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辻村寿三郎さん逝く

 新聞によると2月5日、お亡くなりに。近すぎないご近所にお住まいだった。ヒョンなことからお近付きをいただき
奥さま(前の)のK さんとは以来ずーっと、離れず,つかずのお付き合いをしてきたのです。
海外の絵の出展やら、展覧会の事などでは、アドバイスをいただきました。期せずして、自転車のK さんと、会うのです。今こういうのもが来ていて、迷っている、といったことを問わず語りでお話しすると、「無理してでもやりなさい! ヨーロッパは評論家のネットワークが日本と比べようもないほどいいから」と言った具合です。
お陰で、多田祐子の絵はヨーロッパで、知られるようになり、パリのカルーセル・デュ・ルーブル での展覧会が出来たのです。ルーブル本館から毎日見に来てくださった方が、最終日に永遠に使えるチケット2枚をプレゼントしてくださいました。夫金城と、弟夫婦、そして毎日来ていたよ!と教えてくださった画商のM氏と5人で乗り込んだルーブルでした。

横浜での人形展の時にいただいた大型カタログを出しました。Kさんは、家に一枚も無い!のよ。と。
1983(昭和58)年に描いた「人形師」という絵、辻村寿三郎さんに差し上げた絵です。
辻村さんの人形は怖いくらいの迫力。
多田祐子の絵は可愛いでしょ!  ひたすらご冥福をお祈りいたします。
そしてブログしておきます。実は遥かにKさんとご一緒に偲んでおります。Kさんは3首の歌を献げて涙の雫を
拭っておられます。さようなら

ジュサブロー さんの大型カタログより
表紙
ジュサブロー さんの大型カタログより
6面
6面
7面
7面
4面
4面
裏表紙
「人形師」 多田祐子作 1983年
「人形師」 多田祐子作 1983年

アーティスト エリタン ドウ ラ ヴォロンテ ドユ グラン オム

レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年記念 特別授与称号 という称号が送られてきた。
芸術文化国際推進委員会 からであった。
アート・カイエ展、『レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年記念Paris アート・カイエ展』への発表に対して、
アート・カイエ3冊が特製の専用ケースに収まって届き、特別授与称号の証としてラベルピン、いわゆるピンブローチ、職人による手作業にて制作されたものが桐の(と思う)箱入りで同梱されていた。
アート・カイエ、手帳であるが、表面は私の絵、“ニッポン”。裏面はダ・ヴィンチの絵、3種が印刷されている。
どうも使用するには勿体なさすぎる。ご保存用としてお蔵入り。お蔵はまだ無いが。
イタリア・フェドリゴーニ社製の特殊紙を採用してあるそうだが、防汚・防水加工はされていないとのこと。
湿度の高い日本での保存。いつしか湿気を吸って、紙が膨張しそう。
使うが良いか?保存が良いか? 考えさせられるところではある。
掲示します。

アート・カイエの裏表紙 
アート・カイエの裏表紙 
説明書とラベルピン(上)
説明書とラベルピン(上)
多田祐子の“ニッポン” の表紙 での手帳 3冊そして専用ケース左上
多田祐子の“ニッポン” の表紙 での手帳 3冊そして専用ケース左上

第65回 多田祐子展の報告

昨年11月30日からの展覧会の模様を美術年鑑社の新美術新聞が掲載してくださった。
送っていただいたので,自分の部分だけを掲示します。
およそ160人のご来場でした。

2月1日発行の新美術新聞より
撮影/廣岡・担当ディレクター(アートラボ) 使用
2月1日発行の新美術新聞より

World Peace Art Exhibition 2022

昨年の夏にユネスコ パリ本部において開催された World Peace Art Exhibition 2022は、国内では池袋の芸術劇場であった。
ユネスコ本部での様子の写真があって、掲示します。
免許証の書き換えに必要な書類は、既に葉山警察署にファイルされていたことが、判り、4日間ほど探した無駄をしました。ドライビングスクールにはiPad で撮影したものをプリントアウトして持参。どうも無くても良かったようでしたから、あんなに探したのにと、気が抜けたのです。
で、26日今日ですが、午前中に免許証の新しいのを貰い受けに行ったのです。そこでわかりました。
運転技能100点満点の書類は、既に認知症の書類と共に、警察にファイルされていたことが。
今のところ認知症は問題ありませんでしたが、先に届けていたことを覚えていない!。これは問題です。

4日間の探し物の間に、出てきたのが、ユネスコ本部での展覧会場の様子でした。
先に掲示した英国王立美術家協会名誉会員認定証の証も、この探し物で見つけたのでした。

夫の世話と自分の事と、一日がとても短いので、4日間の探し物のといっても、散らかるだけなのでした。
令和8年の誕生日まで有効な運転免許証です。残念ながら、ゴールドではありませんでした。

ユネスコ パリ本部 ミロのホールの看板
ユネスコ パリ本部 ミロのホールの看板
おどる豆  (焦げた豆もあって)
こんなたわいも無い絵が描ける平和は大切
おどる豆  (焦げた豆もあって)

英国王立美術家協会名誉会員証

昨年の4月に届いていた「英王国立美術家協会名誉会員証」を、探し物をしていて目にした。
一年間の有効期間の名誉会員証である。イギリスには行かれず、昨年の4月に帝国ホテル東京で開催されたレセプションパーティーにも行かれなかったので、頂けないものと、半ば思っていた。
出品作は「ガト」。スペイン語で ネコ であった。
ずーっと以前に新宿の文化服装学院で、汗と戦いながら仕上げた一枚。第19回展で、日本橋の画廊で展示して、ニューヨークでの展覧会に持っていった。タイランドの芸術大学、シラパコーン大学の教科書に「マンハッタン」と共に
取り上げられていて、既にコレクターのものであったが、お借りしてイギリスに送った。淡いピンク色の絵。
スペイン語は第二外国語として学んだ時代があって、アルゼンチンに行った時に、あるいはマンハッタンで、雪がたくさん降ってバスが来ない時に、ワンダラー,ワンダラー!とお客を呼ぶ、メキシカン夫婦の車に乗って移動した時に
とても役に立ったのでした。
ただ,挨拶と、ここでいいわ、という片言言葉で、後を振り返って私の顔をその二人は驚いて見たのでした。

横道にそれました。その名誉会員認定証を掲示します。後数ヶ月の有効期間でした。
継続してくださるやらは、分かりません。
いただいたスナップ写真に英王国立美術家協会会長ミック・ディヴィス氏と
観賞してくださる青年の麗しい容が有りました。掲示します。

イギリス国王立美術家協会名誉会員認定証
イギリス国王立美術家協会名誉会員認定証
英国王立美術家協会会長ミック・ディヴィス氏 と 我「ガト」
英国王立美術家協会会長ミック・ディヴィス氏 と 我「ガト」
ジーっと観賞してくださる青年
ジーっと観賞してくださる青年

新春サムホール展

9日から、下北沢駅近くのギャラリー、スマートシップギャラリーで、新春サムホール展が始まっている。
14日までの6日間。まだ発表していないままの絵でサインをしてあるものや、手直ししたものを発表してある。
偶数で、出して欲しいという、画廊側の要望に従った。
最近は油絵をいじる時間的余裕がない。墨絵で書き初めをしようと思ったが、硯はあるのに、墨が見つからない。
そのまま数日が過ぎた。墨を探すはずが、解いていないクイズで時間が消えてゆく。クイズを解くとなぜかスッキリする自分がいる。しかし問題は終わらない。箱に入っているはずの小さな墨。まだ探そう!

私のスペイン  mi espana
iPad では ニャ の表記が出来ない
私のスペイン  mi espana
早冬
早冬
伺う (青鬼)
伺う (青鬼)
灯りをともして
灯りをともして

お一人様のおせち

お正月が来る。
お一人様のおせちを、作った。
会津若松市で買った根来塗りの小さめのお重に。20年ほど前に訪ねた会津若松市で思い切って購入したもの。
夫に一人分のおせち作っているの、と、説明するとチョット微笑む、みたいな気がした。
黒豆、もってのほか(菊の花)は義妹からの贈り物。
はすやら、干し柿、大根、最も美味しいたくあん(これはここに並んでいないが)、白菜もあって、バンザーイ。
明日からの3が日、干物の魚、餃子、焼売、うどん、松前漬け、ずんだ餅と餅、
本山葵、あおさがある。
里芋は西山美術館のお土産。銀杏もお土産。
大丈夫、果物はキュウイフルーツ、りんご、みかんがある。
牛肉は沖縄県のものと、高山の飛騨牛がまだ残してある。

絵は売れなかったけど、大丈夫。
今年2022年が後6時間で終了する。諸々有難うございました。
来る年もよろしくお願いいたします。
ではそろそろ夫に、お夕食をあげる時間です。

トイレの生花。
トイレの生花。
奥の里芋は西山美術館のお土産
右手の酢蓮は作り過ぎ
奥の里芋は西山美術館のお土産

膝の痛む富子さん

2022年の7月18日にブログした市川市の富子さんが痛む膝を抱えつつ、展覧会に来てくださった。
慣れない小田急線を、下車駅を間違えなかったものの、乗り換えの方向を間違えて引き返して来てくださった。
途中疲れ果て、お茶をしたりだったそうで、私もちょっと心配してドキドキしはじめ、ラインで大丈夫? と聞いたりした時にちょうど階段を上って来られた。ニューヨークでの展覧会の後直ぐに個展を開催してくださった人。
数年前に下北沢の個展会場にもいらしてくださった。
積もる話をして、絵を見ていただいて、ユトリロの部屋3部屋も鑑賞いただき、もはや時間的に入場者は望めないと
美術館を後に。私が毎日通る階段路を使って下る。近道なもので。膝のために痩せなさい、と、医師に言われてるそうな。そういえば階段を上って来られた時、実は富子さんと分からなかった。マスクのせいもあるけど、帽子をかぶってもいて、オーバーコートのせいもあり、太めの人になっておられた。
私のことは棚に上げて、ちょっと痩せないとね!などと階段を降りる。途中で後ろから私をスマホで撮影してくださる。一緒に下りる人は居ないので、これは貴重な写真になったのだが、髪の毛がこんなにグレーとは気が付かずにいた。毎日大き目の夫のコートを着けて通っていたが、コートの色は黒。濃紺にも見えたりする。
先程、19日の夜、写真をラインしてくださった。FacebookやInstagramにも載せてくださって、広報していただいた模様。
その近道を下りている私の後ろ姿を掲示します。父親の背中に似ていて少し丸いのです。

この後一緒に新宿周りで帰宅を決め、お夕飯をうなぎにして、ちょっと目眩があるから、滋養を摂り、ゆっくりと帰ろう!と、新宿湘南ラインで帰ったのでした。藤沢、大船経由では3回乗り換えがあるのです。
若者たちの多い小田急線、富士山の見える小田急線、疎林の見える小田急線、15日間のうち一日だけ帰りを逆方向にしたのです。
総武線で帰られる富子さんと、新宿駅の雑踏の中でお別れしました。同い年。6ヶ月おねぇさんです、富子さんのほうが。お互いに少し体重を落とそうね!ハハ!  膝のためです。

階段を下りるところを。貴重な写真。こんなに髪の毛がグレーだなんて。知ってよかった。
階段を下りるところを。貴重な写真。こんなに髪の毛がグレーだなんて。知ってよかった。

終了

第65回多田祐子展 西山美術館特別企画展 終了です。コロナ禍、遠方の方が多いこともあって、青山当たりでの開催とはご来館数が少なかったのですが、師走でもあり、知り合いにご高齢者様が多いから仕方ない。三週間で、正解だったかも知れません。
始まりの頃に銀杏もみぢが美しく坂道を彩っていたものが、最後の方ではもう散り来る葉も無く、車に轢かれた銀杏も無い。
遠く京都から来て下さった師匠(諸事の)。その師匠の周りの方々。先輩後輩(高校や大学の)そして現役の学生さんが多かったです。選択科目で美術を取ったという大学生が、10人以上はいたでしょう。お若い方々に知って頂けて嬉しい。
ユトリロさんの絵が目的で来られ、ついでに知って頂けました。
もちろんこれまでに見ていただいている同業者の芸術家、そのご家族の方にも初めて見ていただいた方もおられました。
毎朝、ロダンさんやユトリロさん、ユトリロのお母様にも挨拶をし、夕方もまた明日、で帰りました。
今日は夕刻4:00頃に、西山美術館館長西山由之氏が現れました。庭仕事を一時お止めになって。
エプロンのポケットに、ハサミが入っていたりして。
こんな格好でと仰るところを構わずに、記念の写真を撮らせて頂きました。
ブログに載せることを了解得なかったのですが、載せます。
そして朝夕上り下りした坂道からの夜の始まりを。

三週間ありがとうございました。お暇の直前に副館長西山夫人にも締めのサインを頂戴できました。

ダスキンの創業者 西山由之氏
エプロンを外して
ダスキンの創業者 西山由之氏
金色に塗られた「考える人」
バスの窓からよく見える
金色に塗られた「考える人」
お客さまをお見送りしてのち
帽子の前には西山美術館 と刺繍してある. チャンピョンカラーの黄色イエローの出立ち
お客さまをお見送りしてのち
ちょっとはまじめに
ちょっとはまじめに
石段を降りているうちにすっかり黄昏れました
石段を降りているうちにすっかり黄昏れました
バス停綾部の付近 坂の途中から
バス停綾部の付近 坂の途中から
黒門 ここを潜るときには自然とお辞儀する
黒門 ここを潜るときには自然とお辞儀する