歌人 藤原定家

平安時代から 鎌倉初期の歌人 藤原定家はたびたび経済的に困窮したことが
あったようだ。荘園制の時代で、大洪水による被害や凶作によるものだったが、
定家が母親を亡くした後父親の俊成には頼めずに、腐っていた時があったことなどを
知るにつけ、我々のこの不況状態をどうきりぬけたものか、、、
小倉百人一首で名高い定家に色紙画を描かせたのは、定家の息子為家の舅、宇都宮
頼綱(蓮生入道)であったそうな。
互いに、隠岐の島に流されている後鳥羽法皇に気を遣い、極秘の裡に百人一首の
色紙画は障子に貼られ、京都の嵯峨の宇都宮氏の別荘に置かれたもの、だった、のか。
後鳥羽法皇は歴代天皇ピカイチの歌人といわれていて、定家の才能を高く評価しつつも
相容れない、歌人として、また帝王と臣下という立ち位置からの相違点があり、
定家は臣下として法皇の赦しのないまま、その法皇を敬愛しつつ法皇の死後も生きる
ことになった。父親俊成は92歳で没し、自らは80歳まで生きたが、とても多くの病持ち。
後鳥羽法皇は隠岐の島で19年、宝算60。在位は15年、高倉天皇の第四王子。
鎌倉幕府、実朝、藤原頼経(摂関家から出された将軍)の時代を共に生きる。

藤原定家のことを少し知りました。

昨今の絵を数点アップします。

向きを変えました
ともしびの花
未定 6号
戦うわたし 6号