きままや 特別展

従兄弟の経営する「きままや」で今日9月11日から10月10日までの日程で、「きままや」第6回多田祐子展を始めてくれました。
小品のみの展覧会です。
宮城県栗原市若柳川北町裏にあります「きままや」は予約制の主の気分次第でお休みも、まちまち。
人口の少ない町ですが、通りによっては電線や電信柱の無いオシャレな田舎です。
新幹線はくりこま高原駅が最寄り駅。東北本線は、石越駅下車です。
迫川という美しい川があり、栗駒高原、栗駒山が有名で、渡り鳥の多く飛来する伊豆沼があります。
9町1ヶ村が合併して、市庁舎は「築館」というところにあります。若柳は一番端にあり、登米市の隣りになります。

一度お訪ねください。といいましても、昼は余程前からの予約で無い限りは、食べさせてくれませんので、ご注意ください。
料理の腕は大したもんで、盛り付けも、諸外国やら、クルーズで食べ歩きをして学んでいるらしく、なかなかです。

またスイス、チューリッヒでのアートフェアーもそろそろ今年の会期です。
スイスにお出掛けの機会がだぶりましたら、覗いてください。6点出品しております。

秋のアート展

画廊企画「秋のアート展」にいってきました。
作家の大野芳氏と、翻訳家のポール・マッカーシー氏が覗きにお時間を割いてご来廊。
台風の風のなか。時折大雨が降ったらしいですが、我々が近くのお蕎麦やさんに昼食の
お蕎麦をたぐっている間だったり、とにかく雨には濡れずに済みました。

作品は2点。薄墨の小品と随分以前の発表して来なかった10号サイズの油彩画。
今綺麗な色の絵の具が手に入らないので、以前のもので出品してあります。

大野芳氏とポール・マッカーシー氏
大野芳氏とポール・マッカーシー氏
小品の薄墨「川底の秋」
左は「コスモス」・非売
小品の薄墨「川底の秋」

シエナ日本美術家協会会員展

今日8月25日も暑い日でした。暑い中「お江戸日本橋ギャラリー」での“シエナ日本美術家協会会員展が開催され、
イタリアからのお客様をおむかえしてのトークが持たれ、批評があったので、出かけてきました。
シエナの作家さんたちの作品が数展あって、お国柄が日本の作家さんたちとはハッキリちがっていて、
その点では面白いことでした。
お二人の博士にお願いしまして写真を撮ってきましたので、掲示します。

多田祐子の作品の前でペトリオーリ博士と
ピェールジャコモ・ペトリオーリ博士はイタリア・ルネサンスの史学権威
多田祐子の作品の前でペトリオーリ博士と
ダニエーレ・サッソン博士の絵の前で/軸。私はもっと左によるべきでした
プリズマ・マルチメディア協会会長/ペトリオーリ博士が師と仰ぐ
ダニエーレ・サッソン博士の絵の前で/軸。私はもっと左によるべきでした
ペトリオーリ博士の小品3点
ペトリオーリ博士の小品3点

歌曲の夕べ

わたしたち
大いなる理解者のひとりとも子さ
んと連れ立ち急ぐ歌曲の夕べ


イタリアンで早々のディナー新宿を
タクシーおごりおもむく初台


エピソード語られ私の「 わたしたち 」
ソプラノ初演先の合唱曲は
今回はチケットを余分に買えませんで、
ご招待いただいた分でのみ行きました。
夜でしたし、私は超の付く貧乏人 なの。

大中 恩の「歌曲の夕べ」

8月9日の夕刻、新宿初台の東京オペラシティリサイタルホールで開催された大中 恩氏の「歌曲の夕べ」
には、友人のとも子さんが一緒に行ってくださった。旧い友人で44年ほど前からお付き合いくださっていて
多田祐子の油絵はたぶん10点以上お持ち。
熱中症で少し前まで一週間入院していたという彼女は、夏風邪も加わって声が出なかったそう。
食欲は少し戻っていて、5キロ痩せたとも子さんを、今が丁度いいから、キープしてという私は、3キロ程
体重を落とさないといけないのに、予約しておいたイタリアンの主があらかじめ作っておいてくださった
サラダ、パスタ、ピザを平らげたのです。
それに京都から届いた出町柳の豆大福を一個持って行って彼女にプレゼント。デザートでした。
まあ食欲は戻っていましたから安心したのです。

さて、6:30開演のホールまでは、タクシーを走らせました。夕刻とはいえまだ暑い新宿の街。
タクシーは裏口に我々を降ろしたので、見覚えのない厳つい建物に、疑心暗鬼。
隣の建物まで歩き、長い通路を急ぎ、地下にあるホールにたどり着きました。

あとは次の短歌でご報告します。

祇園祭りに行ってきました。

15日夜の宵山では長刀鉾に夫のみ上り、女人禁制のため、入口辺りからせっかくのチャンスなので
写真に収めようと待ち構えるのですが、ちっとも此方を向かないのです。
お伴をしてくださっている、お姉さまが一緒に声をかけてくださるのに、聞こえないらしく、しかも
なかなか帰ってこない! 賑やかな祭りでもあるから仕方ないけど、とうとう良い写真は撮れずじまい。
この後女も上れる菊水鉾に3人で上り、コンチキチンとお囃子を始めていただいて、満足。
16日は屏風祭りにご案内いただき、4年前とはまた別の屏風をいくつか拝見。見事な町家のコレクションを
堪能して、マジックショウとゴスペル隊の歌声を楽しみました。大勢の人波をかき分け、迷子にならないように
気おかけ、知り人のお店に寄って、宿に戻ったのは11時過ぎ。
17日。いよいよ鉾の巡行。10時過ぎ、市役所前の交差点に繰り出し、人々の垣根を少しずつ破って見晴らしの利く一番前に。
一昨日に夫が上った長刀鉾が先頭をきって巡行してきます。交差点では、細竹を敷き詰め水をかけてやがて引き手が力を合わせて、鉾を3度にわたって90度向きを変えるのです。技と信頼の見せどころ。
7階建位の高い鉾は、バランスを崩すと全体が倒れる、というので、暑い中、真剣なしかも神事なのです。
たくさんの鉾を見ました。かまきりも神さまでした。蟷螂鉾があるのです。
鉾の進行を指揮する指揮者の腰が入っていない、腰が入っていて美しいなどと、批評もしつつおよそ二時間の見物。
ビルの陰がやがて太陽の巡りで消えるという頃、熱中症を考えて終了。
3日間の八坂神社の祇園祭りを堪能させていただきました。
有り難うございました。

ご案内いただいた方々と町家衆の屏風祭りで
下の階ではゴスペル隊の歌が披露されて、済んだ後の撮影
ご案内いただいた方々と町家衆の屏風祭りで
宵山で
宵山で
鉾の高さ
鉾の高さ

ぐるーぷ企画「Black & White」

ぐるーぷ企画「Black & White」の展覧会が9日から始まる。飾り付けの終了とのことで写メールがあった。
アップします。暑い季節。涼しげな画廊の様子が好ましいです。

各地で水災害が激しい今。人間の無力を知らされるばかりです。
先日岐阜県や富山県にまたがる「天の夕顔の道」を走ってきました。途中青年熊にも会いました。
熊除けに準備した大きな鈴をうっかり忘れてしまいましたが、車のクラクションを時々ならしつつ、友人たちが準備してきて下さったおにぎりや
キムチ、野菜などを広げて道の真ん中でいただいてきました。途中四阿があって、ここでお弁当にしようなどと云っていたのですが、全く違って
しまいました。それも、「天の夕顔」の文学碑に向かおうとしたのに、車輌通行止めにあいました。道は広いのに。
折角来ましたから、歩いて行く、と云う私のために、お昼を食べて行きなさい!と。で、道に腰を下ろして皆でいただきました。
夫と歩き始めて、地図に書いてある距離をもう一度確認、計算し直すと、7.2キロ。2時間近くもかかる。
夫が止めようと云うのに合わせて、引き返し、蕗をつんでいる3人の処まで10分後には戻る。熊が出たらどうする!という夫。ごもっとも。
途中蕗の群生を見つけては、車を止め止め、帰って来ました。快晴の天気。その次の日から雨が来ました。そして各地で降り続き悪さをしております。
川の氾濫や土砂災害に遭われて沢山の人達が災害に困難を強いられておりますこと、お見舞い申し上げます。

中央・シリコンバレー 30号 その右道道 3号 またまた右おもわく3号
中央・シリコンバレー 30号 その右道道 3号 またまた右おもわく3号
スマートシップギャラリーの展示の様子
スマートシップギャラリーの展示の様子

有峰湖までの道

快晴の空の下、友人がご友人二人を誘い、合計5人で夕顔の道をドライブ。
クネクネみちですが。
天空の牧場 山之村で一台の車に乗り合わせ、一路有峰湖へ。
途中で熊に遭遇。わたしは一頭しか見なかったが、みんなは2頭見たとのこと。
有峰湖の湖面は深い木立ちに囲まれて、わずかに木々の間から覗けるのみ。
「天の夕顔碑」に近ずくと通行止めのチェーンが。
歩いて行こうとはじめ考えたが、往復7キロ以上。
中河与一先生には報告出来ないが諦めて引き返すことに。

途中の熊さんを。

熊さん
熊出ると有峰湖への道備へ大鈴持つをうかり忘れし
熊さん
天の夕顔の道標べ
天の夕顔の道標べ
木の間がくれの有峰湖
木の間がくれの有峰湖
通行止め手前で
手作りのおにぎりをいただく
通行止め手前で

 僥倖 ふたつ 

 2017年は日本とタイ国との間は修好130周年にあたった。私は期せずしてラマ9世前プミポン国王の一周忌、日本でいうところの法要を滞在中のブルネイ王国において参列し、白い花を祭壇に手向けることができた。
 駐在ブルネイ国のタイ大使館で、であった。
 ラマ9世プミポン前国王の72歳をお祝いした展覧会が開催された時に、出展要請と共に献上の旨の話しをいただき、宮殿での献上式典の際に私は幸いにも一番に陛下の前に進まされ、献上作品のご説明をした。時の皇太子妃・現ソムサワリ王女殿下芸術勲章を賜った第一回タイ国バンコク芸術博の時で20年前のこと。

 さて今年、2018年6月23日から27日までの短い期間だが、チェンマイ・日本友好美術展が開催された。タイ王朝スコータイからチャクリー王朝に続く780年の歴史を祝った美術展で、チェンマイ市芸術文化センターにおいての催し。あいにく、今年はチェンマイ市には訪問出来なかったが、チェンマイ市芸術文化センターが私の作品を収蔵したいということで、寄贈した。
出展作200点からおよそ50点が収蔵されたという。これまでは王宮や王妃の経営される美術館への収蔵であったが、芸術文化センターという気軽さ。多くの人々の目に触れるだろうことを思っている。また、公共施設というべき収蔵はエルミタージュ美術館を筆頭に21箇所24作品に達し、ひとつの僥倖というべき事柄であろう。

 もう一つは、20才の頃に河名千絵というペンネームで詩を発表していた。
詩集を3冊出したが、その2冊目「ただふたり手をとって」(1975年発行)の中の詩の6つに曲を付けて下さった作曲家がいる。大中恩(おおなかめぐみ)氏。「さっちゃん」「犬のお巡りさん」が特に有名で、今年94歳。
 もう35〜6年も昔になるが、「歌曲」としての譜面をいただいた。手書きの譜面には作曲した日付けが書いてある。1982年12月2日夜半に始まり、1983年12月4日夜半と。そして最後の1983年12月4日とある6つ目の「わたしたち」という詩を8月9日の「歌曲の夕べ」で演奏して下さるという招待状をいただいた。1987年の第44回コールMeg(大中恩の歌だけを歌うコーラスグループ)の演奏会につづいて「わたしたち」は2度目の披露。
 35年も昔、作曲して下さったころは、プログラムに河名千絵の名前が在る時には出掛けて行った。姉や友人をお誘いしたメモがある。
 大中恩氏の奥様、さっちゃんが亡くなられたり、従兄弟の作家・作詞家阪田寛夫氏も亡くなられたりして、随分と月日が流れていった。
 私は詩を書かず、油彩画を世界に発表し続けて今が在り、大中氏はソプラノの北原聖子氏と2004年にご結婚された。
 そして2018年8月9日、東京オペラシティリサイタルホールでの大中恩
「歌曲の夕べ」のプログラムに「わたしたち 河名千絵 詩」が 谷川俊太郎 西条八十 落合惠子 阪田寛夫 高田敏子 やなせたかし という有名人たちと並んで印刷されているパンフレットと共に招待状をいただいた。
(詩を読んでみるともう作れない若い頃の作品。現在は短歌に取り組んでいる)
 僥倖の二つ目である。