豆冊子の表紙

豆冊子の表紙

手作り豆冊子の歌集第37の表紙を掲示します。今ホッチキスで綴じているのだが、時々飽きてしまう。ページを抜かさないように気をつけながらの、単純作業。
一度期にたくさん綴って、最後に残ったページがあったりするとガックリ。で、40冊づつにしている。今のところ単純作業は、大丈夫だが、途中でのれんが汚れているのが気になって、洗濯。布が横に切れている部分を糸でかがったりしている。
田舎、私とは反対に神奈川県から宮城県の栗原市に今住んで居る人から、栗駒山の残雪と、田植えの終わった田んぼにいろんな鳥がエサを探している画面をラインで送ってきてくれて、どうも「金成耕土」とは違う、伊豆沼辺りの田んぼらしいと、思いながら懐かしく繰り返し見ているところ。
で、白い画面に金と淡い緑で描きかけている私の絵のマット状態にあまりにも近い画面にも驚いているところ。
鳥を描いたら、具象画になるからどうしたものかと、ここ4日程になり、すっかり乾いている。思わず絵を撮影して送信した。
鳥を描き入れたら「堀越保二」画伯の真似ということになる。そんな地塗りのキャンバスを今日も眺めて終わったしまった。

さてさて、豆冊子の表紙です。「くえなんだらくうな」の大徹さん。始めの動きは一生の鏡、という意味と読んでいるのですが。間違いないでしょうか?

曹洞宗の高僧 「関 大徹」和尚の書  裏書きは多田祐子の薄墨
曹洞宗の高僧 「関 大徹」和尚の書  裏書きは多田祐子の薄墨