• 145.5cmx112.1cm/oil on canvas/1987年
  • 100 x 100cm / 1999
  • 100 x 80.3cm / 2000
  • 53X45.5cm/ 2007
  • 13 × 11cm / oil pastels on paper / 2012

行く年 来る年

後2時間で2018年・平成30年が終わる。
何をしてきたか忘れてしまっている。20109年は亥歳。私は何度目かの“年をんな”。
まあ適当に良いことがありますようにといったところ。欲張ってはいけない。
夫と共に、もう少し生きてみようと思って、2月には63回目の展覧会を予定している。
今回は48点くらいの展示になる。一昨年、昨年に比べると少ないが、なにしろ気に入りの
絵の具がない。中粗めのキャンバスの準備も出来ない。
オイルパステル画を額装した。墨のドローイングも額装。油絵が少ない。
どうかご勘弁ください。

1月7日から新春サムホール展が下北沢のスマートシップギャラリーで始まる。4点出展。
24日からはミラノであるアートフェアーに7点出展。墨のドローイングばかり。ディレクターさんが
これで行こう! ということで。
また、パリのマドレーヌ寺院では27日28日29日と化粧箱展が開催され、私は「ウイーンの森の恋」
の絵柄での展示があることになっている。
イタリアとフランス。一日だけだぶっている。もはや、フットワークが悪くてついていかれない。
フットワーク?ようするにお足が無い。

今年一年間ありがとうございました。又来年もどうぞよろしくお願いします。
皆さまにとって素敵な一年でありますようにお祈りいたします。

マドレーヌ寺院での化粧箱展ご案内

作曲家 大中恩氏 逝く

わたしのペンネーム、「ささやかな」改め「河名千絵」のポエムに対して6つもの曲、しかも歌曲として、作曲くださった
大中恩氏が亡くなられた。12月3日。お葬儀のあった8日はあいにくと小田原での用事が前から決まっていて、参席できなかった。
せめてもの弔電で、大中先生とのお別れをした。
『大中恩先生、ご生前はありがとうございました。36年前にわたしのポエムにたいし6つもの曲をつけてくださり、今年の夏には初台
でのソプラノの独唱曲に編曲してくださいましてのコンサート。本当に嬉しい私の人生を飾ってくださり有り難うございました。
どうぞ安らかにお眠りください。』                               河名千絵 こと 多田祐子

というものであったが、6曲の題名は「ひとに」「あなたは眠りにつく」「何か手伝うことはありませんか」「光りの中」「月に」
「わたしたち」。「わたしたち」は合唱曲から独唱曲に編曲されて、2度歌われた。
写真は2016年7月3日に紀尾井ホールでしたかね、「おれとおやじ」と銘した“大中寅二生誕120年記念”コンサートにお招きされた
ときのもの。撮影は夫金城。遠くから写しておったのです。

今しがた奥さまの清子(北原聖子氏)氏に日付けの確認はしたのですが、会場の確認は忘れてしまいました。

2016年7月3日 紀尾井ホールで
大中恩氏
河名千絵 と名乗っているのです
夫が遠くから写していますので、そちらを向いて頂く

中河与一のお墓

てんのゆうがお・天の夕顔の作者中河与一はお墓をゴッホのお墓に習った。文化勲章授賞者の建築家、谷口吉郎博士に
デザインを依頼。よく似ている。ゴッホのお墓の形に感銘した中河与一。与一からゴッホのお墓のことを聞かされた時には
まだお墓は無かったので、その形が良くは判らなかったことを思い出す。
なるほど、素敵だ。このお墓が谷口吉郎博士の最後の作品ということが、今回判った。

つれづれと空ぞみらるる思ふひと天くだり来むものならなくに  和泉式部

第一章の前に掲示してある一首。作品全体のイメージを暗示してあるものか。
作品の結末をもイメージしているものか、式部の歌を冒頭においてある。

42年前の我々のお仲人をしてくださった中河与一、少し写真を載せます。
お仲人のもう一人は大濱英子氏。大濱信泉氏はすでに亡く、
私を中河与一に引き合わせてくださったのは大濱英子氏であった。

昭和51年6月6日 左が中河与一 右端大濱英子氏
葉山マリーナにおける私たちの結婚式
無事治りました。1977年8月
箱根の別荘で、先生の壊れ傘を二人で修理中
先生が焼いてくださったパン・トーストで朝食をいただく。手前が金城
夕焼けのなかで。撮影は多田祐子
鎌倉の擂亭 1984年12月7日

夕顔忌

12月12日は夕顔忌。中河与一の「天の夕顔」。ベストセラーだった少し昔。どのくらい前かといえば、最後の戦争中、そして戦後。
今多分知られていない。文学部では日本の3大純愛小説の一つとしてとりあげられていたそう。
川端康成の伊豆の踊子、三島由紀夫の潮騒、そして中河与一の天の夕顔。
存命ならば122歳。2年前に生誕120年祭も兼ねて夕顔忌を少人数ながら執り行った。
今日は、中河与一・幹子夫妻の眠る小田原の伝肇寺・通称みみづく寺に集まって、ささやかながら夕顔忌を実行。
上天気の冬の小田原は、海も穏やか。
すでに与一フアンが来たらしく、与一の好きなレモンイエローの百合の花が供えられていた。お寺側が見た時にはすでに活けられていたそう。
赤いチューリップとピンクのスイートピイを買ってきていたが、お寺さん側が準備してくださった花々と賑やかに華やかに夕顔忌が終わった。
隠れたそういった与一フアンと共にご一緒できれば仕合わせなのだが、と思っているところ。

夕顔忌の一日

先日載せきれなかった作品

めっきり寒くなってきた昨今、水仙が咲いています。
昨年と同じくらいの花を咲かせている山茶花。ずーっと西側のカーテンやら障子を閉じたまま
のことは先日ブログしましたが、ミカンの木にはい依然として肥料を施していません。
東側の姫橘、金柑の実も鈴生り。早く肥料をやらなくては。
といった初冬です。

先日載せきれなかった絵、今度は載るかしら。

6号サイズ
あかね富士
和紙にmixed media 20号サイズ
Fuji

旧暦 10月1日

昨日は立冬。
5週間あまり、西側のカーテンや、障子を開けなかった。障子といっても1間はあっても、下の方は壁で、
高さ1M くらいのもの。ふと、カーテンを引いてみる。山茶花の花がたくさん咲いている。
昨年は、ブルネイ国から帰ってきた時点で、数多の花を詠んだ。そういえば大風邪を引いて大変だった。
障子も引き開けてみると、その隣でミカン、夏みかんだが、これも夏よりは実の大きさが、少し大きくなっている。
ああ、肥料をあげなければ、と反省する朝方でした。

そして夫金城が、まだ油絵描かないの 寂しいなぁ と呟いていました2ヶ月前。
ちょっと小品が出来ているので、アップしておきます。
3点載せようと思いましたが、3点目はコノiPadが出来ませんといっています。
2点になりました。

草間彌生の水玉ではありません
ディレクターがイノシシを描けというので、うり坊です。

Contemporary Art Fair Zurich  チューリッヒのアートフェアー報告

先週の金曜日に梱包を解いた。チューリッヒのアートフェアー報告書。20日間くらい玄関に置きっぱなしであった。
20回目を数えるアートフェアー。オープニングを含めて4ヶ間の日程。
私のちぎり絵をコレクションしてくださった方らしい男性が、包装された包みを小脇に抱えている一枚があった。
ちぎり絵は「 a boss 」という題名で、すごみのある猫。ヨーロッパは可愛いものは売れない。日本は逆で、可愛いものが売れる。
私の少ない経験からの感想。
その包みを小脇にした人に感謝しつつ多田祐子、アップしておきます。有り難うございました。

Merci beaucoup, Monsieur

Merci beaucoup, Monsieur
20th Years of Art Zurich

歌・短歌の道で賞状をいただきました

夫金城が余りにも多くの短歌を豆冊子にして配る私多田祐子を心配して、ある短詩型作品募集の要項を目の前に置いたのがきっかけで、
短歌の方で賞状をいただきました。
ああ箸にも棒にもかからない作品ではと、心配して居ったのです。で、応募しました。
いつも云っていたのでした。一冊に一つ位の佳品があれば良いのよ、と。全部が傑作でなくて。しかしそれも不安だったのでしょう。
あまりウンウンうならずに、作るものだから。

で、本日付の賞状をブログしておきます。

「をんなの時間さまざまⅩⅩⅩ」(私製豆冊子)の17ページに
知り人とすれ違ひしらしみちなかに定家葛をながめをりし間

墨絵の続き

金城、夫が、まだ油絵を描かないの?淋しいなぁ。
描く、描くよ すーぱーの付く絵の具あるから と応えつつおります。
小品をキャンバス13枚ほど並べて描き始めました。

で、今日は、やはり額装まえの墨の作品を2点。これから額装に入りますので
アップしておきます。

墨と金箔
墨と金箔

続きです

題名はこれから考えるものもあります。

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