2月1日

1月が過ぎ去った。猛スピードの感。何をしただろう?
フト気が付くと、西側の椿の木に沢山の花が。桃色の花。まだヒヨドリに気付かれていない模様で、落ち椿の数は少ない。
と、思った今しがた一羽のヒヨドリが枝に止まりに来た。花ごと丸呑したりよく花を落とす。
窓辺に寝ている夫に見るように言うのだが、顔を右に向けてはくれない。
南側の椿は赤と白の混じり合ったもの、そして赤だけのものと咲く。もう大部咲いたが、これからが花盛りのはず。
ああ、シンビジュームが3本の花蕾を付けて伸びていたのに、寒さ除け、霜よけを施さなかったために、霜枯れてしまっている。
可哀想なことをした。夫が仕舞ってあるはずの霜よけネット、何処にあるやら簡単には見つけられなかった。そうしている内に霜が。

今お隣さんに、河津桜が咲き始めている。人が住まなくなって3年〜4年。私が花見をさせてもらっている。
ああそうそう、我が家のミカンが全滅。一つも無い。みんな「たいわんりす」の餌になってしまい私がマーマレードを作る分も無い。
たいわんリスが1月初めの未だ青い蜜柑を食べ散らかしているのを見て、酸っぱいだろうに、と思っていたら、やがては全滅に。
昨年も一個も収穫でき無かった。追っ払ってくれる夫金城が加勢出来ないから仕方ない。かくして、私が集めている空き箱は2階のトイレに積まれている。少し前まではお友達やら田舎の義妹に送って愉しんでいたのに。2年もとは。来年はどうしよう。
空き箱大尽である。
では桃色椿の花を。

佗助と思っているのですが。
佗助と思っているのですが。

行く年来る年

コロナですっきりしないままに、というよりも酷い状態で2020年は終わろうとしている。
何をしたのかしなかったのか、自分ながらハッキリしない。そんな一年だった。
一応計画通り展覧会は開催。豆冊子は「をんなの時間さまざまⅩⅩⅥⅠ」から38、39,40と4冊手作りを。
253首を発表出来た。いわゆる報告歌ではある。
大晦日の朝9時に訪問入浴があって、感謝あるのみ。いつものように、手際よく3人のスタッフが重たい金城を湯舟に入れて下さる。
セッケンで身体を洗い、頭を洗い、シャワーで上がり湯も備えてある湯舟で濯いで頂いて、ベッドで拭いて頂き、化粧水と乳液を付けて戴き、ヘアードライヤーで髪の毛を乾燥。ありがとうございました。介護士さんも日に3度来て下さる。今年最後の訪問が今しがた終了した。元日の朝も来て下さるという。多謝の一言。
アッという間の一年だった。空白だらけの366日、閏年。
来年はもう少しましな年にしたい。夫金城を車で何処かドライブに連れ出したいものだ。
そう願っている暮れ、限りの日も瀬が近い。

先ほど、かなりクリアーな状態らしく声立てて泣くので歌ができた。

声立てて泣くまでに君回復す かたはらにゐておおつごもりを
クリアーな背なにゆっくり次の世も吾を選べと暮るる枕辺

あと3時間20分で2020年が終わる。2021年も皆さまどうぞ宜しくお願い致します。

をんなの時間さまざま・ⅩL

 手作り豆冊子「をんなの時間さまざま・40」短歌集ができた。今年最後の日記風報告歌。68首。これ以上分厚くなると、
ホチキスで苦労する。
21日の午後、夫金城が11日間の施設でのお世話を終わり帰宅する。まだ150冊ほど閉じたいが、先に梱包作業がある。
ドイツはマンハイムのGALERIE BOHNER(ドイツ語が打てない)に送る絵を、取り急ぎ梱包しないといけない。
取り敢えず東京の下北沢のスマートシップギャラリーに送る。20号サイズ数点と小品数点というリクエストには応じきれそうにない。
小品は後回しに。金城が帰る前に大きなサイズの方を包もうと取りかかる。最近は腕に力がない。梱包作業は最早嫌いな仕事になっている。

ラジオで高校女子駅伝マラソンが始まった。みんなガンバレ!

豆冊子、ご希望の方はコンタクトください。贈ります。

「をんなの時間さまざま・40」 の表紙と裏表紙
A6サイズ
「をんなの時間さまざま・40」 の表紙と裏表紙

ドイツ白ワイン

昨日ドイツ語のお手紙が。全てドイツ語。全く読むことができない。
パンフレットが入っていて、私の「刹那生滅」100号サイズの絵がワインラベルになっている。
ホームページの作品5ページ下段の方にあるので、見てみてください。
たくさん売れた暁には私に配給があるものやら?
聞いていないのですが、パンフレットによるととても上等なワインらしくてお高い。
白ワインのラベルですね。

白ワインのラベル・『刹那生滅』
ドイツワイン
白ワインのラベル・『刹那生滅』

12月12日

今日、12月12日は「天の夕顔」で有名な作家中河与一の祥月命日。恒例の「夕顔忌」を小田原の伝肇寺・夕顔の寺で執り行った。
コロナ禍ではあったが、何時もより参席者は多く、にぎやかなご命日となり嬉しかった。
中河与一を村長に祭りあげて「かっぱ村」を発村させた二代目村長、大野芳ノンフィクション作家の『中河与一を巡る作家たち』の話しを聴きながら、本堂で2時間あまりを法要後の直会。冬日の差し込む温かい一日であった。
かっぱ村の話しだが、今年は発村45周年の年であった。中河与一が亡くなって早26年祭ではあった。我々はお仲人をして頂いた作家で、私が
ペルーのリマ美術館に作品が収蔵されたときには、とても大喜びして下さった。40年程前の話。

ヴァン・ゴッホのお墓を模した中河与一のお墓
ヴァン・ゴッホのお墓を模した中河与一のお墓

月影

8日の下弦の月は見逃して、というより雲が厚かった。今朝11日、27日の月を見る。
一片の雲のない南の空に煌というよりわずか黄色に輝いている。撮影すると少し太ってしまう。
実際は三日月。弱三日月。

太めに写る27日の月
太めに写る27日の月

10年前の信貴山玉蔵院のこと

平城遷都1300年祭の記念企画に、御神酒の奉納があった。寅歳の記念でもあった。
推挙をいただき、白い磁器製の瓶に入っているのは日本酒。ラベルを「My birthday」に選んだ。
私の誕生日、1月17日は、阪神淡路大地震、湾岸戦争勃発、ロスの大地震、と、「今月今夜のこの月」など と、
少し特異日なのです。で、「青い雪」が降るイメージを込めました。
ある写真を探していて、玉蔵院のその時のものが手に触れました。
とても紅葉の美しい時期に京都の人たちと一緒に行きました。夫も一緒でした。
奉納の御神酒の数々が「融通堂」にまだ飾られていて思いがけずにこの目で見て、みんなで見て来たのです。2010年の11月15日でした。

信貴山の紅葉をアップします。序でに一升瓶も。

信貴山の秋
向こうの山は何処かわかりません
信貴山の秋
信貴山の紅葉
信貴山の紅葉
奉納の日本酒 鶴齢・My birthday/ラベル 多田祐子
奉納の日本酒 鶴齢・My birthday/ラベル 多田祐子

紅葉する満天星つつじ

今日は施設から11日ぶりに帰宅する夫。施設の車から降りるために、車を移動した。ついでに花壇の満天星ツツジを撮影。陽射しを受けていたらしく紅葉している。日当たりが悪くて例年紅葉が見られなかった。
温かなここ数日だが、今日は曇り空。
いい加減に剪定した松と、柘植が写っている。松はもう少し手入れするが、右腕の傷みを思うとつい、日伸ばしに。

昨日コレクターの友人が、電話で武内陶子さんの陶の字が違っていると教えてくださった。塔 の字を使っていた。お名刺を見ないままに思い込みで、ブログ。前のブログでした。

柘植。もう少し剪定します
柘植。もう少し剪定します
満天星つつじ。例年に無く日差しを浴びた模様
満天星つつじ。例年に無く日差しを浴びた模様

小柴昌俊氏の訃報

午前中にノーベル賞物理学受賞者の小柴昌俊氏の訃報があった。
2014年、飛驒市神岡町にカミオカンデを金城と見学した。今は見学が出来ないらしい。一日も早く見たいという金城の願いが叶って、枠を二つ広げてくださっての実現であった。小柴さんをよく知る知人の後押しを頂いたのだった。金城は「超純水」が見られなかったことを多いに気を荒げていたっけ。天皇陛下さえも見られなかったということなので、怒らないでと、帰ったことであった。
その後、女子美術大学の上葛明広先生が退職記念の展覧会を女子美で開催なさった時に、上葛先生を応援なさっておられるその知人が来られるというので、我々も女子美まで出掛けた。2015年1月24日であった。なんと小柴ご夫妻がご来場という我々にはハプニングがあった。
岐阜県飛驒市からその知人が来られる際も、小柴先生ご夫妻を会場までお運びされたのは、我々のよく知るMr.FUJIWARAであった。Mr. FUJI
WARAは高山市に住んでいる。で、このとき、たくさんの写真を撮ってくださったのもMr.FUJIWARAであった。
偶然にもかなり前に知り合った人が飛驒市から来られていて、お顔を忘れていたが、お名前を覚えていて、それがその方だったりして、ビックリの出会い。飛驒市にはこれこれという人が居られると話すと、その方だったのです。序でにこれをブログした日にその方から喪中のお葉書が来ました。尾内治良氏でした。了解を得ずに載せます。あしからず。
その後、NHKのラジオ番組で、武内陶子さんの「午後カフェ」が始まり、女子美術大学の上葛明広先生との写真や、小柴昌俊先生との写真を構成してお送りしようとまとめた。が、未だにお送り出来ないまま、我がパソコンに。
既にお持ちかもしれないと思ったりして。Mr.FUJIWARAがもう既にお送りしているわね。というわけ。
本日94歳でお亡くなりの小柴昌俊氏との邂逅は人々との入り交じった交流があってのことであった。

小柴昌俊先生のご冥福をお祈りいたします

武内陶子さんにお送りしようとまとめた写真をアップします。陶子さま、「午後カフェ」毎日聴いております。

左上葛明広氏 車椅子の小柴ご夫妻
上葛氏の作品群と
左上葛明広氏 車椅子の小柴ご夫妻
車椅子を押される加藤さん親子 知人 武内陶子さん 我々
車椅子を押される加藤さん親子 知人 武内陶子さん 我々
小柴昌俊氏 何をお話ししたものか今は思い出せません 右側 武内陶子さん
小柴昌俊氏 何をお話ししたものか今は思い出せません 右側 武内陶子さん
左側 小柴夫人慶子さま
左側 小柴夫人慶子さま

JAPAN ART FESTIVAL IN MARUTA

コロナの拡大で延期になっていた「日欧宮殿芸術祭・JAPAN ART FESTIVAL IN MARUTA」が9月に無事開催されて、報告があったのは大分前。忘れたわけでは無いが、日々の煩雑で報告出来ずにいた。写真も無くしてしまいそうなので、慌てて掲示する。
マルタ共和国のマルタ島には行かれなかった。夫が元気なら一緒に行ってみたいところではあった。碧い海を見がてら。
主催者側のホスト、マルタの芸術家ジョセフ・バルバラ氏から令和一年11月30日付けで親書を頂戴している。大使のアンドレ・スピテリ氏からの招聘状と共に。夫が脳出血で色々な方や施設でお世話をいただくようになって、自然に私の創作時間も大幅に削られている昨今ではある。
絵は「Yuko Tadaの富士山の絵」を、というリクエストに沿って 木花之佐久夜毘命を。6号サイズで小品でした。(32x41cm)

マルタ共和国での展覧会・大統領のご挨拶とホストのジュセフ・バルバラ氏
茜ふじ(木花之佐久夜毘命命)
マルタ共和国での展覧会・大統領のご挨拶とホストのジュセフ・バルバラ氏