ダイアナ に寄せて

アルマ橋ダイアナ沈めさびしかり遠くのぞめるエッフェル塔も

1997年のフランスにおける日本年記念で南仏のミヨー市で”日仏芸術と音楽の祭典”が
ありフランスに行った。時期を同じくしてアートネットアカデミーヨーロッパ巡回展が、オーストリアのウイーン郊外であり、早めにパリに行き、ウイーンに向かったが
パリーではダイアナがアルマ橋で事故にあい、亡くなられたばかり。私もアルマ橋に
弔問の心で佇んだ。あれから10年がすぎた。今年ワインのラベルコンクールのような
ものが、ジャンヌ・ダルクの日に行われ、「ダイアナ」という絵を出展。シャンゼリゼ
芸術ワイン大賞をいただいた。賞状にはパリに新たな仏日の友好をもたらすべく高尚
な芸術を発表した、とある。絵は”エンドレス・ラブ”という副題があるのだが右サイド
の色は事故の深刻さを表現した。アルマ橋の悲しみである。赤はラブそのもの。
美しいダイアナを失ったのだ。
もうすぐ暑い夏。夏はダイアナの事故を思い出させる。

上賀茂のみ社に引くみくじには萬の願ひ叶ふとありし /祐子

今もこの内容のお神籤はなくさないように大事にしている。あれからも上賀茂神社を訪れることが
あって、ありがたいことに一人の宮司さんに顔色を読まれ、何か?と問われました。エルミタージュ美術館収蔵の後のことで、このことの報告ができたのです。多分普通は宮司さんに階段の
途中で報告する、などということはないのでは。
 うるはしき神のみさとしあるからは萬の願ひ叶ふとぞ知れ   
というお神籤だったのです。そのときはあまりのラッキーに驚きました。
一宮の上賀茂で1番みくじをひきしかも、大吉だったのです。
神社のどこかに結び付けて帰った方が良いかと、社務所の方に問いました。
持ち帰ってくじけそうになったときには開いてみてお力を戴いてください。
という返事でした。
あれから2年半ほどが過ぎました。今も無事に”進歩”している?  かしら?

所感

 2007年、H19年はおよそその半分がすぎようとしている。 
 今年はこれからの展覧会や出品、その他の行事に加えて、京都は嵐山に再建される
”角倉了以”を祀る寺院に奉納する絵の完成を目指す。
 京都の寺院への奉納は阿保親王堂(願成寺・東福寺塔頭)以来。文化を手堅く守護して隔世に渡り伝えくれる王室や皇室、寺院、美術館に収蔵され、または荘厳としていただくことで、私の分身というべき絵画に”1000年の夢”を見続けさせることが出来る。
日々精進したい。日々の精進はひたすら創作だけに向けられておるから、連れ合いには誠に身勝手極まりない仕儀である。
 さて、タイ王国には既に10点近くの絵が渡っている。16年前(’91年6月)にペルーのリマ美術館に入り、続いて’94年4月に上海美術館に、そして昨年エルミタージュ美術館に収蔵された。小品だが、ハンガリー共和国の国立民族学博物館にも寄贈のチャンスがあった。2000年2月のことで、これらすべてのことはおそらく”ご縁”があってのこと。
 京都の阿保親王堂への一件も、これからの角倉了以のお寺にしても戴いたご縁を大切にして進めていかねば。感謝。

クロスロード展

上記展覧会に出品する。チャリテイ展だ。6月19日〜24日まで。静岡市の
静岡アートギャラリーにて。出品作は「白昼夢」30号。
日本盲導犬協会&「第7回国際アビリンピック」に収益の一部が寄付される。

6月6日

汽車の旅となりあわせてこの6日31度の結婚記念日

今日は31年前に、葉山マリーナで結婚式をしたのです。朝禊ぎのように大雨が降りましたが、カラッと晴れ上がった良い一日でした。
 中河与一、大浜英子さんにお仲人をお願いしたのですが、勿論お二人とももうずーっと天界にお住まい。
あの頃3歳半の姪が今やはり3歳半の娘をそだてている。おまけに2ヶ月の息子を抱えて。
31年は短くもあり、ながくもあり、ですね。

6月4日

今年は沢山咲いたカラーが終わり、あじさいが 咲いています。我が家の庭は草が
いっぱいでそよ風に揺れています。

等々ホームページができました。

5月の小坂サロンでの展覧会が終わり、梅雨に入りそうなので、例年の夫の会社の経理に入りたいと考えております。。一番苦手な分野の仕事です。いつも時間がかかります。
終えましたら、いよいよ9月の展覧会に向けての制作に拍車をかけます。