blog

JAPAN ART FESTIVAL IN MARUTA

コロナの拡大で延期になっていた「日欧宮殿芸術祭・JAPAN ART FESTIVAL IN MARUTA」が9月に無事開催されて、報告があったのは大分前。忘れたわけでは無いが、日々の煩雑で報告出来ずにいた。写真も無くしてしまいそうなので、慌てて掲示する。
マルタ共和国のマルタ島には行かれなかった。夫が元気なら一緒に行ってみたいところではあった。碧い海を見がてら。
主催者側のホスト、マルタの芸術家ジョセフ・バルバラ氏から令和一年11月30日付けで親書を頂戴している。大使のアンドレ・スピテリ氏からの招聘状と共に。夫が脳出血で色々な方や施設でお世話をいただくようになって、自然に私の創作時間も大幅に削られている昨今ではある。
絵は「Yuko Tadaの富士山の絵」を、というリクエストに沿って 木花之佐久夜毘命を。6号サイズで小品でした。(32x41cm)

マルタ共和国での展覧会・大統領のご挨拶とホストのジュセフ・バルバラ氏
茜ふじ(木花之佐久夜毘命命)
マルタ共和国での展覧会・大統領のご挨拶とホストのジュセフ・バルバラ氏

ナイチンゲール200周年記念章

今日、上記の章が額入りで配達された。
タイランドの赤十字社からで、ソムラップ殿下の紋章とサイン、そしてアヌワット・ブーンニティー氏のサイン入り。
10年前に190周年記念の盾をいただいているので、そう申し上げたが、この度は10年前とは様子が違っていた。
「あなたは博愛の精神を有する美術活動に尽力され多大なる貢献をされました。
 よってその功績を称えます。」 という文言が記されてある。
ソムラップ殿下は現国王陛下の最側近で、さきのプミポン国王の従兄弟にあたられる、と聞いたような気がする。
10年前に御来駕があった。その折は夫金城と1ヶ月かけて家中を片付けた。
逗子駅までお出迎えした金城とハグをしてくださったそうだ。
ここ数年お会いしていないが、もっとも忙しい側近と伺っている。

章状、訳文、そして殿下の評をアップします。

ナイチンゲール200周年記念章
ナイチンゲール200周年記念章
訳文
訳文
右サイドに殿下の評が。
「文展」74号より  影が映ってしまった
右サイドに殿下の評が。

揄雨

雨垂れを払う前、窓に打ち付ける雨、などを見ていての着想が「揄雨」という絵になった。「月の異名」で3月を意味する。
ある業界が出版する美術雑誌に作品を載せたいというので、前日に手にした写真が「揄雨」であったので、これを載せることに。
新国立美術館であったグループ展で、デザイン賞を頂いた。何年だったかを調べることをサボっている。
まだ何処にも掲載していないのでその事もあって、コレでいいか、なのです。

写真は多分「PIGA」画廊、青山だったと思います。
アップします。

「揄雨」と多田祐子
「揄雨」と多田祐子

我が家の草花

昨夜は13夜。いわゆる後の月。栗名月。16時41分頃から1分おきにたなびく雲に乗っかって登ってくる月を撮影した。48分頃にはもう雲の上過ぎて、月だけになり風情が不足。
それからしばらくして玉子を買いにスーパーへ。スーパーの屋上の駐車場から、光を増したお月さまを見て帰って、茹で玉子を作り、外に。網に入れて、月の雫を茹で玉子に集め、今朝一個をいただく。

先日、庭木の伐採をしてくださった小父さん、といってもどうも同い年のようでしたが、東側の植木を刈ってくれました。トラック一台分になっていました。ありがとう。夫は一緒に刈れないといって、泣き顔になります。
例年私と二人で伸びた枝を切って、短くして束ね、ストーブを焚く人に運んで行ってもらっていたのです。

南側の庭はぼうぼうです。今お茶の花が咲いています。
西には山茶花の花が咲きました。
ぼうぼうの庭の草花を載せます。

野菊
野菊
あざみ
あざみ
山茶花
山茶花
お茶の花
お茶の花
野菊 日の当たる所の
野菊 日の当たる所の
16:47 分頃
16:47 分頃

手作り豆歌集「をんなの時間さまざま」のNo.39

手作り豆歌集を作り始めて今No.39 に取りかかり始め、ホチキスで閉じているところ。
少しコピー機でコピーしたが、昨日から紙詰まりを起こす。雨の日が多く、今日も台風の影響で雨。
新しく紙を出そうかとも思うが、きっと湿気ってしまう。
コピー機も古いので紙送りの部分が取り替え期なのかもしれない。
月曜日を待ってコピー機屋さんに連絡しよう。
表紙を夫の車椅子姿にした。ほとんど具象画を描かないので、このくらいで良しにしていただこう。

ちからなく膝上に置く右腕と握りし指を描いておくなり

この歌は次の歌集に載ります

「移動」 金城の車椅子    裏表紙 自画像「紅涙」
「移動」 金城の車椅子    裏表紙 自画像「紅涙」

名月

10月1日の夜、東の空に大きな月が昇ってきた。仲秋の名月は雲も無い大空を一つで渡って、やがて夜の11時頃には南の高い空に輝いている。薄の生け花は出来なかったが、お団子をお供えし、ゆで玉子を13個、名月の雫を集められるように表にセットした。
薄はあるのだが、刈り払い機で2度刈り、活けるほどもない。庭に玉すだれが咲いているので、活けようかと思っている内に、玉子を買いに行き、ゆで玉子を作っていて忘れてしまい、夜遅くになってしまった。
名月の雫を玉子に集めるという風流は京都のお師匠さんから教わった。仙台市での展覧会に京都から来られ、一緒に従弟夫婦の別荘に泊まりがけで駆けつけてくださった時に。「何のお師匠」さんということは格別決められないものがあって、人生の諸々というしかない。

10月29日が十三夜。旧暦の9月13日。この日まで玉すだれは咲いていないだろうが、また何か咲いてくれよう。

十五夜の夜に、手作り豆冊子「をんなの時間さまざま39」をまとめた。
やがて皆さんのところにお届けしたい。

南東の空ゆく名月
南東の空ゆく名月
お団子・お皿は多田祐子の絵皿/九谷焼
お団子・お皿は多田祐子の絵皿/九谷焼

ART BLEND

スイスのローザンヌ,Gallery Art Space で開催された「ART BLEND」は,コロナの影響で初めの開催時期を変更して行われた。
8月下旬から9月11日までの3会期に別けられての開催。私は3会期だったことが送られて来た写真によって判る。ご来場者のかたがたの服装が
長袖になっている。
送られて来たQRコードを読み込んで詳細を知ろうというのだが、あいにくとここの映像には私の「木花之佐久夜毘売命」である「老松」が
かすってもいなかった。実にお地味な作品であったから、仕方が無いが、富士山だと言うことが判る絵なので、少し高く展示してほしいところであった。富士山の絵のお隣が裸婦で、こちらの方が高々という展示のしかた。残念である。富士山は神さまということを教えて上げなければ。老婆心大盛りの多田祐子。
そのローザンヌの展覧会から、写真を掲示します。

多田祐子の「木花之佐久夜毘売命」である「老松」
多田祐子の「木花之佐久夜毘売命」である「老松」
ギャラリーのオーナーのご挨拶文
ギャラリーのオーナーのご挨拶文
上記の訳文
上記の訳文

アート・シードル

昨日の昼、アート・シードルラベルボトルが届いた。モネ生誕180周年記念企画〜光の画家に捧げる世界初の
アート・シードル誕生!〜
と、うたっている。
パリのラベル美術館にラベルが収蔵されるということで、先の収蔵作品『うさぎ=月』があるので、
連絡をいただき、推挙されているというので、どうしたものかと思案したものの、応じたもの。
『うさぎ=月』は日本酒だったと思う。今回はシードル。
モネはジベル二ーの庭園にリンゴを栽培していたそうで、大のシードル好きだったそう。
私の絵は『海辺の調べ』。モネの絵は有名な『印象・日の出』、代表作品であった。

アルコール度数約3%が、モネのシードル。
日本人アーティストによる作品ラベルを貼ったアート・シードルは5.5%のブリュット、を制作した
とある。

多田祐子のウェブサイトを管理してくださっているMr. F がアップデートしてくださったというので
早速昨日の件をアップします。今しがた撮影しましたもの。

シードルの箱と二本のボトル
シードルの箱と二本のボトル
左 モネの『印象・日の出』 右 多田祐子『海辺の調べ』
左 モネの『印象・日の出』 右 多田祐子『海辺の調べ』

2008年の晩夏

ある写真を探すのが目的であるはずが、横道に逸れた。 2008年の8月から、11月24日まで開催していただいた九州の田川市での展覧会の写真が沢山出て来た。21日から始めてくださったto.ko.po.la は実に4ヶ月間という長期間にわたって、展示くださった。 Yuko Tada Exhibition という垂れ幕の準備までしてくださったのだが、なんだかニューヨークにでも来たかと思ったことを思い出す。金色に輝く垂れ幕に夕陽が当たって、なんとも面映かったこと。 ニューヨークで出会った なかずみきよみ さんが、毎年田川市美術館で、教室の子供達の展覧会を開催しておられるのだが、隣に多田祐子の絵があったらいいなあー、と、妄想してくださったことから、実現したのであった。 富士宮市のコレクターさんから大型の車を借りて、夫金城に運転してもらい、途中京都の南辺りで、藤原さんをピックアップ。藤原さんはその当時は青年海外協力隊員で、うまい具合に帰国。京都に帰国してもらい、田川市美術館での展示作業を手伝ってもらった。 金城の借家を使っていて、展示後葉山に帰ったのだが、田川市美術館では高所の作業をはじめ、たくさんの作品をいとも簡単に飾ってくださった。今思うと、金城と藤原さんがいなかったらとても出来なかったことである。 佐倉市のコレクターさんのお嬢さんにも一緒に行っていただいて、手伝ってもらった。地元の方々3人さんも、駆けつけてくださったので、どうにかへこたれずにできたが、冷や汗ものであった。 田川市美術館では一週間で終了。to.ko.po.la では、途中掛け替えをして、出来るだけ多くの作品の展示をした。掛け替えは、なかずみきよみさんと彼女の友人に頼んでの展示。 大型の車をお返しする為に、飾り切れない大型作品を積んで、一路富士宮市に。 富士宮市では、コレクターさんからのご協力と、蔵をお持ちの文房具屋・Riheiさんのお力添えで、持ち帰った作品の展示会が始まった。田川市への行き掛けには、その富士宮市でもう一つの会場に飾って出かけた。『甘味処ぷくいち』というお店であった。 なんとも贅沢な一年であったろう。 ここでは田川市美術館での展示を掲示します。   詳しくは、このブログのP.66P.67にあります。念のため

田川市美術館の看板
なかずみきよみさんのご協力
田川市美術館の看板
田川市美術館での展示
田川市美術館での展示
展示品 とご来場者
展示品 とご来場者
展示品とご来場者 右から二人目がなかずみきよみさん
展示品とご来場者 右から二人目がなかずみきよみさん
反対側展示品
反対側展示品
「装う」と「揄雨」
「装う」と「揄雨」
「ダイアナ」(真ん中)と「ブエノスアイレス」
「ダイアナ」(真ん中)と「ブエノスアイレス」

展覧会の報告

第64回目の個展が終了した。コロナ禍と猛暑日の連日。不要不急の外出に当たるので、ご来場の人数がこれまでのどの展覧会よりも少なく、展覧会の数と同じ64名さま。
いつもはそれほど気にせず数えたりはしなかったが、4名さまという日があったりして、次ページを準備して置いても、その次ページは不用に終わった。

お子さまと共に見てくださった方がおられ、最終日にも覗いてくださって、「歌」の一つをとても感動なさったということを伝えてくださった。褒めていただいた。
また「アインシュタイン」の絵の何処がアインシュタインなのか?気になるというので、秘中の秘なのを解説して差し上げたが、きっと今頃は大笑いして居られよう。それほど簡単なことなので秘中の秘。会場でもう一人か2人の人に教えたが、訊かれないままに、難しく思って居られる人ばかり。

表の看板を見てのご来場者の中に、お互いの知り合いが居て、これも面白く、46〜7年ぶりによろしくお伝えを、とお願いした。
2作品を寝室に飾ってあって、ゆくゆくは金城ミュージアム入を予定している。そのこともお伝えくださいと。90歳を越して居られてお元気とのこと。
看板の『ハワイイ大学収蔵』を見てこられた方もおられ、きっとハワイイ大学にゆかりの方でしょう。
迫桜高校(宮城県栗原市)の同窓会東京支部のお世話役の方が来られ、写真に収めてくださって、同窓会本部の事務局長さん宛に郵便で報告してくださった模様で感謝して居る。
有り難い。

お買い上げは、2011年の3.11で家を津波で失ったという人が、家を新しくお建てになったという人に贈る、小学校と大学が一緒の同窓生、かっぱの仲間のコレクターさんが2人、そして新しい方がお一人。計4点でした。
作品掲示もれのものたちと認定証。

では迫桜高校の同窓会のお世話役の皆川さんとの写真を掲示します。

ハッポースチロールに糸の作品
星たち
ハッポースチロールに糸の作品
0号サイズ2点
0号サイズ2点
平成26年とある
ロシア芸術協会からの認定証
平成26年とある
9月1日 迫桜高校同窓会のお世話役・皆川氏と
レキシントン通り(右側)20号サイズ
9月1日 迫桜高校同窓会のお世話役・皆川氏と