故 梅原 猛氏からのお葉書

故 梅原 猛氏からのお葉書

梅原猛氏がお亡くなりになってから3年と8ヶ月が過ぎた。亡くなられた時に、頂いていた葉書を探したが見つからなかった。昨日の夜9月17日だが、例によって、探し物の他にその葉書がヒョイっと、現れた。
短い文章の中に、「願成寺には行けません」けれど、とあるが、願成寺とは東福寺の塔頭で、阿保親王の親王堂があり
毎年11月の3日には親王祭が奉納される。平城天皇の第一皇子で、天皇にはなれなかったが、叔母上である桓武天皇の
皇女、伊都内親王との間に在原業平、をもうけた。この親王堂内に多田祐子の「明日会いましょ ここで」の50号
油彩画が収納・奉納されている。一度願成寺にお見えになったことがあって、私が使いをこのお寺さんの理事のお一人から頼まれ、ご自宅へ伺った事があり、のちに多田祐子の画集をお送りしたのだった。
それに対してのお葉書ということになる。
それから三番町あたりでのご自分の展覧会の時に、ご案内状が送られて来た。一年後の春の書店であった。「母心 仏心」。山ゆけば山となり 川ゆけば川となる、 と。

書展で拝見したようなお葉書をブログします。
ついでに、大原野、入野の阿保親王、伊都内親王、在原業平の眠る塔を。五輪の塔。

2008年11月7日の歌から
五輪塔並べたもふて今に至る 語りはなぁに 竹笹の里
                            (をんなに時間さまざまから見つけられませんまま)

梅原猛氏からの、精進を望みます  と。
梅原猛氏からの、精進を望みます  と。
真ん中が内親王、右が阿保さま  左が業平  という。
入野にて・2008年11月7日
真ん中が内親王、右が阿保さま  左が業平  という。
結界のあって、金城は立ち止まる。この後入れていただきました。
私は近くの畑で働くおかあはんに声かけて、お許しを戴く。2008年11月2日
結界のあって、金城は立ち止まる。この後入れていただきました。