膝の痛む富子さん

2022年の7月18日にブログした市川市の富子さんが痛む膝を抱えつつ、展覧会に来てくださった。
慣れない小田急線を、下車駅を間違えなかったものの、乗り換えの方向を間違えて引き返して来てくださった。
途中疲れ果て、お茶をしたりだったそうで、私もちょっと心配してドキドキしはじめ、ラインで大丈夫? と聞いたりした時にちょうど階段を上って来られた。ニューヨークでの展覧会の後直ぐに個展を開催してくださった人。
数年前に下北沢の個展会場にもいらしてくださった。
積もる話をして、絵を見ていただいて、ユトリロの部屋3部屋も鑑賞いただき、もはや時間的に入場者は望めないと
美術館を後に。私が毎日通る階段路を使って下る。近道なもので。膝のために痩せなさい、と、医師に言われてるそうな。そういえば階段を上って来られた時、実は富子さんと分からなかった。マスクのせいもあるけど、帽子をかぶってもいて、オーバーコートのせいもあり、太めの人になっておられた。
私のことは棚に上げて、ちょっと痩せないとね!などと階段を降りる。途中で後ろから私をスマホで撮影してくださる。一緒に下りる人は居ないので、これは貴重な写真になったのだが、髪の毛がこんなにグレーとは気が付かずにいた。毎日大き目の夫のコートを着けて通っていたが、コートの色は黒。濃紺にも見えたりする。
先程、19日の夜、写真をラインしてくださった。FacebookやInstagramにも載せてくださって、広報していただいた模様。
その近道を下りている私の後ろ姿を掲示します。父親の背中に似ていて少し丸いのです。

この後一緒に新宿周りで帰宅を決め、お夕飯をうなぎにして、ちょっと目眩があるから、滋養を摂り、ゆっくりと帰ろう!と、新宿湘南ラインで帰ったのでした。藤沢、大船経由では3回乗り換えがあるのです。
若者たちの多い小田急線、富士山の見える小田急線、疎林の見える小田急線、15日間のうち一日だけ帰りを逆方向にしたのです。
総武線で帰られる富子さんと、新宿駅の雑踏の中でお別れしました。同い年。6ヶ月おねぇさんです、富子さんのほうが。お互いに少し体重を落とそうね!ハハ!  膝のためです。

階段を下りるところを。貴重な写真。こんなに髪の毛がグレーだなんて。知ってよかった。
階段を下りるところを。貴重な写真。こんなに髪の毛がグレーだなんて。知ってよかった。

3週間

西山美術館での展覧会
三週間夫のコートであらかたの
日々を通ひしこの展覧会



大き目の肩幅気にせず行こうね
と一緒のつもり電車とバスと
施設にお世話をいただいて私は
個展会場に通った。展覧会に行
かれないときっと金城は
悲しい思いをしていたはず。
クリスマスイブの日に帰宅する

終了

第65回多田祐子展 西山美術館特別企画展 終了です。コロナ禍、遠方の方が多いこともあって、青山当たりでの開催とはご来館数が少なかったのですが、師走でもあり、知り合いにご高齢者様が多いから仕方ない。三週間で、正解だったかも知れません。
始まりの頃に銀杏もみぢが美しく坂道を彩っていたものが、最後の方ではもう散り来る葉も無く、車に轢かれた銀杏も無い。
遠く京都から来て下さった師匠(諸事の)。その師匠の周りの方々。先輩後輩(高校や大学の)そして現役の学生さんが多かったです。選択科目で美術を取ったという大学生が、10人以上はいたでしょう。お若い方々に知って頂けて嬉しい。
ユトリロさんの絵が目的で来られ、ついでに知って頂けました。
もちろんこれまでに見ていただいている同業者の芸術家、そのご家族の方にも初めて見ていただいた方もおられました。
毎朝、ロダンさんやユトリロさん、ユトリロのお母様にも挨拶をし、夕方もまた明日、で帰りました。
今日は夕刻4:00頃に、西山美術館館長西山由之氏が現れました。庭仕事を一時お止めになって。
エプロンのポケットに、ハサミが入っていたりして。
こんな格好でと仰るところを構わずに、記念の写真を撮らせて頂きました。
ブログに載せることを了解得なかったのですが、載せます。
そして朝夕上り下りした坂道からの夜の始まりを。

三週間ありがとうございました。お暇の直前に副館長西山夫人にも締めのサインを頂戴できました。

ダスキンの創業者 西山由之氏
エプロンを外して
ダスキンの創業者 西山由之氏
金色に塗られた「考える人」
バスの窓からよく見える
金色に塗られた「考える人」
お客さまをお見送りしてのち
帽子の前には西山美術館 と刺繍してある. チャンピョンカラーの黄色イエローの出立ち
お客さまをお見送りしてのち
ちょっとはまじめに
ちょっとはまじめに
石段を降りているうちにすっかり黄昏れました
石段を降りているうちにすっかり黄昏れました
バス停綾部の付近 坂の途中から
バス停綾部の付近 坂の途中から
黒門 ここを潜るときには自然とお辞儀する
黒門 ここを潜るときには自然とお辞儀する

西山美術館特別企画展 最終日

3週間に及ぶ企画展が、最終日を迎えた。初日から時間通りには来られず、いつも30分位遅刻の多田祐子。
今日は日曜日のせいか、葉山も逗子も道が混まず、更には駅に一番近い駐車場が一台空いていて、ラッキーなことに
スムーズに駅に到着。いつもよりも早い電車に乗り、藤沢での乗り換えも時間のロスが無く、美術館に到着した。
庭園の大銀杏の木は葉を落とし枝のみ。隣の柿の木も残りの柿は鳥の餌になったらしく、裸木に。
毎日のように往復した小道の階段を撮影しながら登る。丁度バス停で行き合ったご案内ハガキをお持ちのひとたちにも
この階段を教えてあげてご一緒に上った。ちょっと近道になる。疎林の中に置かれた「考える人」が背中を向けている。それを横目にして左手に折れ、格子戸があり、今日は既に開いていて到着。
この疎林に置かれた「考える人」もそうだが、全体が金色。この金色の「考える人」がバスの窓からよく見える。
なにしろ金色なので。眺めつつクスッ!
今のところ何方もお見えにならないので、この美術館の庭園等をアップします。
ユトリロの部屋やらロダンは撮影禁止なので。

大銀杏は裸木に。隣の柿の木も。
大銀杏は裸木に。隣の柿の木も。
車道
陽光を写しましたネ。
車道
私が昇り降りする階段  夏はきっと涼しいはず
私が昇り降りする階段  夏はきっと涼しいはず
疎林の中の少し小さめの「考える人」
疎林の中の少し小さめの「考える人」
ここで収穫された銀杏や柿の実
ここで収穫された銀杏や柿の実
田邊周一氏 青木幹枝氏(田邊幹枝) 多田啓二郎氏(町田市在住)
11月9日に小山市から。田邊氏も多田氏も田中一村(奄美でお亡くなりの画家)の関係。
田邊周一氏 青木幹枝氏(田邊幹枝) 多田啓二郎氏(町田市在住)

昔の作品

昨日いらした人が昔お買い上げくださった作品の資料、有るようでないようで、、、、。
ご面倒でも写メールをお願いした。
今個展会場の美術館に、ひとしきり居た人々が切れて、椅子で居眠りをしていると、iPad が音を立てた。
そうそうこれね!と、Piga原宿画廊、1998年第29回展でお買い上げいただいた4号サイズ。
とても珍しい作品と思う。枯れたひまわりの絵。
アップしておきます。

残花
残花

bun-ten 通巻80號刊行記念ベストセレクション展終わる

表記の展覧会が日本橋で開催されていて今日までの展示。担当者のNさんから電話があるが、個展中のことで、
日本橋までは行かれない。西山美術館がお休みの日に行こうと思ってはいたが、午前中はダラダラ。
午後3:30からの施設の夫との面会があり、面会はほんの10分なのだが、日本橋まで1時間かかる。
あいにくと行かれず仕舞い。
先日西山美術館に来てくださった入船にお住まいの人にお願いした。是非にも行ってくださるようにと。
14日に行ってくださって、写真が送られてきた。「元禄」を出展してある。
今日でお仕舞い。

「元禄」 を掲示します。

「元禄」 6号サイズ
bun-ten通巻80號刊行記念ベストセレクション展
「元禄」 6号サイズ

漏れている作品を入れました。

展覧会期間中に制作年を聞かれることがあって、出品目録に記載されていなくて、ブログから拾っている。
「森のサングラス」と「雨宿り」が載っていないことに気づいて、今会場で人が切れた隙に載せました。
照明が薄暗いので、明るく写せません出したが、記録としては大丈夫でしょう。

朝バス停で、知り人と?チラチラまなじりを向けたのでしたが、違うのか、こちらをみてもらえませんでした。
よく似ているけど、お兄さんとか弟さんということもあるから、とバスが来るまでの5〜6分、違うのだ! と
もう見るのをやめたのです。バスが来たので、先にお乗りいただくために、促しました。降りる時になって、先に降りた私になんと、多田さん、と、呼ぶではありませんか。やっぱり思った人だったのです。マスクのせいで、違うかな! と、思ったのでしたが、やっぱり!かっぱ村のお仲間でした。

ご一緒に坂道を登り、途中から私が選ぶ細道を登っていただきました。
ご覧いただいておりましたら、ご婦人が入られて、しばらく見てくださり、ありがとうのご挨拶もそこそこに
「焼岳」で見ました、と言われ、お手紙とお手製の布草履2足を頂いたのです。
「焼岳」には200点近い作品を飾らせていただいているのですが、とてもお気に入られたご様子で、
息子さんにホームページを開いてもらって、予習して来られました。
遠く伊東市から。「多田祐子」を知っていただきました。

その後大学生が来られ、この作品は何時ごろのものかという質問。
出品目録に制作年を印刷していないので、あらためて、調べて、記入。
そういえば「そこはかとない喜び」も載っていないかも知れません。
今さつえいします。

「森のサングラス」
「森のサングラス」
「雨宿り」
「雨宿り」
そこはかとない喜び  6号
載りきれずにトリミングしました。
そこはかとない喜び  6号

第2週目

今日は1時間早く起き、余裕を持って美術館に入った。
何せ、名刺入れをお届けくださるというお若い女性。拾ってくださって、電話連絡を架けて下さった。
お待たせをしてはいけない。それに京都の師匠が来られる。師匠、諸々の諸事一般。89歳。
坂道は車で来られたから安心。お二人のお友達というかお弟子というか、お三人さまで来られた。
まず初めに来られたのは、アート関係の人。次に宮城県の高校の先輩と後輩。遠路を。
で、名刺入れをお届けくださる方が来られ、名刺入れに添えて、温泉の素を頂く。お疲れでしょうからと。
無事に西陣織の名刺入れが戻る。全く有難い。
さて、京都の「金城を弟君」と言ってくださる小川さんが、お二人を供に到着。そーっとはいってこられる。
相前後して、髙橋ご夫妻が入ってこられ、小川さんも髙橋(奥方の方)さんも田舎の我が実家を知っておられる。
小川さんはお泊まりした。髙橋さんは餅をご馳走になったと言っている。

さて、小川さんとご一緒に来られたお一人方は、仙台市内にお住まいだった舞踏家でキュレーターの故小山朱鷺子氏の
お弟子さん。只今は小川さんの舞を加えられ、方々でご活躍。
「桃山」の前で、小山朱鷺子さんが舞ってくださった話をすると、私も舞うわ! と。
お声の美しいこと。その御自分のお歌で六分半、舞ってくださった。
観客は小川さんを入れて6名。即興を堪能。

その後も数人ご入場。今日は大学の後輩も来てくださって、本当に凄く珍しい一日だったのです。
舞の一コマをアップします。

アップしますと言いながらそれが出来ませんでした。
どなたかに教わって、それからになります。

そうそう、髙橋ご夫妻は、パリーのカルーゼル・デュ・ルーブルでの展覧会の時にも
お二人で来てくださったのでした。
日本から貴女は来たり背の君と遥かに日取りをこの日と決めて
      ーをんなの時間さまざま22よりー

常見さんの舞が始まる
常見さんの舞が始まる

名刺入れ落とす

12月3日土曜日だった。鶴川駅からバスに乗り、西山美術館近くのバス停綾部で下車。Suicaで。両手に荷物。
向こう側に道路を横切って、Suicaの入っている名刺入れを、取り敢えず、本来のところではなく、お弁当を入れてきたトートバッグに入れる。展覧会を開催中の西山美術館に到着。生まれ故郷の先輩ご夫妻が来てくださって、またさらに旧い知り合い、金城の仕事関係のご夫妻が
遠く江戸川区からお越し下さった。その後も多くの方々が見てくださった。ユトリロさまのお陰。
お昼ご飯を使う時になって、いただいているお部屋で、名刺入れが無いことに気がつく。それから、もう一方のトートバッグを探しても無い。夕刻早めに美術館を出て、歩いてきた細い階段道を一応目で探しながら下る。4:30を過ぎると暗くなるばかり。大銀杏の落ち葉黄葉
の上に落ちていれば黒い名刺入れは見えるはず。無かった。
で、土曜日の帰りと日曜日の往復路は現金で切符を買い帰宅。美術館の受付の方たちにも一応気にして置いていただく。
Suitに残金はないに等しい。しかし最近いただいた人様の名刺が入っていたり、何よりお気に入りの名刺入れ。
黒い西陣織で、銀色の糸で京野菜が刺繍されている。祇園祭を見学した夏に購入。夫と屏風祭も経験した年。
だんだんにあの細い小道で落としたに違いないと思い始めていた。
今日月曜日。午前10時頃。電話が鳴る。ただゆうこさんですか?
名刺入れを拾ってくださった方からの連絡電話。もう嬉しいったらない!
イチョウ落ち葉に隠れたり、風で現れたり!だったに違いない。拾われた方もなんだろう?と思ったそうな。
今日月曜日と明日火曜日は美術館がお休み。さいわいなことに西山美術館に近いところにお住まいとのこと。
その時もお散歩中だったそうな。
水曜日に美術館まで、届けてくださることで、電話を切ったが、本当に嬉しい!!!
バスを降り、細い小道を通って良かった。近道なのです。三角形の二辺の和、他の一辺より長い、と。

水曜日が楽しみなのです。歌

名刺入れ拾いし人から電話なり 粗忽者のわたし限りなく嬉し

その日はこんな状態だったのです。
豆本に弁当小分け飴大荷物譲られし席ありがたく受く

見事な大銀杏  
右下にわずかに西山美術館とみえる?見えない?
見事な大銀杏  

bun-ten80號刊行記念 ベスト セレクション作家 という賞

今町田市の西山美術館で展覧会を開催中。4日目が過ぎた。今日はなんとかご案内を差し上げた方々がいらしてくださって、退屈無しで終了したのです。昨日は、早朝のサッカーの勝ちというめでたい現象で、寝不足のせいでしょうか?
夕刻になってもう終了という時刻が近いところに何人か入館なさって、私は帰り支度。多田祐子のことは知らないひとたちで、ロダンやユトリロが目的のご様子。そのまま帰宅。実は私ももう眠かったのです。
今日、多田祐子の展示室にはいってみると、お一人様が見て下さっていて、サインが有りました。
ありがとうございました。
本日は、ご夫婦でご来館くださった方が二組。学生さんがおふたり。ひとりの方も。
そして急に6人さまが来られましたが、皆さん別々の模様。
その後も何人かお入りくださって、今日は多くの方々に見ていただきました。

帰宅して届いた荷物の一つが、「認定」証。ベストセレクション作家(bun-ten 80號刊行記念)
とうたってある。優れた表現と技術を称え、とある。いつも態度の悪い多田祐子は、絵は、褒められる。

証を掲示します。 それと先輩ご夫妻。

佐藤二三男夫妻(一つ先輩)
私の姉の乳兄妹 私が生まれて姉は二三男さんのお母さんからおっぱいを頂いて育った
佐藤二三男夫妻(一つ先輩)