旧正月2日

旧正月2日に、新宿区新宿に用事があって出かけた。
早く家を出て折角だから映画を観ようと、前日の夜に思いつき、目覚ましをセット。
映画ではなくアニメを観た。目指した劇場は完売で、仕方なく、新宿の街をゆっくり散歩。
早めのお昼を。金城はいつもウナギでも食べておいでって言っていたわね、と、少し贅沢だけど
うなぎにした。ランチメニューには載っていなかった桜子饅頭が付いていて嬉しい。
ゆっくり食べた後、ピカデリーの前を通る。鬼滅の刃をもう一度チャレンジ。
4席しか空いていなかったが、終わる時間が、タイミングがいい。
思わずチケットを手にシアター入り。ウ!?、何やら画面が違いそう。違うと分かったが、そのまま観たアニメも悪くない。
終了とともにシアターを出て、女の人に、見たかったアニメが違ったの。
で、もはや半分くらいは終わっていますが、途中から観られますか?
初めから観ますか?と。初めから見る余裕は無い。で、案内していただいて、事故席っていう席があってそこに案内していただき、鬼滅の刃を観ることが出来た。
半分でしたが、大画面の一番前。
今日の予定の用事には30分前には到着できました。

ランチとアニメの間に「花園神社」さまに参詣。この辺りに来ます時にはいつもお詣りをしますのです。
ちょうど紅梅と白梅が満開。旧正月の2日というタイミングで参詣できました。

花園神社境内
花園神社境内

栗原市

今朝旧い写真を探した。栗原市若柳(旧若柳町)の迫川を描いた絵がある。46年程前の絵で今や何方が購入下さったかも定かで無い。
昨日の栗原市岩ヶ崎辺りの風景を絵はがき(Photo: SHAJIN)で紹介した。
その昔、私は薄緑の絵ばかり描いていた。特に冬枯れの景色。一回目の展覧会は井の頭公園の木立が多かった。
下記に掲示する絵は多分二回目の展覧会ではなかったかと思う。1975年。9月の銀座、はまのや宝飾店2階(現在は無い。ここで五回開催した)。
若柳町の東に下った辺りの風景を描いた。街並みは描かず、田圃と迫川のみ。
一応よく似ているので掲示します。

栗駒山が少し違っているわ。
栗駒山が少し違っているわ。

栗駒山

我が故郷、栗原市の岩ヶ崎辺りからの栗駒山と迫川、そして桜並木の絵はがきが届いた。Photo :SHAJINとある。
高校時代の同級生が送って下さったのだが、私が育った若柳の様子と佳く似ている。若柳は迫川の川幅がもう少し広くて、桜並木が迫川の左側になる。ミニゴルフ場はない。このミニゴルフ場を含めた位の川幅かしら。
若柳の昔は銀行の多い町で、お医者さんも多かった。映画館が2つあって、邦画と洋画が見られた。試験で早く帰宅出来る日に、友だちと
洋画を見た日もあった。「禁じられた恋の島」。今でも思い出す。彼女は今千葉県に住んでいる。勉強の出来る人で、数学をよく教えてもらった。丸暗記して、彼女の勘が当たり90点取った事があった。たいていは赤座布団だった私。記憶力に頼った。高校三年生のこと。
同じクラスだった由美子さんが何枚か頂いたのでといって、送って下さった。
9町1ヶ村が合併してから随分時間が経ち、栗原郡が市に。栗原郡の一つだった若柳。若柳には電信柱の無い街の通りがある。キレイな街。その辺りで開催した多田祐子展は遙か遠い昔になった。2010年10月。この時は、高校の記念祭にあわせて、高校で2週間、仙台市でおよそ20日間、若柳のあめやギャラリーでは、39日間といった3箇所での展覧会開催だった。実家にお世話になり、仙台市内の従弟夫婦の別荘を使わせて頂いて、遠く京都や東京からのお客様をお泊め出来た。夫が元気で絵の搬送搬出が自前で出来、PTAの方々のご協力があり、もう一人の従弟の協力と、弟夫婦の加勢が、そして同級生の応援が多々あった。まだご恩には報いていない。
最近故郷に行くことが難しくなった。夫金城を一人には出来ない。また車に乗せて行かれるようにと思うが、少し遠い気がする。
そんなこんなで、絵はがきから思い出すことが山ほどあった。では栗原市の岩ヶ崎あたりの風景をご紹介します。

栗原市岩ヶ崎の風景
雪を戴いている栗駒山。町を流れる迫川、そして桜並木
栗原市岩ヶ崎の風景

2月1日

1月が過ぎ去った。猛スピードの感。何をしただろう?
フト気が付くと、西側の椿の木に沢山の花が。桃色の花。まだヒヨドリに気付かれていない模様で、落ち椿の数は少ない。
と、思った今しがた一羽のヒヨドリが枝に止まりに来た。花ごと丸呑したりよく花を落とす。
窓辺に寝ている夫に見るように言うのだが、顔を右に向けてはくれない。
南側の椿は赤と白の混じり合ったもの、そして赤だけのものと咲く。もう大部咲いたが、これからが花盛りのはず。
ああ、シンビジュームが3本の花蕾を付けて伸びていたのに、寒さ除け、霜よけを施さなかったために、霜枯れてしまっている。
可哀想なことをした。夫が仕舞ってあるはずの霜よけネット、何処にあるやら簡単には見つけられなかった。そうしている内に霜が。

今お隣さんに、河津桜が咲き始めている。人が住まなくなって3年〜4年。私が花見をさせてもらっている。
ああそうそう、我が家のミカンが全滅。一つも無い。みんな「たいわんりす」の餌になってしまい私がマーマレードを作る分も無い。
たいわんリスが1月初めの未だ青い蜜柑を食べ散らかしているのを見て、酸っぱいだろうに、と思っていたら、やがては全滅に。
昨年も一個も収穫でき無かった。追っ払ってくれる夫金城が加勢出来ないから仕方ない。かくして、私が集めている空き箱は2階のトイレに積まれている。少し前まではお友達やら田舎の義妹に送って愉しんでいたのに。2年もとは。来年はどうしよう。
空き箱大尽である。
では桃色椿の花を。

佗助と思っているのですが。
佗助と思っているのですが。

行く年来る年

コロナですっきりしないままに、というよりも酷い状態で2020年は終わろうとしている。
何をしたのかしなかったのか、自分ながらハッキリしない。そんな一年だった。
一応計画通り展覧会は開催。豆冊子は「をんなの時間さまざまⅩⅩⅥⅠ」から38、39,40と4冊手作りを。
253首を発表出来た。いわゆる報告歌ではある。
大晦日の朝9時に訪問入浴があって、感謝あるのみ。いつものように、手際よく3人のスタッフが重たい金城を湯舟に入れて下さる。
セッケンで身体を洗い、頭を洗い、シャワーで上がり湯も備えてある湯舟で濯いで頂いて、ベッドで拭いて頂き、化粧水と乳液を付けて戴き、ヘアードライヤーで髪の毛を乾燥。ありがとうございました。介護士さんも日に3度来て下さる。今年最後の訪問が今しがた終了した。元日の朝も来て下さるという。多謝の一言。
アッという間の一年だった。空白だらけの366日、閏年。
来年はもう少しましな年にしたい。夫金城を車で何処かドライブに連れ出したいものだ。
そう願っている暮れ、限りの日も瀬が近い。

先ほど、かなりクリアーな状態らしく声立てて泣くので歌ができた。

声立てて泣くまでに君回復す かたはらにゐておおつごもりを
クリアーな背なにゆっくり次の世も吾を選べと暮るる枕辺

あと3時間20分で2020年が終わる。2021年も皆さまどうぞ宜しくお願い致します。

をんなの時間さまざま・ⅩL

 手作り豆冊子「をんなの時間さまざま・40」短歌集ができた。今年最後の日記風報告歌。68首。これ以上分厚くなると、
ホチキスで苦労する。
21日の午後、夫金城が11日間の施設でのお世話を終わり帰宅する。まだ150冊ほど閉じたいが、先に梱包作業がある。
ドイツはマンハイムのGALERIE BOHNER(ドイツ語が打てない)に送る絵を、取り急ぎ梱包しないといけない。
取り敢えず東京の下北沢のスマートシップギャラリーに送る。20号サイズ数点と小品数点というリクエストには応じきれそうにない。
小品は後回しに。金城が帰る前に大きなサイズの方を包もうと取りかかる。最近は腕に力がない。梱包作業は最早嫌いな仕事になっている。

ラジオで高校女子駅伝マラソンが始まった。みんなガンバレ!

豆冊子、ご希望の方はコンタクトください。贈ります。

「をんなの時間さまざま・40」 の表紙と裏表紙
A6サイズ
「をんなの時間さまざま・40」 の表紙と裏表紙

ドイツ白ワイン

昨日ドイツ語のお手紙が。全てドイツ語。全く読むことができない。
パンフレットが入っていて、私の「刹那生滅」100号サイズの絵がワインラベルになっている。
ホームページの作品5ページ下段の方にあるので、見てみてください。
たくさん売れた暁には私に配給があるものやら?
聞いていないのですが、パンフレットによるととても上等なワインらしくてお高い。
白ワインのラベルですね。

白ワインのラベル・『刹那生滅』
ドイツワイン
白ワインのラベル・『刹那生滅』

12月12日

今日、12月12日は「天の夕顔」で有名な作家中河与一の祥月命日。恒例の「夕顔忌」を小田原の伝肇寺・夕顔の寺で執り行った。
コロナ禍ではあったが、何時もより参席者は多く、にぎやかなご命日となり嬉しかった。
中河与一を村長に祭りあげて「かっぱ村」を発村させた二代目村長、大野芳ノンフィクション作家の『中河与一を巡る作家たち』の話しを聴きながら、本堂で2時間あまりを法要後の直会。冬日の差し込む温かい一日であった。
かっぱ村の話しだが、今年は発村45周年の年であった。中河与一が亡くなって早26年祭ではあった。我々はお仲人をして頂いた作家で、私が
ペルーのリマ美術館に作品が収蔵されたときには、とても大喜びして下さった。40年程前の話。

ヴァン・ゴッホのお墓を模した中河与一のお墓
ヴァン・ゴッホのお墓を模した中河与一のお墓

月影

8日の下弦の月は見逃して、というより雲が厚かった。今朝11日、27日の月を見る。
一片の雲のない南の空に煌というよりわずか黄色に輝いている。撮影すると少し太ってしまう。
実際は三日月。弱三日月。

太めに写る27日の月
太めに写る27日の月

10年前の信貴山玉蔵院のこと

平城遷都1300年祭の記念企画に、御神酒の奉納があった。寅歳の記念でもあった。
推挙をいただき、白い磁器製の瓶に入っているのは日本酒。ラベルを「My birthday」に選んだ。
私の誕生日、1月17日は、阪神淡路大地震、湾岸戦争勃発、ロスの大地震、と、「今月今夜のこの月」など と、
少し特異日なのです。で、「青い雪」が降るイメージを込めました。
ある写真を探していて、玉蔵院のその時のものが手に触れました。
とても紅葉の美しい時期に京都の人たちと一緒に行きました。夫も一緒でした。
奉納の御神酒の数々が「融通堂」にまだ飾られていて思いがけずにこの目で見て、みんなで見て来たのです。2010年の11月15日でした。

信貴山の紅葉をアップします。序でに一升瓶も。

信貴山の秋
向こうの山は何処かわかりません
信貴山の秋
信貴山の紅葉
信貴山の紅葉
奉納の日本酒 鶴齢・My birthday/ラベル 多田祐子
奉納の日本酒 鶴齢・My birthday/ラベル 多田祐子