺(通称:木兎寺)でその法要を
開催した。今年も命日に近い土曜日の昼に集まって法要をする。いわゆる「夕顔忌」である。弟子のノンフィクッション作家大野芳を筆頭に
文藝評論家や大学の教授、そしてかっぱ村の面々。かっぱ村の初代村長が中河与一で、その中河を村長に据えたのが2代目村長大野芳である。
今年の「夕顔忌」は、12月8日土曜日だ(命日は12日)。ちなみに“かっぱ村”とはかっぱを探す 同好会で、昭和50年に発村。今年43年目である。
岐阜県の神岡町山之村にある「天の夕顔の主人公誓ってこの地に庵を結んで幻住す」は昭和46年9月に除幕されたが、薬師岳の中途の有峰峠
の歌碑は、昭和37年8月5日に除幕され、中河与一の文学碑としては、2番目のもの。香川県砂彌島の「柿本人麿」碑が昭和11年で最も早い。
全部で21基あり、遠野市の猿ケ石川の「世の常のはめをはづせる河童殿 いたずらしても楽しくあれよ」は2度見ている。
神奈川県山北町洒水の瀧を歌った「一直線に空よりしろく落つる瀧息も止まりて見つつ飽かなく」は、夫と除幕式に招かれている。
青森県三沢市の古牧温泉にあるはずの「年ごとの河童祭はたのしけれ世外の人の集まる二日」は今もそこにあるだろうか。たびたび訪問した。
茨城県牛久市にある「朝夕に芋銭したしみ眺めたる沼の向ふの富士美しき」の歌碑建立の際には我々も僅かながら寄付をしている。
碑の後ろに、刻印されている。昭和63年10月であった。
我々がお仲人をしていただいた昭和51年から42年の月日が流れた。
観光案内の地図を富山県と岐阜県飛騨市から送っていただいた。熊がそうとう出るようである。鈴の準備をした。夫と、一昨年熊を5頭見てから
「蕗」をとりにいくのが怖くなったという神岡町の友人の3人で行くのだが、またご報告します。
写真は我が家の庭のヤマアジサイとノウゼンカズラ。ノウゼンカズラがそのままの大きさでは載らず、写真が段段小さくなった。