奥羽鎮護 一ノ宮 勅宣日宮駒形根神社拝殿に参詣

奥羽鎮護 一ノ宮 勅宣日宮駒形根神社拝殿に参詣

ちょくせんひるみやこまがたね と読むとのこと。太古より日宮と呼称。「日本武尊ご東征の折、大日めの尊外五柱の主神に祈願創建」(めの文字が難しい)とある。駒形嶽=栗駒山の古名を奥宮、沼倉の地に里宮を祀ったと由緒書きに誌され、夥しいご宝物・古文書が秘蔵されている。大和朝廷の蝦夷平定に伴って社勢隆盛。延暦20年(801)坂上田村麿が奥羽鎭定を祈願とある。その他由緒書きによると、仁寿元年(841)年に神階正五位贈、清和天皇貞観元年(849)勅使下向正一位贈称号賜勅宣日宮が史料にあり、延喜弐年(901)神名帳登載。下って?保三年(1743)桜町天皇より御宣命と御宸筆の扁額を賜る。諸々の御神徳があり、分けても車社会の今日、交通安全の神としても効験著しいと脚光を浴びている。
 ということを知らずに、12月15日土曜日の昼前に従弟の鎌田清の運転で里宮の駒形根神社にお参り。有賀小学校の先生のお一人がこの神社の禰冝さん、と前回訪問の折りに弟から聞き、次は是非お参りをすることを決めてあり、従弟と岩ヶ崎の里宮に。宮司のお父上さまはおみ脚が少しご不自由。禰冝の先生は大国の主神のお札を氏子の各家庭にお届け中。もうすぐお正月ですから。お母さまが折良く焚き火をしておいでで階段がおよそ200段あることや禰冝の先生のこと、宮司さんのおみ足のこと等伺う。200段の階段を上って、さア、ここ栗駒山の麓で18年間育んでいただいたお礼やら京都の一ノ宮上賀茂神社さまとのご縁を戴いていますこと、こんなに近くに一ノ宮さまがおわしましたか、知らなかったとはいえご無礼をいたしました。絵を描いておりますが、ロシアのエルミタージュ美術館に収蔵という栄誉をいただいたことなどということをご報告し今後もどうぞよしなにとお願いいたしました。
従弟の清さんは枯れ杉が落ちて階段を埋め尽くしているので、大きな枯れ杉の枝を手にご奉仕の清掃に早移って降って行く。私が声に出してご報告しているのを聴いてはいけないと思っているらしい。下りていくと、お母さまが、パンフレットを手に待っておられ、禰冝の先生の奥様もお帰りになられて、ご挨拶できました。
尚ここ栗駒小学校で、その昔清さんの父上が教頭先生であったことを、おかあさまが話してくださり、やはり悪いことは出来ないという結論でした。